秩父を拠点に活動するギタリスト・笹久保伸と、彼を中心とするアート運動〈秩父前衛派〉を軸に、同地で巻き起こりつつある新たな潮流に迫る連載〈秩父は燃えているか〉。第4回は、秩父生まれのタクシー運転手で、笹久保に発見され、彼に触発されたことで60歳にしてアルバム『Ja-Bossa』でデビューを飾ることとなったシンガー・ソングライターのタクシー・サウダージをフィーチャー。取材は、笹久保と共にタクシー・サウダージが運転するタクシーに乗りながら行うユニークなスタイルとなった。タクシー・サウダージとは何者なのか、そして彼や笹久保を生んだ秩父の磁場には何があるのか。秋の秩父路を走りながら、ときに2人の貴重な演奏風景もカメラに収めつつ(笹久保の弾き語りは下掲の先行動画のものよりも長めのヴァージョンを公開!)、その秘密に迫った。

 


 

笹久保伸とタクシー・サウダージの出会い

西武秩父の駅に降り立つと、笹久保が出迎えてくれた。そして隣りのロータリーには、ちちてつ(秩鉄)タクシーの前に佇むタクシー・サウダージこと梅沢茂の姿が。挨拶もそこそこにタクシーに乗り込み、ブラジル音楽/サンバ界の巨匠、カルトーラの軽快なナンバーが車内に流れるなかドライヴがスタート。荒川の上流をまたぐ古い橋(さくら橋)を渡る際に、早くもタクシー・サウダージにとってのサウダージ(郷愁)を垣間見れる一言が飛び出した。

「古い橋ほど自然に近いわけですよ。昔は水に触れるくらい低かったけど、時代と共にどんどん高くなって、いまでは水の音もほとんど聞こえない。時代が進めば進むほど、自然から遠ざかるような傾向にありますね」

自らサウダージを名乗る遅咲きのアーティストが生まれた背景には、笹久保との運命的な出会いがある。「これが一番正しい話」と前置きしたうえで、彼は出会いのエピソードを語ってくれた。

 

「伸がペルーから帰ってきてあまり経っていない時期に、どこかのコンサートの帰りに私のタクシーに乗ったんです。彼がギターを持っていたから、私もギターを弾くので音楽の話をした。伸から帰りがけに〈ペルーでCDを10枚出したから聴いてくれ〉ともらったんですよ。〈へぇ~〉と思って帰って聴いてみたら、恐ろしいギターを弾く(笑)。こんなヤツがいたのか!と。でも彼と出会ったときには“イパネマの娘”も弾けないくらいギターには触らなくなっていた。〈もういいか〉と感じていた頃だったんです。〈瞑想でもして一生暮らしていけばいいか〉くらいに考えていて。だから伸に触発された部分は大きい。その存在が私を熱くさせたし、彼がいなかったら多分辞めていましたよ」

そこで「復活の機会を与えてしまった」と笑う笹久保は、タクシー・サウダージ命名の秘密をこうこぼす。

「出会った頃は、まだ〈タクシー・サウダージ〉という名前はなかった。僕は最初〈サウダージ・タクシー〉と呼んでいたんです。そしたら、久保田さん(久保田麻琴:タクシー・サウダージ『Ja-Bossa』のマスタリングなどを担当)が、〈逆にした方がいいんじゃないの?〉と」

運命の出会いから、タクシー・サウダージとしてのデビュー・アルバム『Ja-Bossa』が届けられた今年の7月まで、結果的には5年以上の歳月が必要とされた。笹久保も7枚の作品を録音した秩父のスタジオ〈STUDIO JOY〉で制作されたデビュー作には、オリジナル曲のほか、アントニオ・カルロス・ジョビン“Desafinado”や“The Girl From Ipanema”、ジョージ・ガーシュウィン“Summertime”といった名曲の日本語カヴァーが収められている。本人は「意外と飽きがこない作品にはなったかと思います」と言葉少なだが、笹久保はその魅力についてこう代弁する。

タクシー・サウダージ 『Ja-Bossa』 Ja-Bossa Disc/Aby Record(2014)

 「僕はボサノヴァにのめり込んだことはなかった。ましてや日本語で歌うなんて邪道だと思っていたんです。でも梅沢さんは自然体で、そういった固定観念を突き破るような、言葉の壁を超える力を持っている。ボサノヴァでありながら、“アベマリーア!”にしろ自分の曲なわけじゃないですか。(日本人が)自分で作ってもボサノヴァ感はあまり出ないし、〈ボサノヴァを頑張って作りました〉という音楽ではない。すごく自然にそういったものが出てくることが不思議だし魅力なんじゃないかな。それはタクシー・サウダージという人の人生が音楽に現れているからだと思います」

 

タクシー・サウダージ前史

飄々と、あるいは超然とさえしているようなタクシー・サウダージの佇まいは、単に60歳という年齢の積み重ねだけによって醸造されたものではない。彼は19歳で秩父を飛び出し、40代に差し掛かるまでの約20年間を、日本全国や世界を駆け回る放浪の旅に費やした。その経験は確実に〈いま〉のタクシー・サウダージを形作るうえで、欠かせない要素の一つとなっている。

 

「若い頃にレールを外れちゃったからね(笑)。最初は北海道に行ったんです。学生運動がちょうど終わった頃で、運動をやっていた連中がそっちへ向かって旅をしていたり。アルバイト情報誌が出始めて、全国どこに行っても仕事があった時代。バイクで来た不良少年たち5~6人と3か月くらい一緒に暮らしていましたよ。放浪を始めたのは……精神的におかしかったのかもしれない(笑)。いろんな意味で、秩父にいることに耐えられなくなっていたんです」

その言葉に、すかさず笹久保が「それは分かる気がする」と反応した。笹久保は20代の前半、4年間に渡るペルーでの音楽研究を通して現地のレーベルから10枚以上のCDを発表してきたが、帰国後に自身のアイデンティティーを考え直し、秩父前衛派の立ち上げや、アルバム『秩父遥拝』に結実した秩父の仕事歌というローカルに向き合った活動を展開していくことになる。彼らに共通するのは、一度秩父を出たからこそ獲得できた故郷へのメタな視点だ。タクシー・サウダージは続ける。

 

「結局、30歳まであちこちウロウロして、あとは東京で10年くらい暮らしていました。その間に京都に5年いたり、神戸に1年行ったり。沖縄では初日から野宿だったな。海外は、最初はブラジル。ジョアン・ジルベルトみたいな美しい音楽ができる国なら行って住んでみるしかない、と思って。伸だって、最初は半年くらいのつもりでペルーに行ったんじゃないの?」

「最初は2週間のつもりでした」と思わぬ告白で返した笹久保は、「南米にはそういう魅力がありますよね」と弁明する。親子ほど年の差のある彼らが、共に南米の音楽に魅せられて現地を旅し、ギターをキーワードに故郷の秩父で出会うというストーリーは、ありふれたフィクション以上に運命的だ。タクシー・サウダージは、ほかにもペルシャ発祥の民族楽器であるサントゥールの響きに魅せられインドに渡ったこともあるという。こちらは当初半年の予定だったものが、熱病にかかり3か月の旅となった。日本に戻ってくる頃には体重が40キロまで減っていた彼は〈インドで終わったかと思った〉と言うが、こうした臨死体験も含めたさまざまな経験が現在の彼の達観したような懐の深さに繋がっているのだろうし、たとえば“アベマリーア!”の〈ほんのそこまでのつもりでいたのに 気ずいた時には 見知らぬ国 はるか地の果て さすらってたのに ふと立ち止まれば いつものここ〉といった歌詞にも、その影響が表れていると言えるだろう。

「そこから秩父に戻ってきて、タクシー運転手を始めたのが39歳だったかな。(放浪を終えたのは)もう青春が終わったんでしょうね」

 

秩父の音楽が与えた影響

連載の第2回で秩父の天空集落・石間を訪れた際に、後に秩父事件へ至るような膨大なエネルギーが、隠れ里のような辺境の集落に渦巻いていたことに驚いた。今回は秩父困民党の決起集会が行われた椋(むく)神社を訪れたが、タクシー・サウダージは「あの時代、山また山で、峠道が情報が一番入りやすい場所だったんでしょう」「明治維新という大きな流れが巡り巡って秩父まで来て、そういった気概が秩父事件に繋がったのでは」と秩父から湧いたエナジーについて分析する。しかし、思い立ったら軽々と海を渡ってしまう彼や笹久保の大胆で積極的な行動力には、確実に〈秩父の血〉が受け継がれているのではないだろうか。笹久保が、秩父の音楽について「閉ざされているから〈俺は俺でやる!〉みたいな部分はある」と語ると、タクシー・サウダージが続けた。

 

「音楽的な面では秩父の屋台囃子。自分が習ったわけではないけど、小さな頃から、お祭りがあると寝ても覚めても聞こえてくる。大太鼓と小太鼓と……あんな独特なリズムはどこにルーツがあるんだろうな?と。それを書いた本もなければ語る人もいないけど、どこかにルーツがあるはずなんですよね。こんな山のなかにあれだけのリズム。ほかのお囃子とは全然違う。あのリズムを小さい頃から聴いてきた影響はあると思います」

【参考動画】和太鼓を用いた秩父屋台囃子

 

「車がない時代は、山一つ越えると違う国、みたいな感じがあった。山の向こうには何があるんだろう?という不思議な感覚がいつもありましたよ。それと、秩父はもともと京都に次いで修験道が盛んな土地でもあった。そういった修験の繋がりでの文化の流れもあったでしょうね。秩父には、聖徳太子の時代からの歴史が全部入っていますよ。いつも中心ではないけど、日本の最初の頃からの歴史の断片がある」

今回のドライヴで、大正~昭和初期にかけて秩父で栄えた機織りが行われていた機屋の前を通った際、笹久保が当時の機織り歌である“柿原番頭さん”をタクシーの後部座席で歌ってくれた。同曲は、産業の衰退と共に滅びた仕事歌を笹久保が歌い継いだ『秩父遥拝』に収められているが、彼が幾層にも堆積する秩父の歴史や文化をひとつひとつ検証し、呼吸し直そうとする軌跡そのものが、秩父前衛派の歩みと重なっている印象がある。こうしたテーマについては、回を改めてじっくりと笹久保本人に聞いてみたい。

 

 

それぞれの音楽について

道中、笹久保は仕事歌以外にも車内でぽろぽろとギターを爪弾いてくれていたが、ハンドルを片手にその音色にじっと耳を傾けていたタクシー・サウダージが、おもむろに両者の音楽の違いについて語り始めた。

「スペイン語とポルトガル語の違いというか、ブラジルとペルーの音楽はちょっと違う。それと、根ざしている時代の問題もあるだろうね。伸の音楽は、どちらかというとマイナー(短調)だよね? 暗いと言えば暗い。仕事歌や遊び歌でも、もっと軽いノリの明るい音楽を歌ってもおかしくはないのに。とはいえただ明るくしても彼の音楽にはならないでしょう。伸のギターには暗さとは別に技術的に凄いものがあるし、こちらがドキッとするような音を出す。そこが落ち着ける場所なのかな?」

秩父観光の名所である長瀞に始まったタクシー・ツアーは、太田や吉田といった歴史ある地区へのドライヴを経て、嶺続きの秩父にあって唯一の独立峰・美の山(蓑山)の頂上でクライマックスを迎えた。秩父を360度見渡せる景観のなか、夕日が差し掛かり始めた山頂でタクシー・サウダージは“アベマリア―ア!”と“ながれ雲”の2曲を歌った。口笛で披露した後者は新曲で、実は歌詞も付いているのだという。話は必然的に次回作のことに。

 「(楽曲のストックのなかには)その時代で終わっているものも多いけれど、いくつかこれまで作った曲もある。あと3~4曲作って、来年の秋くらいまでにはもう一枚できれば。コロッといっちゃう前には出したいな(笑)」

また、彼は笹久保との共作曲への可能性と希望を何度か口にしており、冗談交じりに具体的なイメージまで語ってくれた。

「誰でも聴けるヒット性があるくらいの感じで、伸の音楽的な部分も活かせるような構成にしたい。そんな曲を書きたいですね。パコ・デ・ルシアジョン・マクラフリンアル・ディ・メオラとやったような曲(“二筋の川”)のような。いつか秩父の歴史にビシッと刻めればいいですね。秩父の太鼓でも使おうかな?」

 

笹久保の言葉ではないが、筆者自身、ボサノヴァやフォルクローレに深く傾倒したことはないにもかかわらず、彼らの音楽に惹かれていることが不思議だった。いま考えれば、そのヒントが取材後の酒席でのワンシーンにあったように思う。それは、「基本的にはいろんなジャンルの音楽を聴く」というタクシー・サウダージが、筆者に「最近面白い日本語ラップはないか?」と質問してきた一幕での出来事。彼の口からSIMI LABSHINGO★西成の名前が飛び出したことに驚いたと同時に、いい日本語のラップがあれば聴いて挑戦してみたい(!)と真剣に話すタクシー・サウダージに、日本語の表現にこだわるアーティストとしての矜持を感じた。また、笹久保とは環ROYKILLER-BONGの話になったが、隙あらばヒップホップであろうが面白いサウンドは呑み込んでやろうという音楽家としての野心を垣間見た気がした。秩父というローカルに根差し、ボサノヴァ/フォルクローレというそれぞれの武器を手にしながら、一方ではジャンルの枠にとらわれず自由に垣根を飛び越えていけるスタンス。そういった〈いま〉の音楽を体現しようとする意志が滲み出ているからこそ、彼らの音楽に魅かれているのかもしれない。

 

 


なお、そんな2人が1日ずつワンマン・ライヴを披露する連続公演〈2 nights of CHICHIBU〉が、12月11日(木)と12日(金)に渋谷のサラヴァ東京で行われる。最近ではTV番組「題名のない音楽会」への出演でも話題となったタクシー・サウダージと、彼を発見し、秩父発の新たなムーヴメントの中心にいる笹久保伸の2人を、絶好のタイミングで観れるコンサート。ぜひ生で体感してほしい。

 

〈Ahora Corporation presents 2 nights of CHICHIBU〉
★2014年12月11日(木)★
【TAXI SAUDADE with RITMO JA BOSSA】
タクシー・サウダージ:ギター、ヴォーカル
漆畑 邦仁:ヴァイオリン
山田 あずさ:ヴィブラフォン
服部 正美:ドラム、パーカッション
宮野 裕司:アルト・サックス
木幡 昌敏:ベース
新井 政輝:トランペット、キーボード
【オープニング】
八木のぶお(ブルース・ハープ)
予約ページ:http://l-amusee.com/saravah/schedule/log/20141211.php

★2014年12月12日(金)★
笹久保伸 『秩父⇆アンデス』
曲目:アンデス音楽、秩父の歌、自作品
予約ページ:http://l-amusee.com/saravah/schedule/log/20141212.php

会場:サラヴァ東京(渋谷)
TEL/FAX:03-6427-8886
http://l-amusee.com/saravah/
開場/開演:18:00/19:00
チケット代:前売 3,500円/当日 4,000円(共にドリンク代込み)