秩父を拠点に活動するギタリスト・笹久保伸と、彼を中心とするアート運動〈秩父前衛派〉を軸に、同地から生まれる新たな潮流に迫る連載〈秩父は燃えているか〉。今年6月、笹久保とサンポーニャ奏者の青木大輔は、伝説的なデザイナーである粟津潔の展覧会に参加するためにキューバへ渡航。その際に笹久保がつけていた日記と撮り溜めた素晴らしい写真の数々を、Mikikiエクスクルーシヴで公開します! なお、近日中にキューバに関する内容もたっぷり含んだ連載第8回を更新するのでお楽しみに!

 


 

 

2015.6.1
成田空港~トロント経由でハバナに到着。21:30着。
ビザ手続きの関係で入国に時間がかかりだいぶ待たされた。
キューバは時間の流れがゆっくりしている場所であると、いきなりここで感じた。在ハバナの日本大使館とキューバ外務省のバスが出迎えに来てくれた。
夜12時に宿に着き、12:30頃近所のバーにご飯を食べに行った。

2015.6.2
夜3:30に寝て爆睡、しかし時差ぼけでAM5:30に目が覚めてしまう。
朝から一日中雨。
AM7時に散歩に出かけた。市場、海を散歩。
マンゴー、グアバ、ヤシの実、バナナ、パイナップルなどを市場で購入。
市場の男は全員筋肉質で、格闘家のようだったのが印象に残った。
AM9時に宿へ帰宅しフルーツとパンを食べ、Casa de Asia(アジアの家)へ移動。
Casa de Asiaにて粟津潔展の設営準備を開始。
キューバの高校生でアニメオタクのダビとラウルが手伝いに来た。
ダビは映画をみて覚えた流暢な英語と、アニメを見て覚えた無茶苦茶な日本語で場の雰囲気を明るくしていた。
ラウルは超高速なスペイン語でキューバの現状を熱く語っていた。
日本の17歳よりも全然大人だという印象。キューバは未来がある国だという事を感じた。
設営はPM16:30に終了。その後少し散歩し、宿へ。
休憩し、インターネットができるというホテルへ行った。
キューバはネット環境が悪くWi-Fiができる場所はごく限られている。
もちろんほとんどの家にネットはない。
ホテルで1時間700円ほど支払いネットをした。
咳が出るので薬局を探したが、すでに閉まっていて開いている店はなかった。
その後近所のレストランでメンバー4人と夕食。

 

2015.6.3
時差ぼけの影響がありAM5:30に起床。時差ぼけは想定内。
青木大輔氏はAM6時に散歩へ出かけ、コーラ2本、水4本買ってAM8:30に帰ってきた。
これが彼の海外最初の一人での買い物&散歩となった。
AM9時にメンバー全員とCasa de Asiaへ設営へ出かけた。
途中道ばたでサンドイッチを二度食べた。
個展の設営は順調に進んだ。設営中はキューバ人スタッフにキューバの現状について1時間ほど会話。
彼との会話から観光客には見えない「本当」のキューバを垣間みる事ができた。
スケジュールが落ち着いたら郊外にも行ってみたいと思った。
やはり中南米諸国はそれぞれの事情を抱えていて、どこの国にも難しさがあるが、町の人々は明るくとてもやさしくて親切。
こういう土地からいい音楽やアートが生まれないわけがない、と納得。

設営の休憩時間に中央広場を散歩。古本や骨董品などが売られていたので、
Cesar Vallejoの詩集を約400円で購入。ハバナに来てもVallejoを買ってしまった。と同時にAlejo Parpentierの本も2冊購入。
1940年代のスイスの時計やキューバ製の時計なども売られていた。
Ultra Marという時計がかなり渋くてかっこよかった。

今日は町の路上でマンゴー売りを見かけた。
「マンゴー、マンゴー」と言いながらマンゴを売っているのだが、
気がふれている人なので、マンゴーマンゴーと言いながらマンゴを食べていた。
その光景がだいぶシュールだった。

 

午後には日本大使館の文化担当官が設営の様子を見に来てくださり、その後オープニング式典の打ち合わせなどをおこなった。
打ち合わせ中に突然の豪雨。時差ぼけの睡魔に襲われる。
雨に濡れながら帰宅。途中でパンを買った。
帰宅して青木氏と少し練習。夕食はなし。

2015.6.4
AM6:00起床。少しキューバ時間の体になってきたが、まだ体に違和感あり。
キューバに来て4日目。外国にいる感じがしない。
ペルーに比べると比較的治安もよく、ペルーのように道ばたでしつこく絡まれる機会もほぼない。
起床してAlejo Carpentierの小説を読むが、辞書がないと細部まで読み込めない自分の語学力の低さを痛感する。
今日はまずLeo Brouwerのオフィスに遊びに行った。(Leoはキューバの作曲家)
その後Leoのオフィスからすぐの所にあるキューバ芸術家協会を訪ねハバナビエンナーレ関連の個展を見た。
一時間ほど展示を見たあとにキューバのギタリストで作曲家のEduardo Martinと合流しお昼を食べた。芸術家協会ではキューバのギタリストのAhmed Dickinsonのお母さんに偶然会い、AhmedのCDをもらった。
Eduardoは知識人で話していてとても面白かった。ロブスターを食べた。
その後 Casa de Asiaに移動し、PM4時から粟津潔展のオープニングだった。
演奏し始めたとたんに雷雨(豪雨)になったけど、雨と雷の中で演奏するというのもなかなか気持ちがよかった。来場者は10代から幅広い年齢層の人々が来たけれど、若い子達が特に多かったのはうれしかった。

 

2015.6.5
なぜか夜中の3時に目が覚めてしまう。疲労を感じる。
今日はISA(芸術大学)へ行き講義をした。
僕は過去に多摩美でやった講義を土台にして自分のこれまでの活動をコンパクトにまとめて話した。主にペルーでの活動と帰国してからの秩父での活動について。新作映画「PYRAMID」を観せた。数人の学生が興味を持ち、映画DVDのコピーを渡した。Eduardo Martinの娘のGalyも聴講に来てくれた。
その後、日本大使館の文化担当官のAさんと一緒に昼食。(鶏肉を食べにいった。)
3時半くらいに帰宅、そしてまた雨。ほぼ毎日この時刻に雨が降っている。

2015.6.6
6時に起床。腹の具合が悪くなる。おそらく生ジュースの飲み過ぎ。
今日は個展会場であるCasa de Asiaにてワークショップ。
大勢の若者やキューバ人の日本アニメオタクなどが参加し不思議な雰囲気。
ワークショップでこちらの意図した事はキューバ人にはあまり伝わっていないようだったけど、みんな自分の名前を習字道具やハンコを使って日本語で書いたりして楽しんでいた。
その後、casa de asiaからすぐのところにある中央広場にて青木氏と僕でライブをした。コロンビア音楽を演奏した時にコロンビア人観光客が合唱してくれたのはうれしかった。野外ライブだったので暑かった。
その後 青木氏の髪をキューバスタイルにカットしよう、という話になり、床屋に行った。そして床屋にたむろしていたヤンキー女集団に絡まれた。
彼女らの力強くバイタリティに溢れながらまくしたてるあの感じにキューバの「土台」にあるバイタリティを感じた。
「私はこの店の店主なんだぜ、100円くれよ。ここに葉巻があるから300円で買えよ。写真撮ったなら100円くれよ。でもビールは150円だから50円も忘れるなよ。」これを延々とまくしたてながら言って来るのだ。
しかも彼女は店主どころか店員でもなんでもないただの通りすがりのヤンキー集団のリーダー。完全に圧倒されて終了。
青木氏の髪型はキューバスタイルになりかっこよくなっていた。

2015.6.7
今日は日本での自分の新作アルバム『道行く人よ、道はない』の発売日。
朝は近所の商店街に行き約20円くらいのハンバーガーで朝食。うまい。
その後Casa de Asiaに個展の様子を見に行った。日曜はPM12時に閉館なので、皆でパイナップルジュースとグアバジュースを飲んで昼過ぎに帰宅。
個人的にはすごくグアバにはまっている。帰宅し休憩し、夜は青木氏が路上演奏をするのでみんなで外へ出た。商店街で勝手に演奏しまた20円のハンバーガーを食べて帰宅。

 

2015.6.8
今日は粟津展をしているCasa de Asiaが休館日。月曜休館は多いらしい。
多少時差ぼけがありAM4:20に起床してしまい、ヒマなので青木氏の鼻をトイレットペーパーでくすぐり起こしてみる。しかし青木氏はほぼ無反応で寝ている。ビエンナーレが開催されている要塞へ行ったが、月曜なのでどのギャラリーも閉まっていた。そこでサトウキビジュースを2杯飲んだ。激ウマ。
数日間見た感じビエンナーレがあまり盛り上がっている様子はない。

2015.6.9
朝起きてベダード地区へライブハウスのスケジュール表を見に行った。
その後芸術家協会まで行き鷲尾友公氏とお昼。
その後画家のRoberto Fabelaの個展を見に行き、帰宅しギターを練習。
夜は在キューバ日本大使館のY氏とA氏らとロシア料理店で夕食。
海のそばのロシア料理店の建物のある一階はキューバ人の貧しい住居だった。
ここに来て思う事の一つに、キューバ人も観光客のような食事ができたらいいのに、と思う。自分が何をどう感じようが、何をどう思おうが自分はここで外国人である事には違いないが、ラテンアメリカ諸国と同様にキューバでも政治的社会格差の現状に胸が痛む。ふと、幸せとは何なのかと考え、粟津潔が作品にしている「幸福は一杯いくらですか?」という言葉が頭をよぎり、自分はアーティストとして様々な現実を目撃するためにここに来たのだと悟る。
なるべく多くのキューバ人と交流し「キューバ」の断片を目撃する事でそこから学びマクリヒロゲたい。

 

2015.6.10
夜中から体調不良になり、一日寝る事に。
胃と腸の具合が悪い。疲労、食事、水、ストレス、すべてが要因だろう。
結構具合悪い。強いて言えば相当悪い。隣をみたら鷲尾氏と青木氏も具合悪くなっていた。考えてみればキューバでの生活は結構ハードで日本の生活とは全然違うのでそろそろ具合が悪くなっても当然だと思う。毎日忙しくしているし。
今日は一日何も食べないで水だけで過ごし、体内のものを外に出す事につとめる事にした。

2015.6.11
めっちゃ体調不良。おなかをこわし、吐き気。
一切何も食べていない。メンバー3人同じ症状。
両替屋に行っただけで体力限界。

2015.6.12
今日はテレビ局2社へ行き、展示とコンサートの宣伝をしてきた。
その後にベダード地区へ行き道ばたの壁や電柱にポスターを貼りまくってきた。
遅めの昼食はオニオンスープ。美味しくはないが仕方ない感じ。
レオ・ブローウェルのオフィスにも寄って来た。
帰宅し練習。

 

2015.6.13
引き続き体調不良。メンバー4人全員体調不良になった。
午前中はネットをしに近くのホテルに行き、その後近所で写真撮影をして帰宅。
2時間練習しレストランで昼食パスタ。具合悪いので食べない事にしようかと思ったが、あまり食べないのも良くないので久々に食べた。
満腹になり具合悪くなった。ギタリストのEduardoに電話したら、息子でピアニストのDarioが16時からコンサートをするというので聴きに行った。
良いコンサートだった。Darioは優秀なピアニストだった。アメリカに留学中で今月ちょうど一時帰国中らしい。コンサート会場は国立図書館のホールだったのだけど古い感じのホールで風情があってよかった。ホールはクーラーがきいていた。会場にはキューバの作曲家が数名来ていて知り合った。ついでにEduardoと明日のコンサートの打ち合わせをした。しきりに「ここはキューバだから何が起こるかわからないんだ」と言っていた。話をよく聞くと、コンサート会場の音響エンジニアが逃亡したようでホールエンジニアがいないという事だった。だけど、文化庁に電話して手配してくれたらしい。だがここはキューバなので当日に実際に来るかわからない、と言っていた。
そういう感じはペルーとまったく同じ。

2015.6.14
今日はキューバでのソロコンサートだった。
人が来るのか心配していたが満席で立ち見が出た。
演奏を始めると外が大雨と雷になり、いい感じだった。
コンサートを企画をしてくれたEduardo Martinに感謝。
歌手のGerardo Alfonsoはとてもいい人だった。

 

2015.6.15
昨日の疲労が残っている。Casa de Asiaは閉館日。月曜は美術館も博物館も休み。午前中は町の写真を撮りに行くが、滞在が長いのでもう新鮮さがなく苦戦。
写真は風景が新鮮なうちのほうが何かと撮りやすい。もちろん今だから撮れるものもあるのだけど。鷲尾氏と合流しランチ。食事をとると具合が悪くなる。ここ最近はみんな一日一食生活が続いている。まるでダイエットみたいだ。午後は帰宅してギターを少し練習。日本の雑誌BRUTUSから頼まれた原稿「太陽を感じさせるアンデス音楽」を書きはじめた。キューバでアンデス音楽について考えている自分がどこかちょっと面白く思えて来る。

2015.6.16
今日はSilvio Rodriguezに会いに行った。Silvioはキューバの国民的な音楽家。
彼の音楽はラテンアメリカ諸国で圧倒的に支持されていて民衆的な力のある音楽。音楽的にもとても興味深い。
Silvioは穏やかで素晴らしい人だった。日本の政治の話、ビクトル・ハラの話、キューバの政治の話、秩父の環境破壊の話などをして過ごした。キューバでSilvioと武甲山の環境破壊について会話しているのはまたシュールだ。
帰り際にはたくさんお土産をいただいてしまった。
その後Eduardo Martinの家に遊びに行き、ひたすらキューバ音楽談義。
黒人音楽のリズム、彼の作品の演奏の仕方、ギター演奏技術について長い時間話した。Eduardoは人として素晴らしい。
濃い一日だった。

 

 2015.6.17
キューバで初めて紅茶を飲んだ。レモンティ。うまかった。
午前中は個展会場のCasa de Asiaへ行った。イタリア人の写真家が展示を見に来た。昼を食べて午後3時くらいに帰宅。
夜は日本大使館の方々と刺身が食べられるというレストランに行った。
いわゆる日本の刺身とは別物だが、生魚ではあった。
セビッチェはオリーブオイルが入っていてちょっと微妙だった。

2015.6.18
今日はSan Antonioという町へ行った。Davidという友人の出身地であり、Silvio Rodriguezの出身地でもある。
田舎町。田園、緑の風景、バナナの木とヤシの木だらけ。
緑の風景はとても気持ち良かった。良い町で人々も落ち着いていた。
ただ、めちゃくちゃ暑くて体力を消耗した。日差しがきつい。
San AntonioのDavidの家でお昼を食べて、夕方帰宅。疲れたので少し昼寝した。

 

2015.6.19
今日はハバナの芸術大学にて講義。前回よりも人が少なかった。運営者(大学の先生)のやる気なさが手に取るように伝わって来る。
日本大使館のAさんとランチ。午後は先日道で出会った民芸品を作る人に依頼しておいた帽子を受け取りに行った。
特注で作ってもらったレゲエみたいな帽子。この町の道ばたのアーティストたちは、この町のギャラリーで個展するこの町の美術家たちよりもクオリティが高い気がする。その後青木氏は再び床屋へ行き、さらにキューバカットになっていた。その後ネットをしにホテルに行ったがネット接続が遅すぎて全然仕事にならなかった。

2015.6.20
ホテルで粟津氏、青木氏と朝食。僕は紅茶とアイスを食べた。
日本にいたら朝食にアイスと紅茶は食べないが、キューバならありえる。
AM11時、粟津氏は床屋へ行きキューバカットになった。
今日は粟津潔展の最終日。13時からミニライブとワークショップ。
長い展示だと思っていたがもう最終日、やはり終わってみるとあっという間。
ミニライブ&ワークショップには多くの人々が来てくれた。
若者が多かったのはうれしいし、盛り上がった。
ワークショップが終わった瞬間に作品撤収作業を開始。
撤収を大体終えた所で帰宅。疲労。早めの夕食を食べて昼寝。昼寝なのか夜寝なのか。今Silvio Rodriguezを聴きながらこの日記を書いている。
まだすべてのCDを聴いたわけではないがSilvioとRey GuerraのCDがとても素晴らしい。夜12時に近所にあるライブハウスに行った。音響が悪くかなり最悪だった。音楽も微妙。

 

2015.6.21
キューバ滞在の最終日。AM7時に起床。
メンバー全員で近所のホテルで朝食。ネットをチェックし粟津展の後片付けをするためにcasa de asiaへ。片付けは13時に終了。
一度帰宅し、近所のレストランで昼食を食べて昼寝。暑い。
夜、日本のレコード会社の社長がキューバに到着し、PM11時にホテルにてお茶をした。

2015.6.22
朝4時45分、友達になったタクシー運転手のシモンが迎えに来てくれた。
眠い&疲労で辛い朝。
8時の飛行機で東京へ出発。