
ビジネス最優先のメジャーと異なるマイナーレーベルの志
平野「いずれにせよ、インプロ中心の作品はセールス面では厳しいです。でも、だからこそぼくたちマイナーレーベルの仕事なのだ、と考えています。メジャーレーベルは売れるものしかやらないし、やれませんからね。〈売れるかどうか〉を最上位に置いて意思決定するメジャーと、オーナープロデューサー個人の欲望やビジョンを羅針盤に進むマイナーレーベルの違いは、端的に言えばそこだけです。それこそがマイナーレーベルの駆動原理であり矜持なのだとぼくは思います。藤井さんがTBMをはじめようと思ったきっかけも、この〈マイナーレーベル問題〉だったんですよね?」
藤井「そう。高3のときに、ふと〈なぜ日本のジャズにはオレが聴きたいものがないんだろう?〉と思ったんですよ。実際、聴くべきものはアメリカにしかなかった。調べてみると、自分が聴いているものの多くは〈マイナーレーベル〉というものから出ていて、そこではオーナープロデューサーが思うままに運営している。もしマイナーレーベルがなかったら、ジャズの名演はほとんど残っていないのだと」
平野「たしかにそうですね」
藤井「チャーリー・パーカーでさえ、メジャーから出たのはマイナーで評価が定まったあとだからね。マイナーレーベルは、オーナープロデューサーの選球眼と音楽観を世に問うとともに、すぐれた才能を発掘し世の中に送り出す装置みたいなもの。さっき君が言ったとおり、メジャーとは志が違う」
平野「〈エンジェル投資家〉みたいなもの?」
藤井「そうそう(笑)。高3でそれに気づいたときに、もし30歳になっても日本に志のあるマイナーレーベルが出来ていなかったら、そのときはオレがやろう。失敗してもいいから必ず挑戦する。そう決心したんです」
平野「で、結局29歳でTBMを立ち上げることになったわけですね。メジャーとは異なる理念と原理を持つ日本ジャズのためのレーベルを起動させた」
藤井「そうです。例えば、日野(皓正)くんの『ハイノロジー』(1969年)みたいな売れる作品は、大手はすぐやるのよ。でも日野くんがドイツへ遠征する前のリサイタルを録ろうとしても、引き受けてくれる大手はいない。フリーはダメ、商売にならないってね。それでぼくのところに相談に来て、〈思い切った演奏ができる自信があるならやろう〉と言ったんです」
平野「あの『ライヴ!』(1973年)は間違いなく名盤です。あんな作品、今となっては二度と作れないかもしれない。藤井さんが残してくれていなかったら、あの名演は存在さえ知られぬまま闇に消えていました。もしTBMがなかったら、あの時代の日本ジャズの水準があれほどの高みにあったことを証明する手立てがない」

ジャズは録音以外で後世に伝えられない芸術
藤井「いずれにしても、ぼくはいつも〈ジャズの3つの要素を忘れなけりゃ良いジャズを逃すことはない〉と言っているんです。1つはライブを聴くこと。2つ目はインプロ。インプロビゼーションと対峙して真剣に聴くこと。最後は〈シャリコマ〉、すなわちコマーシャリズムは排除すべきということ。70年代のフュージョンから始まって今に至るグローバル化したジャズは、ことごとくシャリコマですよ」
平野「ライブもインプロも、瞬間に消えてしまうものだからこそ、かけがえのないものなのだと」
藤井「そう。他の芸術は、例えばジャズ以外の音楽だったら譜面に残すことができるし、絵画であれば原画が残る。小説や詩、俳句だって、捨てない限りオリジナルが残ります。だけど、困ったことにジャズはそれができない。仮に15分を超えるものすごいアドリブをすべて採譜してそのまま演奏したところで、誰もそれをジャズとは認めない。ジャズというのは、そういうものなんですよ。録音以外の方法で後世に伝えることができない。レコードとして残さなければ、地球の反対側にいるジャズファンに聴いてもらうことはできません。だからTBMを始めたんです。
例えばさっき言った16分を超える森剣治のソロだって、もう51年経っています。51年前にあんなすごいことをやっていた人間がいるということは、レコードに残さない限り後の世に伝えられませんからね」
平野「よくわかります」