
世界が内包する非情さにどのような方法で立ち向かえるか
寺尾と君島の二人がステージに立ち、デュオ編成で届けられた第四部では、まず冒頭に“愛よ届け”と“愛のありか”の2曲が演奏された。第三部のラストに据えられていた“あの日”もそうだが、この日のコンサートでは〈愛〉という目に見えない大いなるものの存在を改めて信じたい、とふと思わせられる瞬間が多かった。
社会というものは、不完全な存在である人間がつくったシステムだからこそ、構造的な腐敗を生みやすい。〈現実的〉という言葉で狡猾に、残酷になることは、当たり前にそこにあるはずの〈愛〉の力を発揮するよりも実に容易い。それでもなお、逃れられない現実の中にあっても、すべてのものの先に立ち、最後に残るものは〈愛〉なのだという理想論しか、実は最も実践的な解はない――はずなのだが、そう簡単にはいかないからこそ、この世界で生きることは、愛することは難しく、美しく、尊い。
潮が満ち引きするように、寺尾と君島は歌と演奏のリードを交代しながら、今日ここでしか鳴らないサウンドスケープを描き出していく。とてもよく似た、しかし、決定的に違う二人の歌声が、時に溶け合い、時に重なり合いながら、互いの表現に宿る根源的だが目には見えないものの輪郭をはっきりとさせていった。
〈理不尽な過去の経験によって心が病んでしまう人がこんなにいる世界はおかしい〉という思いからつくられたという“極地”と題された二人の新曲には、それぞれの場所でそれぞれの苦しみを抱える人たちへの想いが詰まっていた。〈壊されるなよ、一つの体を/一つの心を/奪われるなよ、明日のあなたを〉――どこまでも優しく、それでいて怒りにも似た強い感情がこもった歌が締めくくられた時、会場のどこかでむずがる赤子の声が上がった。
「こんなにたくさんの人にきてもらえるなんて。とても嬉しいです」と、よみうりホールに集った、約1,100人のオーディエンスに向かって感謝の念を表した寺尾。「この会場もとても素敵ですよね。1階と2階が分断されていなくて、楕円形になっていて」という言葉を受けて、君島は“楕円の夢”のイントロを演奏し始めた……のだが、いつまで経っても歌が始まらない。どうやら二人の間に曲目の行き違いがあったらしい。実に人間らしい、チャーミングなこのハプニングもまた、この特別な夜に人肌のぬくもりを与えていた。
万雷の拍手に迎えられたアンコールで披露されたのは、THE BLUE HEARTSの“青空”のカバーだった。〈生まれた所や皮膚や目の色で/いったいこの僕の何がわかるというのだろう〉――バブル景気の頂点に浮かれる日本とは対照的に、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦が終わりへと向かう一方で、戦火は絶えることなく、湾岸戦争前夜の緊張が世界を覆っていた、1989年。そんな年にこの曲は発表された。それから年月を経た、2026年6月21日。この日のコンサートでもこの歌は当時と変わらぬ、いやそれ以上の切実なアクチュアリティをもって、強く響いていた。
ここ最近、様々なライブで“青空”をカバーするアーティストを目にすることが増えた。それはおそらく、偶然ではない。平和ボケの時代は残念ながら終わり、理不尽な血や涙や喪失は、道のすぐ片隅に転がっている。そんな苛烈な世界の今を芸術家たちは敏感に感じ取って、様々なやりかたでプロテストしようとしている。
わたしたちはこの世界が内包する非情さにどのような方法で立ち向かえるのか。思いやりを、友情を、愛をどこまで本気で信じられるのか。〈もしも二人が笑えるのなら/美しい時を謳えるのなら/欺く言葉に立ち向かえるよ/魔法みたいに〉――このコンサートの冒頭で聴いた“魔法みたいに”と、寺尾と君島が歌う“青空”が今、強く木霊しあう。
誰かが、何かが、わたしたちの手からかけがえのない美しい時を奪おうとするとき、笑い合う瞬間が、重なり合う声こそが、〈力〉になる。音楽は、演奏された端から消えてしまうのではない。空気を揺らし、聴く人の内側に、たしかな温度を残していく。寺尾紗穂と君島大空がこの夜、奏でた音楽は、会場に集ったオーディエンスだけでなく、私たちが日々を生きるこの世界にもそんな微かで、しかし力強い〈震え〉を伝えたのだった。
SETLIST
■寺尾紗穂
1. 道⾏
2. 燕の帰る晴れた朝
3. dream train
4. 魔法みたいに
5. ブラジルへ
6. 記憶
7. 私の好きな⼈
8. 私の怪物
9. こんばんはお⽉さん
10. 残照
11. ⼣まぐれ
12. spring hymnのごと
13. みらい
■君島大空
1. Q
2. 向こう髪
3. 星玻璃
4. 琥珀の遠景
5. 迷う(寺尾紗穂 cover)
6. Anechoic
■寺尾紗穂
1. 森の⼩径
2. 君の旅
3. ハチと僕
4. しゅー・しゃいん
5. あの⽇
■寺尾紗穂 × 君島⼤空セッション
1. 愛のありか
2. 極地
3. 夜を抜けて
4. 楕円の夢
5. 愛よ届け
6. ⻘空(THE BLUE HEARTS cover)
LIVE INFORMATION
冬にわかれて『forgotten』リリースツアー
2026年9月12日(土)愛知・名古屋 Halle RUNDE
2026年9月22日(火・祝)京都 京都府立文化芸術会館
2026年10月10日(土)東京 大手町三井ホール
2026年11月29日(日)福岡 ROOMS
PROFILE: 寺尾紗穂
1981年、東京都生まれ。音楽家・文筆家。主題歌の提供や、CM楽曲制作(KDDI、MUJIほか)、新聞やウェブでの連載も多数。ドキュメンタリー「Dearにっぽん」(NHK)のテーマ曲に“魔法みたいに”が選ばれ、教科書「高校生の音楽I」(教育芸術社)にも同曲が掲載。あだち麗三郎、伊賀航と共に3ピースバンド〈冬にわかれて〉でも活動を続ける。音楽アルバム『余白のメロディ』(2022年)、『しゅー・しゃいん』(2024)は「ミュージック・マガジン」の年間ベスト(ロック/日本部門)の10枚に選出された。最新作は『わたしの好きな労働歌』。書籍最新刊は「戦前音楽探訪」(ミュージック・マガジン社)。