2023年8月9日、ザ・バンドのギタリスト/ソングライターとして知られた北米音楽界の重鎮ロビー・ロバートソンが、80歳でこの世を去った。前立腺がんとの闘病を長期間続けていたという。

ロビーの音楽家としての深く豊かな才能は、ザ・バンドで遺した多くの名曲はもちろん、ボブ・ディランとの共演作、ソロワークスや映画音楽の仕事の数々で聴ける。一方でザ・バンドの元メンバーたち、特にリヴォン・ヘルムとの軋轢があったことは知られているとおりで、彼の音楽人生は起伏に富んだものだ。

そんな彼への追悼の意を込めて、ミュージシャンの谷口雄がロビーとザ・バンドの物語を綴った。全3回に分けて掲載するうち、第1回はロビーのルーツからザ・バンドの前身ホークスへの加入、ボブ・ディランとの出会いまでについて。 *Mikiki編集部


 

仄暗い影が付き纏う稀代のスター

ロビー・ロバートソンが亡くなり、いよいよザ・バンドのオリジナルメンバーはガース・ハドソンただ一人になってしまった。確かにここ数年のロビーは、自伝の出版や伝記映画の制作など、キャリアの締めくくりを感じさせる活動が目立っていたものの、映画や自伝の宣伝のため頻繁にメディアに登場していたし、リンゴ・スターと共に“The Weight”を演奏したチャリティ映像は3,000万回再生を優に超えるなど話題に事欠かなかっただけに、彼の不在は寂しくてならない。

リンゴ・スター&ロビー・ロバートソンと多数のゲストによる“The Weight”のパフォーマンス動画。〈Playing For Change〉の企画〈Song Around The World〉の一環として2020年に制作された

ザ・バンドのメインソングライターでありリードギタリスト。稀代のスターでありながら、どこか仄暗い影が付き纏うのは、ロビーがザ・バンドを解散に至らしめた張本人と目されているせいだろう。確執のあったリヴォン・ヘルムが死の間際までステージに立ち続けたことを思うと、早々にライブ活動を引退し、リヴォンとは対照的なキャリアを歩んだロビーに対して、ファンが複雑な感情を抱くのも無理はない。

それでもなお、ロックとアメリカンルーツミュージックの大きな架け橋となったザ・バンドの功績は色褪せることはない。ロビー・ロバートソンがその生涯を通じてどんなストーリーを紡いできたのか、ロビーやリヴォンの自伝をもとに、その類稀なるキャリアを振り返りたい。

 

ユダヤ人裏社会に生きた叔父、先住民文化を伝えた母

ロビー・ロバートソン、本名ジェイミー・ロイヤル・ロバートソンは1943年7月5日、カナダ・トロントの生まれ。父はカナダ系ユダヤ人の賭博師アレックス・クレーガーマンだが、彼はロビーが誕生する前に事故でこの世を去ってしまう。

ロビーがこのことを知らされたのは思春期に差し掛かってからだったが、以降はアレックスの弟でロビーにとっての叔父であるネイティ・クレーガーマンに可愛がれたという。ネイティはトロントのユダヤ人裏社会の有力者で、様々なビジネスを取り仕切り、ロビーも時折〈危ない仕事〉を手伝わされていた。ロビーのビジネスへの鋭い嗅覚や、「ラスト・ワルツ」などで時折見せる不良っぽい立ち居振る舞いは、この叔父から受け継いだものなのだろう。ネイティはその後、カナダ史上最悪のダイヤモンド強奪事件に関わり収監されている。

一方で、芸術的な側面を育んだのは母・ドリーの家系。ドリーの一族は北アメリカの先住民族であるモホーク族とカユーガ族の血を引いており、幼少時のロビーは年に数回、インディアン自治区であるシックス・ネイションズで母やその親戚とともに過ごしていた。かの地で開かれるパーティーでは、ギターやハンドドラムにマンドリンが加わり伝統的な音楽が奏でられ、これがロビーにとっての音楽の原体験となった。

先住民族の口から語られる彼らの歴史や伝説、寓話は幼いロビーに多大な影響をおよぼし、彼の胸には〈大人になったらストーリーテラーになりたい〉というほのかな夢が芽生えた。ロビーのソングライティングの特徴である、複雑でファンタジックな歌詞世界の源流は、母と過ごしたシックス・ネイションズにあった。

継父であるジム・ロバートソンとの関係が悪化していたこともあり、ロビー少年は次第にギターを心の拠り所とするようになっていった。1950年代に育った他の多くの少年と同じようにロックンロールの洗礼を受け、13歳で初めてのバンド、リズム・コーズにギタリストとして加入。サンバー&ザ・トラムボーンズ、ロビー&ザ・ロボッツと名前を変えながら、若くしてトロントの音楽シーンに潜り込んで行く。