ウッドベースの無伴奏ソロアルバム!

日本ジャズの現在をドキュメントするレーベル、Days of Delightから2025年6月26日(木)に登場する井上陽介の新作『Walking Alone』は、オーバーダビングや編集がまったく施されていない、文字通りの一発録りによるソロ演奏集だ。レパートリーには、ジャズの定番はもちろん、ジョン・レノン、スティーヴィー・ワンダー、ヘンリー・マンシーニ、さらにはJ. S. バッハやエリック・サティのようなクラシック系の楽曲までが並ぶ。低音の響きに身をゆだね始めたら、〈ベースだけのアルバムとは渋すぎるのではないか、極めて地味なのではないか〉という考えなど一瞬で吹き飛ぶはずだ。アルバムに広がるのは、百戦錬磨の名手・井上が1本のベースで描く飛び切りのエンタテインメントである。

Days of Delightのファウンダー&プロデューサーである平野暁臣は、こう語る。

「この作品のコンセプトは〈ベース表現のショーケース〉です。ベースという楽器は瑞々しい表現力を秘めており、トップベーシストはそれを引き出す技術と感性をもっている。ベース1本あれば何度も聴きたくなる作品だって作れる。もちろんそれができるベーシストは限られているけれど、まちがいなく井上陽介はその1人。彼の才能を借りてこの考えを実証したかったんです」

では、さっそく井上陽介の談話をご紹介したい。

井上陽介 『Walking Alone』 Days of Delight(2025)

 

ピアノ、ギターからエレキベース、そしてウッドベースへ

――noteに掲載されている〈僕の音楽体験〉を拝見すると、小学3年生のときにクラシック音楽に開眼して、ほぼ同時期からピアノを習い始めたとのことですが。

「はい。ただ、そのピアノのレッスンは強制終了みたいな形になって、中学に入ってからギターを始めました。最初は姉が持っていたフォークギターを弾いていたんですが、友達にハードロックをたくさん聴かせてもらったりしているうちに、少しずつバンドの方におびき寄せられて。

友達に楽器店に付き添ってもらってエレキギターを買ったんだけど、やろうとしたバンドは僕も含めて4人全員がギター志望だった(笑)。それを無理やりギター、ギター、ベース、ドラムにふりわけたら、なぜか僕がベース担当だったんです。せっかくギターを買ったのに(笑)。仕方がないので、友達のお兄さんにエレキベースを貸してもらって弾いてみたら、これが意外と面白かったんですよ。で、これでいいやと」

――ジャズやウッドべースとの出会いは?

「高校のバンドでもエレキベースを弾いていたんですが、やっているうちに歌のない間奏部分が一番盛り上がることに気がついたんです。さらにある日、〈それ(盛り上がること)ばかりをやっているような、歌のない音楽が世の中にあるらしい〉ということを知った。それがクロスオーバー、今でいうフュージョンとの出会いでした。そして、どうやら根底にジャズという音楽があるらしいということもわかってきた。

その頃にはドラムの則竹裕之くんとも仲間になっていて、彼が〈スティーヴ・ガッドが参加しているステップスというジャズバンドがいいよ〉と教えてくれたんです。ベーシストは泣く子も黙るエディ・ゴメスなんですが、彼がエレキベースではなくウッドベースを弾いていると後で知って驚愕しました。

そうこうするうちに芋づる式にジャズを聴くようになり、音楽を根本から勉強したいと思うようになって、大阪音楽大学の作曲科に進学しました。校内にジャズのビッグバンドがあったので、エレキベースを担いで〈入りたいです〉と門を叩いたら、〈ジャズならウッドベースだろ〉と言われて。幸い大学にはウッドベースがいっぱい転がっていたので、それを借りて練習しました。

1年先輩にピアノの石井彰さんがいるんですが、当時、ビル・エヴァンスに傾倒していた彼に、いきなり〈スコット・ラファロのフレーズを弾いてくれ〉と言われたりしてね。そんなのムリに決まってるじゃないですか(笑)」

――いきなりラファロとは、あまりに高いハードルですね(笑)。

「1983年頃からジャズのライブにも行くようになりました。〈JATP(ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック)〉の大阪公演ではオスカー・ピーターソン・バンドのベーシストが猛烈な勢いで弾きまくっていて、それがニールス・ペデルセンでした。野外コンサートの〈ライヴ・アンダー・ザ・スカイ〉に出たチック・コリアのトリオ・ミュージックのベーシストはミロスラフ・ヴィトウス。その後、小曽根真さんのデビューコンサートにはエディ・ゴメスが参加していて、やっぱり猛烈な勢いで弾いている(笑)。

彼らの演奏に接して〈やっぱりオレには無理かもしれない〉と絶望しかけたんだけど、演奏を続けていると、ウッドベースは音色が豊かだし、石井さんも一生懸命教えてくれるし、作曲科で学びながらコントラバスのレッスンも2年ほど受けることができて、だんだん弾き方もわかってきた。そんな感じで徐々にウッドベースに移行していきました。

プロになってからは大阪のライブハウス、ロイヤルホースのレギュラーバンドに1年間いたんです。東京からもゲストが来て、松本英彦さん、北村英治さん、伊藤君子さん等のバックで演奏しました」