the pillowsが解散した。〈the pillows〉と〈解散〉という言葉は、永久に並ぶことなどないと思っていた。しかし、the pillowsは解散した。
解散を告げるバンドからのコメントにも書かれていたthe pillowsにとっての〈幸せな35年間〉を、しっかりと脳裏に刻みつけたい――そんなMikikiからの想いを受けて、彼らに幾度となく取材し、リスナーとして純粋に向き合い続けたライターの田山雄士に思いの丈を綴ってもらった。 *Mikiki編集部
不遇の時代とミッシェルとの出会い
山中さわお(ボーカル/ギター)、真鍋吉明(ギター)、佐藤シンイチロウ(ドラムス)からなる3ピースバンドのthe pillows(以下、ピロウズ)が、2025年1月31日に行なわれたライブをもって解散したことを発表。突然とも言えるアナウンスを受け、同業のミュージシャンはもちろん、さまざまな著名人による別れを惜しむ声、約35年にわたる活動を労う感謝のコメントが各所にあふれた。若手や中堅のアーティストに取材をしていても、ピロウズへのリスペクトはしばしば話題に上る。たくさんの人に愛された理由は何なのか。その魅力をできるだけわかりやすく伝えたい。
まずは、彼らが成功を掴むまでの決して平坦ではなかった道のりについて。そこからピロウズを語る上で外せない代表曲、歌やサウンドの心に響く点に触れていければと思う。
1989年に結成され、1991年にメジャーデビューを果たすも、自らそう位置づけているピロウズ第1期~第2期は、バンドの発起人でリーダーを務めていた上田ケンジ(ベース)が脱退し、モッズカルチャーを踏まえたブリティッシュロック、次に着手したジャズやソウル風味のサウンドも望む評価を得られず、長く険しい不遇の時代となった。一方、ほぼ同期にあたるMr.Children(当時は共にバッド・ミュージック所属)、スピッツ、ウルフルズは、それぞれ“innocent world”“ロビンソン”“ガッツだぜ!!”などでメガヒットを叩き出していく。
上田に代わって山中がリーダーとなった1994年からの第2期では、売れることを強く意識し、レコード会社の意見に耳を傾け、タイアップ戦略にも応じる。中山美穂と豊川悦司が主演を務めた岩井俊二監督映画「Love Letter」のイメージソングに起用された“ガールフレンド”など、曲のクオリティは今聴いても素晴らしい。にもかかわらず、時代に受け入れてもらえないという、なかなか思うようにいかない状況。ただ、それでもピロウズは音楽を作り続けた。いつか日の目を見ると信じて。
そんな過渡期の1995年11月、ピロウズは早稲田大学の学園祭でTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT(以下、ミッシェル)と共演。メジャーデビューを目前に控えた高いテンションと他の追随を許さない圧倒的なエネルギーを携え、シンプルで着飾らないロックンロールを繰り広げたミッシェルのライブに、山中は筆舌に尽くしがたい衝撃を受けた。
ミッシェルは事務所の後輩で、彼らを引き入れたのは何を隠そう自分。ボーカル/ギターのチバユウスケは同い年だ。この鮮烈なライブが、ピロウズのスタイリッシュなアプローチ、テクニックを誇示したようなところもあったサウンドを見つめ直すきっかけに。
加えて、直後のシングル“Tiny Boat”のセールスが振るわなかった。タイアップをどうしても取りたいという周囲の言い分をできる限り聞いて制作し、そのためにリリースを遅らせたりもしたのに、バンド側の努力をふいにするような起用だった上、結果はまたしても出ない。売れたいあまりにブレてしまった自分たちへの苛立ちや曲を傷つけられた悲しみが引き金となり、ピロウズは山中がもともと好きだったギターロックへの回帰を図る。