豊かな表現力が誘う不可思議な別世界

 可愛らしいルックスや声優として演じてきたキャラクターのイメージとは違う、シニカルで独特な世界観を音楽活動で表現してきた悠木碧。アーティスト・デビューから3年にして、初のフル・アルバム『イシュメル』がリリースされた。

 「今回は全曲を通したストーリーになっています。女の子が暮らしている家で、小さい頃からずーっとスキマに何かがいる。でも、家族はみんな見て見ぬふりをしていて。そのスキマの向こうには〈かいじゅう〉たちがいて、いたずらをしている……というお話です。作詞の藤林(聖子)さんに〈靴下ってなんで片っぽがなくなるんですかね? 私はスキマのかいじゅうの仕業だと思うんですよ〉と冗談めかして言ったら、すごく可愛い詞にしてくださいました」。

悠木碧 イシュメル flying DOG(2015)

 冒頭の“SWEET HOME”では穏やかな曲調のなかで少女が家で感じる不気味さを歌い、2曲目“アールデコラージュ ラミラージュ”ではスキマの世界のなかのターミナルを描く。そこにはたくさんのドアがあり、開けると別の世界に繋がっていて――そのひとつが静謐な“たゆたうかなた”だ。

「海のような宇宙のような空のような重力感のないフワッとした世界で、ちょっと死の匂いがする。実はうちで飼っていたべタという綺麗な魚が死んでしまったんですけど、フワフワ、キラキラしたまま薄い膜と共に浮いていた死に様まで美しくて。私のなかでは彼への追悼曲でもあり、主人公は天使のような存在だと思います」。

 1曲ごとにもこうした世界観があり、アレンジもゆったりした三拍子から高速のスウィング・ジャズまであるが、悠木碧は役を演じるように、豊かな表現力で歌っている。声優ならではの凄技も使いつつ。

 「例えば“ダスティー! ダスティーストマック”では、かいじゅうと女の人で5組のキャラクターが出てきて、声音は全部変えているので、誰でも〈いろんな声がする〉とわかります。全員で歌うところは、1人なのに合唱になって楽しかったですね。声優が歌う意味を込めるのも、ずっとソロ活動のテーマにしているので」。

 かいじゅうたちはバラけて他の曲で主人公になっていたりも。アニメ主題歌だったシングル“ビジュメニア”“クピドゥレビュー”は、スキマの世界から繋がる別世界のひとつとして新たな意味付けを持った。聴いていると、本当に違う時空に引き込まれたように感じるアルバムだ。

「もしかしたら自分の世界もこうなっているのかもしれない……なんて思っていただけたら大成功かなと。ヘッドフォンで目を閉じて聴いたとき、トリップしたように感じてもらえたら嬉しいです」。

 そしてもうひとつ、悠木碧には譲れないこだわりがある。それは、〈可愛いだけじゃ終わらない〉ということ。

 「愛でていればいいだけのものにはなりたくない、というのはあります。裏切りたくないから先に言ってます。もし私に純情で清廉なイメージを持ってくれていたら、いままで演じてきたキャラクターと悠木碧は違うんだよと。ソロで表現するうえで自分の個性は重要で、それは〈可愛い〉だけではなくて。申し訳ないけど、私も人間。ご飯も食べれば、お手洗いにも行く(笑)。虚像ではいたくないというのが、いちばん大きいかもしれないです」。