マライア・キャリーの世界的ヒット作『Daydream』が30周年!

 96年の米ビルボード誌の年間シングル・チャートを紐解くと、ロス・デル・リオの“Macarena”を筆頭に、セリーヌ・ディオン、アラニス・モリセット、トニ・ブラクストンといった当時の人気アーティストたちの有名ヒット曲が上位に並ぶ。そんななか、TOP 5圏内に2曲ものヒットを送り込んでいるのがマライア・キャリーだ。ボーイズIIメンと共演した“One Sweet Day”が2位に、単独での“Always Be My Baby”が5位に付け、さらに“Fantasy”も50位内に顔を覗かせる。その“Fantasy”は前年度も7位という好成績を残しており、2年連続のランクイン。まさしくマライア旋風が吹き荒れていたことが窺える。これらの楽曲を収めた95年のアルバム『Daydream』も、当然ながら桁外れの大ヒットとなり、本国USのみならず、日本を含む全世界のチャートで1位を獲得。全世界で2,700万枚以上、日本でも220万枚のセールスを記録している。そんな同作の30周年記念盤『Daydream (30th Anniversary Edition)』は、ひと足先に配信されてファンを歓喜させていたが、このたび全世界同時にCD化(2枚組)がついに実現。今年は彼女の初来日公演から数えて30年という記念すべきタイミングでもあり、本作のDisc-2にはその東京ドームでの公演やロッテルダムでのライヴ音源も収録されている。

MARIAH CAREY 『Daydream (30th Anniversary Edition)』 Columbia/Legacy/ソニー(2026)

 

切望した方向性

 デビュー作『Mariah Carey』(90年)と2作目『Emotions』(91年)によって、7オクターヴと言われる超人的アクロバティック歌唱で世界を驚愕させたマライア・キャリー。92年のEP『MTV Unplugged』では〈本当にライヴであんなに歌えるのか?〉という疑念を払拭して、その後の本格的なツアー活動へと繋げている。3作目『Music Box』(93年)ではバラードを中心にしたポップ志向で正統派シンガーとして人気をさらに拡大。それに続いては早くもタイムレスなクリスマスの名盤『Merry Christmas』(94年)を世に送り出し、そこからの“All I Want For Christmas Is You”は日本でも空前のヒットを記録した。一方、私生活においては、自身の所属するソニー・ミュージックのCEO(当時)を務めたトミー・モトーラとゴールイン。公私共に、まさしく上昇気流に乗りまくっていた当時のマライアなのだった。

 歌姫としての唯一無二の歌声と表現力は、それまでの作品ですでに証明済み。アーティストとしての次なる一手が問われたのが、通算4枚目のオリジナル・アルバム『Daydream』であり、同作はその期待に応えたのみならず、新たなマライア・キャリー像を打ち出して驚かせてくれた。

 アルバムに先駆けてリリースされたファースト・シングル“Fantasy”で、まずはその方向性が明らかにされた。93年のヒット・チューン“Dreamlover”で意気投合したデイヴ・ホール(メアリー・J. ブライジらを手掛け、カップリング曲の“Slipping Away”にも協力)をふたたび呼び寄せ、当時で言うところのアーバン系のサウンドに挑戦。オールド・スクール・ヒップホップの定番ネタとしても知られるトム・トム・クラブのヒット曲“Genius Of Love”(81年)のサンプリングも鮮やかだったし、遊園地やジェットコースターで撮影されたアイコニックなMVには自由な気分と開放感が溢れていた。またウータン・クランのODBことオール・ダーティー・バスタードをフィーチャーしたリミックスや、そのMVも好評を博し、ストリート感を纏ったニュー・マライアを印象付けた。レコード会社や夫の意向としては、むしろヒップホップやストリートのイメージから距離を置きたかったそうだが、彼女自身が強くこの方向性を切望し、進むべき道だと信じていた。そして、見事に全米チャートで初登場1位という本人にとっても大満足の結果を生み出した。

 

自由を獲得しようとする気迫

 ボーイズIIメンと共演したセカンド・シングル“One Sweet Day”も同様に、初登場で全米1位を獲得。しかも、こちらは16週連続1位という驚異的なロング・ヒットとなり、その後23年間にわたって破られることのない歴史的記録を樹立した。これはボーイズIIメンにとっては急逝したマネージャーに捧げる曲であり、マライアにとっては他界した恩人デヴィッド・コール(C&Cミュージック・ファクトリー)に思いを馳せる哀悼の歌だ。当時NYに在住していた筆者は、街中のどこへ行ってもこの曲が流れていて、そのドリーミーなハーモニーを耳にするたびに、雲の上の天国にいるかのような感覚に包まれたのを覚えている。

 USでのサード・シングル“Always Be My Baby”も同様に全米1位を記録。ジャーメイン・デュプリの共作/プロデュースによる初の大ヒット(本作の“Long Ago”にも協力)でもあり、その後に両者のパートナーシップが長く続くのはご存じの通り。みんなでコーラスを歌える、マライアとしては珍しいタイプの楽曲でもあり、広く愛されている。

 それらを含むアルバム全体は、ヒップホップ的要素を持ちながらも、メロウなR&Bソングやバラード系をしっかり押さえたバランスの良い仕上がり。デビュー当初から大役を担ってきたウォルター・アファナシエフの貢献も引き続き大きかったし、飛ぶ鳥を落とす勢いのベイビーフェイスも参加。90年代中期の王道とも言える、ゆったりと心地よいビートが全体を彩っている。またバッドフィンガー/ニルソンの“Without You”をカヴァーした成功前例をなぞるかのように、本作ではジャーニーの“Open Arms”をカヴァー。技巧に凝りすぎない伸びやかな歌声が、改めて彼女の歌声の素晴らしさと、感情移入の上手さを指し示すと共に、素朴な感動へと結びつけてくれた。

 一方リミックスには、先に触れたODBやマブダチのダ・ブラットといったラッパー、ガールズ・グループのエクスケイプらが参加。ハウス・ヴァージョンのリミックスにはデヴィッド・モラレスやエリック・カッパーといったNYクラブ・シーンの要人たちが起用され、マライアは改めてスタジオで歌入れを行っている。現地ではこれらのリミックスも頻繁にオンエアされていて、チャートのトップを飾る歌姫としての顔のみならず、こうしたアンダーグラウンド・シーンの活動も併せて初めてマライア・キャリーとしての全体像が見えてくるのではないかと思う。ちなみに、密かに制作されたという彼女のオルタナティヴ・ロックのアルバムも、この頃に並行して録音されていたそうだ。

 ファンはもちろん、評論家筋からも絶賛を獲得した本作。96年のグラミー賞ではアラニス・モリセットと並んで最多の全6部門にノミネートされ、授賞式ではボーイズIIメンと共に“One Sweet Day”を披露したが、屈辱のゼロ受賞に終わっている。

 当時の夫トミーとは、制作中から意見の相違や衝突も多く、難産だったという。玉の輿のシンデレラガールとばかり思っていたら、実は束縛の多い、鳥籠の中に飼われているかのような結婚生活だったとも後に明かされている。本作のジャケットに、本来なら彼女が大嫌いなはずの真正面ショットが使われているのも、そんな複雑な内情が関係していたのでは?と、いまになって憶測したり。その夫とは後に別離し、97年の次作『Butterfly』で彼女は文字通り〈蝶〉となって羽ばたくことになる。だが、その一歩手前の本作には、そこへと辿り着くために必死でもがき、自分らしさを守り、自由を獲得しようと奮闘する彼女の気迫とパワー、そして若さが漲っているのではないだろうか。 *村上ひさし

マライア・キャリーの2025年作『Here For It All』(Mariah/Gamma.)

 

ジャーメイン・デュプリの名裏方だったマニュエル・シール

 馴染みの顔ぶれを同じように起用した2枚のアルバムながら、『Music Box』になくて『Daydream』にあるもの……といえばジャーメイン・デュプリの参加であり、その制作パートナーだったマニュエル・シールの存在だ。シカゴ出身のピアニストだったシールは、新進気鋭だったデュプリに見い出され、R&B仕事を中心に共同制作を開始。その過程でマライアの“Always Be My Baby”やアッシャーの“Nice & Slow”などのヒットに貢献し、デュプリのメロディアスな仕事には欠かせない相棒となる。その後は独立しつつも、アッシャー&アリシア・キーズ“My Boo”、マライアの復活曲“We Belong Together”など、デュプリの決定的なヒットはいずれも彼とのコンビ体制から生まれていた。去る9月27日に逝去したシールだが、この才人の名前も記憶しておきたい。

マニュエル・シールの参加作を一部紹介。
左から、マライア・キャリーの2005年作『The Emancipation Of Mimi』(Def Jam)、エクスケイプの93年作『Hummin’ Comin’ At ‘Cha』、ダ・ブラットの94年作『Funkdafied』(共にSo So Def/Columbia)、アッシャーの97年作『My Way』(LaFace/Arista)、アッシャーの2004年作の20周年記念盤『Confessions: 20th Anniversary Edition』(RCA)

 

華やかな『Daydream』時代に繋がるさまざまな関連作品を紹介!

MARIAH CAREY 『Music Box: 30th Anniversary Edition』 Columbia/Legacy/ソニー(2024)

来日が実現する前に不動の人気を確立した前作『Music Box』(93年)の30周年記念盤。カップリングやリミックスなどの関連音源も含め、『Daydream』での進化に至るまでのグラデーションも興味深い。この調子で常に何かのアニヴァーサリーが続いていくことを期待。

 

BOYZ II MEN 『II』 Motown(1994)

90年代にR&Bの裾野を広げた立役者はマライアと彼らだった。本作からはベイビーフェイス作の“I’ll Make Love To You”がホイットニー・ヒューストンのアレと並ぶ14週連続の全米1位を記録。この後マライアとの“One Sweet Day”がその記録を更新することになる。

 

MADONNA 『Bedtime Stories』 Maverick/Warner Bros./ワーナー(1994)

機を見るに敏な女王がシックで洗練されたR&B路線とトリップ・ホップ作法を両獲りした野心作。ベイビーフェイスの“Take A Bow”があるほか、ヒップホップ・ソウル時代の顔役だったデイヴ・ホールが“Human Nature”など4曲で抜擢されている。

 

OL’ DIRTY BASTARD 『Return To The 36 Chambers: The Dirty Version』 Elektra(1995)

大ブレイクしたウータン・クランきっての奇人MCとして、絶大なキャラ人気を誇った通称ODB。“Shimmy Shimmy Ya”などのクラシックを生んだこのソロ・デビュー作に前後して彼とリンクしていたマライアの目利きぶりは、以降も多くのコラボで発揮されていく。

 

ALANIS MORISSETTE 『Jagged Little Pill』 Maverick/Reprise/ワーナー(1995)

〈年間最優秀アルバム〉などグラミーで5冠に輝いた95年きってのモンスター・ヒット作。オルタナ情緒を備えた女性シンガー・ソングライターのブームを牽引したが、その裏でマライアがチックスの『Someones Ugly Daughter』を作っていたのも興味深い。

 

SUMMER WALKER 『Finally Over It』 LVRN/Interscope(2025)

特徴的なコーラスを備えた“Always Be My Baby”はフィフス・ハーモニーの“Like Mariah”などでたびたびリサイクルされてきた。近年では90〜00年代ネタ使いに定評のあるサマー・ウォーカーが本作収録のヒット“Baby”にて大胆な引用を試みている。 *轟ひろみ