Mikikiで連載中の〈ポップの羅針盤〉。ポップミュージックがはらむ〈予感〉について、社会の〈羅針盤〉になり得る可能性について、音楽評論家/ジャーナリストの柴那典さんがその時代性を読み解く連載です。今回のテーマはチャーリーxcx、フィービー・ブリジャーズ、マドンナ。 *Mikiki編集部
「彼らは死んだ。彼らは去った。永遠に残りつづける者など誰もいない」
デヴィッド・クローネンバーグは、何度も何度も、こう繰り返す。7月24日にリリースされたチャーリーxcxのアルバム『Music, Fashion, Film』のラストトラック“No One Lasts Forever”には、伝説的なホラー映画監督である彼とチャーリーの1時間にわたる会話の一部がカットアップされている。
曲の中で、クローネンバーグは、かつて路上で倒れ死に直面した時の体験を語っている。道に横たわっているときには、芸術のことなど全く考えなかった。人々のこと、人生のことを考えていた、と。「そのとき私は、芸術を持続的なもの、不滅なものとして考えてはいなかった」と彼は言う。何千年も生き残った芸術作品を生み出した芸術家もいる。それは素晴らしいことだ。けれど彼らは死んで、いなくなっている。そのことを経験していない。それは真実であり、むしろありがたいことなのだと彼は言う。忘却こそが自由なのだ、と。
きっとチャーリーはその言葉に救いを感じたのだろう、と僕は思う。全ては移ろいゆく。名声と混沌に疲弊していた彼女は、その言葉に解放を得たはずだ。だから彼女はこの曲でこう歌っている。
That’s why I’m not scared of anyone
’Cause nothing’s gonna last forever
(私は誰のことも怖くない
何も永遠には続かないのだから)
〈Charli xcx“No One Lasts Forever”より〉
2004年、父は路上で倒れた。そのとき、まだ20代だった僕は、音楽雑誌の編集部で働いていた。病院に駆けつけたとき、その身体には何本ものチューブがつながれていた。救急車で運ばれた時点で、すでに一度、心停止していたという。生と死は、デジタルなONとOFFではない。心拍を示す緑色の数字が徐々に下がっていくのを見ながら、そう思ったのを覚えている。状態Aから状態Bへと、ゆっくりと移り変わっていくものなのだと。
道に横たわっていたとき、父はどんなことを考えていたのだろうか?
8月14日にリリースされたフィービー・ブリジャーズのアルバム『Lost Weekend』の収録曲“Never Going Back!”には、彼女の父が残した留守番電話の声が使われている。アコースティック・ギターのストロークに乗せて「もう戻らない」と繰り返す曲の最後に、こんな言葉がある。
Anyway, give me a call if you get a chance
Love you
(時間があったら、電話をくれ
愛してるよ)
〈Phoebe Bridgers“Never Going Back!”より〉
フィービーの父、トニー・ブリジャーズは2022年に死去した。アルバムは亡き父に捧げられた一枚だ。しかし、彼女と父との関係は、複雑なものだった。“Still Standing”には、暴力的な父を目の当たりにした子供の頃の記憶が描かれる。父を失った悲しみと消えない葛藤の両方を抱えながら、彼女は黒い服を着て、無感情なまま立っている。
アルバムの終盤“As Above”では、フィービーは飛行機に乗りながら、過去のこと、そして未来のことを思い描いている。この曲にはこんな言葉が歌われる。
Now, I don’t want to live forever
But I don’t wanna die
Before I take you to Coney Island
(今は永遠に生きたいわけじゃない
でも死にたくはない
あなたをコニー・アイランドに連れていくまでは)
〈Phoebe Bridgers“As Above”より〉
ニューヨークのコニー・アイランドは海辺の遊園地街だ。フィービーはそこで自分を当たり前の存在として扱う未来の「あなた」と観覧車に乗る光景を夢見る。そして曲はこう締めくくられる。
As it was, so it goes
(これまでそうだったように、そうなっていく)
〈Phoebe Bridgers“As Above”より〉
過去と現在と未来は折り重なり、時は進んでいく。諦念と希望が入り混じったような地点に彼女は辿り着く。そこに静かな、しかし胸を強く震わせる感動がある。
マドンナのアルバム『CONFESSIONS II』は7月3日にリリースされた。収録曲“Fragile”は、2024年に亡くなった彼女の実弟クリストファー・チッコーネに捧げられた曲だ。同じ家に育ち、かつてはツアーの演出をつとめるなどマドンナのキャリアを最も近くで支えた一人である彼は、暴露本の出版などをきっかけに絶縁状態となっていた。「Fragile」は、晩年になって和解したのち、癌を患い闘病していたクリストファーと電話で話した直後に書かれた曲だという。曲の冒頭ではこんな言葉が語られる。
People really think that there’s a beginning and an ending
To this thing called life
But energy never dies
This is just a portal we’re going through
(人々は人生に始まりと終わりがあると本当に思っている
でもエネルギーは決して死なない
これは私たちが通り抜けているポータルにすぎない)
〈Madonna「Fragile」より〉
死は終わりではない。そこには始まりも終わりも持たないエネルギーがあって、肉体はその器にしかすぎない。人生そのものが、その大きな循環の一部として通り抜けるポータルでしかない。
それでも、手放すのは辛い、とマドンナは歌う。肉親を亡くした悲しみと、子供の頃の記憶、そして赦しと祈りの言葉が綴られる。
全ては移ろいゆく。時は進む。通り抜けていく。チャーリー、フィービー、マドンナは、そう歌っている。それぞれの思いで、永遠というものに向き合っている。2026年の夏は、そんな風に死と無常を見つめた曲が心に響いた季節だった。

PROFILE: 柴 那典
1976年、神奈川県生まれ。音楽評論家/ジャーナリスト。京都大学総合人間学部を卒業、ロッキング・オン社を経て独立。音楽を中心にカルチャーやビジネス分野のインタビューや執筆を手がけ、テレビやラジオ出演など幅広く活動する。著書に「平成のヒット曲」(新潮新書)、「ヒットの崩壊」(講談社現代新書)、「初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」(太田出版)、共著に「ボカロソングガイド名曲100選」(星海社新書)、「渋谷音楽図鑑」(太田出版)がある。ブログ〈日々の音色とことば〉。
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