ひびき合う数々の音楽のために
ネットのおかげで音楽にはかつてのような境界がなくなった。自分がおもしろいと感じるものを自由に探すことが容易にできる。偶然に出会う音楽に引っ掛かることも多い。一方でかつてのジャンルやつながりがなくなってしまって、それぞれの音楽がただ浮遊しているかのようにみえてしまうこともある。
渡辺亨はあらためてサブタイトルで〈ディスク・ガイド〉と言う。それは、だが、旧来のLPなりCDというメディアを紹介するものではない。一見そう見えるかもしれないけれど、著者の意図は、それぞれの音楽の〈顔〉として視覚的な記憶としてジャケットを引き、さらにこの〈顔〉のなかにどういう音楽がいるのか、音楽がどんなふうに生きているのかを短い文章であぶりだそうとすることにある。
アルバムは1曲1曲が切り離され自由にアクセスできるネット環境とは異なっている。ある意味で、アルバムは各曲が窮屈に肩寄せあったアパートのようなものかもしれない。だが、そこにいる曲たちは、集まった場所や時代、参加している人びと、プロデューサー、そして中心に据えられるアーティストがみんなしてつくりあげた〈作品〉であり、そのとき・その場ででてきた商品であり、まとまってこその表現だったりもする。ひとつの曲では言えないこと、言い足りないことがべつの曲によって補完されたり、打ち消されたりすることで生まれてくる世界だってあるのだ。要は複数、出会ってみること、ふれてみる、聴いてみること。だからこその〈ガイド〉。
渡辺亨は、さまざまなジャンルを特に分け隔てなく、新たに〈快適音楽〉と呼ぶことで、つなげてゆく。アルバム単位で、それぞれの〈顔〉をこの本を手にとったものの網膜に焼きつけることによって、その〈顔〉の奥ゆきへ、〈顔〉の深さへ、〈顔〉の多様さへと誘い、個々に固有の〈顔〉をならべつつ、各アーティストが何週間、何か月、何年という歳月のなかで試行錯誤した音楽のかたちを見据えようとする。
扱われるのは333枚のアルバム。渡辺亨自身の文章とともに、GONTITI、Chocolat & Akitoから畠山美由紀、高浪慶太郎といったミュージシャンのコラムが6つ収められているのは、あたかも、実際の音楽とはべつの、本書のことばの〈快適〉を保証してくれているようでもある――あるなぁ、うん。