©Tyrell Hampton

あの夏の狂ったライムグリーンを脱ぎ捨てて、彼女はロック・ミュージックの名で自身の美意識を歌い続ける――ダンスフロアが死んでいるかどうかはさておき、この場所には間違いなく野心的な音楽が息づいている!

『Brat』からの脱却

 〈I think the dancefloor is dead, so now we’re making rock music(ダンスフロアはもう終わってると思うから、いまはロック・ミュージックを作っている)〉――今年の春にチャーリーxcxが新曲“Rock Music”の思わせぶりなフレーズを明かしたところから思わぬ(?)論議を巻き起こすことになったロック/ダンスフロア論争。後に本人はスレイターやアンダースコアズ、ピンクパンサレスらを賞賛しながら〈ダンス・ミュージックを否定しているわけではない〉と発言しているが、これにタイムリーな反応を見せたのが『Confessions On A Dance Floor』の続編にあたるニュー・アルバム『CONFESSIONS II』をまさにセッティング中だったマドンナで、〈ダンスフロアが死んだと思うなら、それはかける音楽が間違っている〉という投稿でのアンサーも大きな話題となった。もっとも、チャーリーも“Rock Music”においてそのまんまのロック・ミュージック(とは?)を披露しているわけではなく、こうした発言を真正面から受け止めるのもどうなのかと思うが、そうでなくてもその類のトピックをとにかく好むタイプの人が多いSNSでの爆発的な広がり具合を思えば、結果的にはチャーリーとマドンナによる気の利いた相互プロモーションとして機能した感じがしなくもない。後に両者は一緒のパーティーにいるところを目撃されてもいるし、そもそもかつてのチャーリーは〈最高のアーティストとはマドンナやデヴィッド・ボウイのように変化し続ける人たちのこと〉として女王への敬意も表明していた。いずれにせよこの一連の出来事を通じて、現在のチャーリーが狂騒の続いた『Brat』(2024年)のフェイズとは別の地平にいることを改めて世に念押しできたのは大きかったのではないだろうか。

 そうやっていま振り返ってみても、チャーリーにとって6枚目のオリジナル・アルバムにあたる『Brat』は批評的にも商業的にも絶大な成功を収めたばかりか、単なる音楽作品としてのサイズを超える広がりを獲得したアルバムだった。視認性の高いライムグリーンのカヴァー・アートをキー・ヴィジュアルにした話題の拡散は〈Brat Summer〉と呼ばれるオンライン上のトレンドを生み出して大きな社会現象と化し、果ては当時の米国大統領候補だったカマラ・ハリスも活用するに至ったという流れを記憶している人も多いことだろう。

 そのように記号化された流行が制御できないレヴェルで過去最大規模に膨れ上がっていくなかで、チャーリー自身は浮かれるどころか精神的な疲弊と創作意欲の欠如に打ちのめされ、〈もう音楽を作ることができない〉と感じるようになっていたという。そんな苦しい心境に陥っていた2024年冬のチャーリーではあったが、そのタイミングで映画監督のエメラルド・フェネルからエミリー・ブロンテの小説を映画化した「嵐が丘」(2026年)のための楽曲制作を依頼され、その脚本を読んだことから新たなインスピレーションを獲得。2025年を通じてフィン・キーン(イージーファン)と共に楽曲制作に取り組むことになる。彼女は別の創作に没頭することで音楽家としての自分自身をどうにか繋ぎ止めたのだ。

 その2025年は、『Brat』関連で9部門にノミネートされていた年明けのグラミー授賞式にて、〈最優秀ダンス/エレクトロニック・アルバム〉部門など3部門を受賞して始まったが、チャーリーは〈自分が望んでいたもののほとんどすべてを手に入れたという感覚〉が自身にどのように作用したかについて、スコットランドの映画監督エイダン・ザミリに送ったメッセージで明かしている。そこで綴られた心境は後にザミリが監督した映画「the moment/ザ・モーメント」にまとめられることになった。