秩父を拠点に活動するギタリスト・笹久保伸と、彼を中心とするアート運動〈秩父前衛派〉を軸に、同地から生まれる新たな潮流に迫る連載〈秩父は燃えているか〉。第5回は、秩父前衛派の活動にとって、音楽や美術、映画といったジャンルと同様に重要な〈登山〉にフォーカス。そもそも、音楽家やアーティストとしての活動がメインである彼らが、創作行為と並行して登山することにはどのような意味や目的があるのか? 今回は音楽メディアとしては異例の登山ロケで彼らに密着し、その謎に迫る。

 


 

 

秩父の神様である山

初めて秩父前衛派のことを知った際にまずユニークだと思ったのは、優れたアーティスト/ミュージシャンである彼らが、趣味ではなく創作活動の一環として山に登っている点だった。誰しも〈音楽家がなぜ登山?〉という疑問を抱くはずだが、この連載を立ち上げるにあたり、彼らの登山に付いて行くことでその秘密を紐解いてみたいというアイディアがあった。昨冬の秩父は記録的な大雪に見舞われたが、2014年の12月中旬には早くも降雪の可能性を伝える予報があり、急いで笹久保に取材を申請したところ同行の許可を得ることができた。

いつものように西武秩父駅のロータリー前で笹久保と落ち合うと、今回一緒に山を登る秩父前衛派のメンバー、ギタリストの清水悠とサンポーニャ奏者の青木大輔の姿が。ちょうど清水はソロ作品のレコーディングに取り掛かっていた模様で、進捗を訪ねると「2015年にはリリースできるかもしれない」とのこと。笹久保とはまた違ったキャラクターを持つ彼の魅力にも、いずれこの連載で迫ってみたい。

【参考動画】清水悠とイルマ・オスノによるコラボ曲“VIDALLAY VIDA(D.R.)”

 

今回登ったのは、秩父を象徴する山であり、彼らが頻繁にフィールドワークに出かけている武甲山。笹久保が自らの思い出を交えながら語ってくれた。

「武甲山は、秩父の神様である山=神奈備山という面もあって人々に親しまれてきました。僕も小学生の頃から登っている山ですが、音楽をやるようになって(改めて)登るようになったのは、普段は体験できないようなインスピレーションが湧くから」

 

登山道の入口には〈武甲山入口〉と書かれた古い石碑が。連載の第4回で「秩父はもともと京都に次いで修験道が盛んな土地だった」と教えてくれたタクシー・サウダージの言葉が頭をよぎる。

 

しばらくは山道を歩いていたのに、ふと気が付くと背丈を越す高さのススキが群生する道なき道を進んでいた。熊除けの鈴を鳴らし、笹久保は篠笛、青木は龍笛を演奏しながらその一角を横断していく。尾根にこだまする和楽器の旋律はこころなしか神秘的に響く。

かなりの急勾配や、登山初心者の筆者にとっては恐怖を感じるような崖が両側に広がる峰伝いのルートを、3人は迷うことなく突き進んでいく。ところどころ休憩は挟んでいるものの、なんとか着いて行くのがやっとだ。その後も厳しい登り降りを繰り返し、そろそろ体力の限界かと感じ始めた頃、ようやくこの日の目的地に辿り着くことができた。

 

 

聖地・大蛇窪を探して

「武甲山にまつわるいろんなことにも興味があって。今日来たあたりは武甲山の昔の聖地であったと言われる大蛇窪という場所。なかなかいまの人が見に来るような所ではないけど、聖地と言われていただけあって不思議な場所です。僕たちは直接それを題材に作曲するわけではないけど、知らず知らずのうちにそこで得たインスピレーションが創作に反映されると感じています」

笹久保がそう語るかつての聖地、大蛇窪とみられる一体は湿地帯のような窪地にあり、奥には小さな沼がひっそりと佇んでいた。彼によると、武甲山には現代では忘れ去られたいくつかの聖域が存在し、そのなかの最も重要な場所が大蛇窪であるという。

 

日本三大曳山祭りの一つである秩父夜祭は、武甲山に住む龍神(男神)が年に一度、秩父神社に祀られる妙見菩薩(女神)と逢い引きをするという祭りで、その妙見菩薩を表す亀の子石を挟み、武甲山と秩父神社が一直線上に並んでいることも知られている。また、秩父に豊作をもたらした武甲山の水を、その年の収穫を祝うと同時に山に還す意味があるとも言われる。笹久保はここから、その水源こそが龍神の住む大蛇窪であり、つまり前述のラインの延長線上にその聖域が存在するはずという仮説を立て、何度かの探索を経てこの窪地を見つけ出したのだ。この場所が本当の大蛇窪であるという確証はないが、たしかに不思議な雰囲気を持った場所だ。笹久保と青木は奉納とばかりに篠笛と龍笛の合奏を始めた。

 

 

神話を蘇生させる〈NEW CHICHIBU DOCUMENTARY〉

こうしたフィールドワークは、考古学や民俗学のアプローチと一見変わりのないものに映るが、秩父前衛派のベクトルは神話や伝統を現代のアートとして蘇生させる方向を向いている。笹久保が秩父の滅びた仕事歌を採集し、自ら歌い直したアルバム『秩父遥拝』にもそれは顕著だった。

【参考動画】タクシー・サウダージが運転するタクシーの車内で披露された
笹久保伸『秩父遥拝』の収録曲“柿原番頭さん”弾き語り

 

「新しい音楽を発見したり創作することは、知らないもの/見たことのないもの/聴いたことのないものを作る行為に繋がるから、山登りで知らない風景を見たり、誰も行ったことのない場所を探す、そうした探究心に似ていると思うんです。普通の登山道を行くだけでは面白くなくて。ただの登山ではあるけど、音楽の創作と結びついているんだなと感じます。普通の生活をしていたら普通の風景しか見えてこない。それでは普通の創作物を作ってしまうから」

つまり今回の登山も、目的はただのフィールドワークではなかったのだ。そういえば笹久保は首にぶら下げたフィルム・カメラのシャッターを何度も切っていたし、リュックの中には8ミリ・フィルムのヴィデオ・カメラまで入っていた。巨大な岩塊がゴロゴロと転がる危険な斜面に差し掛かった場面で、彼がおもむろに8ミリ・カメラを取り出し、ヌーヴェルヴァーグの作家さながらにその場で青木に演技の指示を出しながらカメラを回し始める一幕もあった。

 

「いま〈NEW CHICHIBU DOCUMENTARY〉というテーマの写真を撮っています。映画も8ミリ・フィルムで撮影していて。秩父の魅力は影……〈影の町・秩父〉と清水武甲さんという地元の写真家の方も言っていましたが、影の中にこそ光が美しく見える、それがこうして山に来てみるとすごく分かるんです。光と影のコントラストが秩父の魅力です」

 

〈NEW CHICHIBU DOCUMENTARY〉についてこれ以上詳しく聞くことはなかったが、写真集・映画共に2015年2月現在もまだ制作中であり、その完成が近付いた頃に改めて笹久保に語ってもらうことにしよう。冬至も近かったため日が傾くのが早く、今回の登山はここで下山することとなった。なお帰路で窪地の付近を歩いているときに、蛇の抜け殻を発見したことも記しておきたい。やはりあそこが本当の大蛇窪だったのだろうか。