ガース・ハドソンが死去した。

ガース・ハドソンが亡くなったことは、カナダの新聞トロント・スターが報じた。同紙によると、ガースは現地時間の昨日1月21日の朝、米ニューヨーク州ウッドストックの介護施設で安らかに息を引き取ったという。87歳だった。

ザ・バンドのXアカウントは下記のコメントを発表した。

今日、私たちは、ザ・バンドの最後のオリジナルメンバーとして唯一存命だったガース・“ハニー・ボーイ”・ハドソンに悲しい別れを告げます。音楽の天才であり、バンドのタイムレスなサウンドの礎だったガースは、かつてこう言いました。「人々が自分の感情の根底に辿り着くのを助けることに、真の喜びを見出したんだ」。音楽を通じて、彼はまさにそれを実現しました――私たち全員がより深く感じ、より大きな何かに繋がるのを助けたのです。ガースよ、安らかに。

ロビー・ロバートソンのアカウントも、〈ガースはトロント交響楽団やマイルス・デイヴィスとも共演できた。しかし、彼は私たちと演奏した。ザ・バンドに彼がいてくれたのは幸運なことだった〉というロビーの発言を引いてコメントしている。

エリック・ガース・ハドソンは1937年、カナダのオンタリオ州ロンドンで生まれた。厳格な家庭で育ったそうだが、両親が音楽好きで、幼少期から音楽に親しんでいた。そして、少年時代にオルガンの演奏を始め、クラシックの音楽教育も受けた。

ガースは、ウェスタン・オンタリオ大学で音楽を学び、地元のバンドでも演奏していた中でロニー・ホーキンスのバックバンド、ザ・ホークスに出会った。1961年にザ・ホークスに加入し、バンドは1964年にロニーから独立、1965年にボブ・ディランのバックバンドとして演奏を始める。翌1966年にディランがバイク事故を起こし、ウッドストックで隠遁生活を始めると、ディランはバンドとデモテープの制作を1967年におこなった。当時録音した曲は、1975年に『The Basement Tapes』として発表される。

ザ・ホークスはザ・バンドに改名、1968年に伝説的なデビューアルバム『Music From The Big Pink』を発表した。“Chest Fever”のイントロの重厚なオルガンプレイなど、ガースのアイコニックな演奏が収められた名盤だ。さらに、ウッドストック・フェスティバルやワイト島フェスティバルに出演して知名度を上げ、同じく名盤として知られる1969年の2ndアルバム『The Band』を発表。ガースは、同作でも鍵盤奏者やマルチプレイヤーとして八面六臂の活躍を見せた。

ザ・バンドはその後、1974年にディランと再びツアーをおこない、ライブアルバム『Before The Flood』を発表。しかし、メンバー間の対立が激化し、リチャード・マニュエルのドラッグやアルコール依存の問題などもあり、1976年の公演をもって解散。同公演は、映画およびサウンドトラック盤『The Last Waltz』として発表された。ザ・バンドはその後、1980~1990年代に何度か再結成を果たしている。また、2019年にはドキュメンタリー映画「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」が公開された。

ガースは、マディ・ウォーターズ『The Muddy Waters Woodstock Album』(1975年)、吉田拓郎『Shangri-La』(1980年)、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ『Southern Accents』(1984年)、J. J. ケイル『Closer To You』(1994年)、佐野元春『THE BARN』(1997年)、ハリーとマック(細野晴臣&久保田真琴)『Road to Louisiana』(1999年)、ノラ・ジョーンズ『Feels Like Home』(2004年)といったアルバムに客演。1980年に初のソロアルバム『Music For Our Lady Queen Of The Angels』、2001年に2ndアルバム『The Sea To The North』(邦題:ガースの世界)を発表した。また、2002年に元フライング・ブリトー・ブラザーズのメンバーとブリトー・デラックスを結成したり、リヴォン・ヘルム&マーク・マッコイと活動したり、妻モードと演奏をおこなったりと、マイペースな活動を続けていた。

ロビー・ロバートソンが2023年に亡くなり、ザ・バンドのオリジナルメンバーで存命なのはガースだけだった。バンド内で特に音楽的な知識が深く技巧に長け、若くして老成し真面目だったと言われるガース。サックスなども操ったが、彼の演奏といえばピアノやアコーディオンなどの鍵盤楽器、とりわけオルガンだろう。あの見事なプレイに思いを馳せつつ、ガースの冥福を祈りたい。