憎まれ役が一人もいない落語のような人情ドラマ
1人でなんでもやる。おじいさんになったりおっかさんになったりはっつぁんになったり。ときには犬になったり狐になったり。右と左を向いているときはもう違う人物で、2人が会話をしていたかと思うと、さらに隣で見ていたそば屋の客にもなる。小道具は扇子と手ぬぐいだけ。これだけでなんでもできる。お腹がすいたら扇子をパチンと鳴らす。割り箸が見える。蕎麦だって食べる。1枚の座布団の上から立つことすらしないのに、ご隠居さんの家にも、縁日にも行く。
落語のことである。座布団に座っているのは1人。ところが複数の登場人物が、左手にはお椀が、右手の扇子の先には熱々の蕎麦が見えてくる。頭を使って笑う、そしてみんなで笑いを共有する。落語が叶えるあまりに豊かな空間がそこにはある。
落語家・林家たい平は「親子で楽しむこども落語塾」(明治書院)など、落語の〈子どもの想像力を膨らませる〉という側面に重きを置いて活動する噺家の1人だが、この映画「もういちど」はそんなたい平に賛同した意外なメンバーにより、伝統文化である落語に多くの人に出会ってほしいという願いの下、落語の新しい映像作品として制作された。監督は、人気アーティストのミュージック・クリップやライヴ映像作品など数多くの作品を手掛ける板屋宏幸。さらに主題歌を担当したのは板屋監督と交流の深い浜田省吾、美術監修には「思い出のマーニー」など世界的に評価も高い種田陽平。たい平はそのまま〈たい平〉という噺家を演じる。
映画の中のたい平は、自分と同じように心を閉ざしてしまった少年・貞吉に落語を教えることになる。稽古の場面では、縁日に向かう父と息子をえがいた「初天神」や、おなじみの「時そば」など、じっくりと落語を楽しませてくれる。たい平を真っ正面からとらえたアングル。彼はカメラ目線で、貞吉に、そしてこちらに向けて、それは丁寧に稽古をつける。落語の魅力を、観ている私たちに語る。まっすぐでやさしくて面白くて目が離せない。三遊亭金馬師匠の存在感にも天晴れ。縁側に座っているだけで、映画の印象を際立たせている。