Photo by ホンマタカシ

〈秩父は燃えているか〉――そんなタイトルで、筆者が秩父を拠点とするギタリスト・笹久保伸のことをブログに書いたのがMikikiのローンチからおよそ1か月が過ぎた今年5月のこと。それから4か月あまりの短期間で、彼を取り巻く環境は急速に変化し、いまではさまざまなジャンルの才人やメディアの目利き、熱心な音楽ファンたちから熱い視線を送られる存在となっている。この期間中に気付いたのは、笹久保は貪欲なDIY精神をもって未知の領域へと自らの表現を積極的に開拓していく〈進化するアーティスト〉であり、彼の溢れんばかりのエネルギーが渦となり秩父に新たなシーン(文化圏)のようなものが形成されつつある、という発見だった。その全体像を見渡し、魅力を汲み尽くし、多くの人と共有することを目的に、本連載〈秩父は燃えているか〉はスタートする。笹久保をはじめとする秩父周辺のアーティストや作品の紹介、インタヴューなどはもちろん、オリジナルの動画やネットの世界の外へと飛び出すような企画も含め、さまざまな角度からこの新たな〈宇宙〉を追いかけていくつもりだ。今回は、連載を本格的に始める前のイントロダクションとして、企画の発案に至るまでの経緯を綴っていこうと思う。


 

笹久保伸というミュージシャンを知ったのは、LOS APSON?(東京・幡ヶ谷のレコード・ショップ)の店主である山辺圭司氏が2011年の年間チャートの2位に『John Dowland Returns』というアルバムを選出していたことが最初のきっかけだった。表題曲は、ヤニス・クセナキスに師事し、一柳慧や武満徹とのグループ〈トランソニック〉や自身が組織する水牛楽団などの活動でも知られる作曲家/ピアニストの高橋悠治の手によるものだ。

同作の〈日本人ギタリストによる現代音楽的アプローチの傑作〉という紹介文句や、20代前半に敢行したペルーでの音楽研究と演奏活動を通して現地のレーベルからすでに10枚以上のCDを発表していたというプロフィールなど、出会いの時点から〈凄い若手ギタリストが出てきたな〉という印象を抱いたことを覚えている。2012年から2013年にかけては、その後のアルバム『秩父遥拝』へと結実することになる〈秩父の仕事歌〉という重要なテーマを秘めた自主制作盤『Quince』や、久保田麻琴が制作面でバックアップした日本での正式な初録音作品『翼の種子』のリリースで一部の音楽好きの間ではすでに話題となっていた。それでも、筆者も含めたこの頃の笹久保に対する印象は、あくまでいちギタリストとしての像から大きく逸脱するものではなかったのではないだろうか。

そのイメージが覆されることとなったのが、彼が〈秩父前衛派〉と名乗るアート運動を始めたことに気が付いたあたりからだった。チチブゼンエイハ? 秩父山地に四方を囲まれた盆地で、古くから知々夫国(チチブノクニ)として栄え、自由民権運動の影響を受けた日本史上最大規模の民衆蜂起とされる秩父事件が起きた地であり、武甲山の石灰石を利用したセメント産業で一時代を気付いた場所。秩父、と言われて浮かんだそうした一般的なイメージと、芸術や政治の世界で使われる〈前衛〉という言葉の食い合わせの斬新さに、不意を突かれたような驚きを感じた。その戸惑いに対する一つの解答となったのが、2013年に発表されたDVD+CD「秩父前衛派」だった。

DVDに収められていたのは、笹久保の監督デビュー作品となる「犬の装飾音」「秩父休符」という2本の映画。しかも、デジタル全盛のこの時勢に、8ミリフィルムで撮影を行ったものだという。その手法もさることながら、先立って公開された予告編の映像が孕む異様なテンションから、笹久保が片手間でこの仕事に取り掛かったわけではないことが理解できた。

また前後して、彼が小説の執筆や図形楽譜の作成など、音楽とは異なるジャンルの表現にも果敢に挑戦していることを知る。いよいよ〈笹久保伸と秩父前衛派、何者?〉という謎に翻弄されている最中にほぼ同時に届いたのが、冒頭のブログで取り上げた〈秩父の仕事歌アルバム〉〈現代音楽家・藤倉大とのコラボ・アルバム〉〈粟津潔、飴屋法水、秩父前衛派の3者によるコラボ作〉という3作品に関するトピックスだった。直後には、秩父出身の美術評論家・椹木野衣と飴屋が立ち上げたユニット〈グランギニョル未来〉の舞台に秩父前衛派の面々が出演することもアナウンスされる。さらに、ヨーロッパを主戦場としていたノイズ/エレクトロニック・ミュージック界の鬼才であり、すでに50枚以上の作品をリリースしていた76年生まれの秩父の作曲家・Koji Asanoと笹久保のコラボ・アルバム『Ruidos de Hinoda』や、笹久保が発見したことで60歳でのデビューを果たすことになった秩父の現役タクシー運転手でもあるシンガー・ソングライター、タクシー・サウダージの初アルバム『Ja-Bossa』の発売も重なった。

〈秩父で何かが起きている〉と思わせるには、すでに十分すぎるほどの材料が出揃っていた。この段階で〈秩父は燃えているか〉を本格的に連載化することを決意し、思い立って笹久保本人にそのことを直接伝えるため、彼とコンタクトを取った。それが、いまから約1か月前の出来事だ。ギターを片手に渋谷のタワーレコードカフェに現れた笹久保伸は、未開の地を切り拓いてきた人間が持つエネルギーと、自らの思考を簡潔な言葉で表すことができる明晰さを備えたアーティストだった。

「ペルーで音楽を学び、現地のレーベルから何枚も作品をリリースし、並行して現代音楽のコンクールに挑戦して入賞したりはしたものの、日本に帰ってきてから気が付いたのは、自分が根なし草であるという感覚だった。そのときにふと、自分が生まれた秩父を見つめ直す機会があった」「粟津潔から〈マクリヒロゲル〉というコンセプトをヒントにもらった。風呂敷を広げるように、物事をどんどん四方八方に広げていくスタンスで表現に取り組んでいる」

彼のそのような言葉で、これまで抱えていた謎が氷解していくのを感じた。また、笹久保はこれからも未踏の地へ足を踏み入れることに躊躇はしないだろうし、この旅がまだ始まったばかりであることも実感できた。この日、彼は自らの創作に対する哲学・美学にかぎらず、さまざまなジャンルの異才たちとの出会いや、秩父という土地への想いなどを語ってくれたのだが……それらは今後改めて深く掘り下げ、じっくりとマクリヒロゲていくことにしよう。