「そりゃもう肺に空気が一気に流れ込んできたみたいで、ホッとしたわ!」。
着手してから3年、海外では昨年11月に配信先行でようやくファースト・アルバム『Broke With Expensive Taste』を発表するに至った時の気分を、アジーリア・バンクスはこう振り返る。2008年、17歳にしてXLに才能を見い出され、シンプルに見えて幾重にもヒネった軽妙な表現を満載した傑作シングル“212”(2011年)で、一躍脚光を浴びたこのNY出身のラッパー/シンガーは、所属レーベルとの衝突もあり、たびたびアルバム・リリースを延期。その間もEPやミックステープで存在感を維持してきたわけだが、まずは待った甲斐ありの一枚、と言えるのだろう。ニッキー・ミナージュに続く大型女性ラッパーと目されていながら、メインストリームでの成功など眼中にないかのように、変化球を投げまくっている。
AZEALIA BANKS Broke With Expensive Taste Prospect Park/HOSTESS(2015)
「最初に私はこう自問したの。〈凄くイケてるけど、貧乏なアーティストになりたいの? 超リッチだけど、イケてないアーティストになりたいの? それとも、全部自分でやりながら凄くイケてるアーティストをめざし、どこまで行けるか試してみる?〉と。3つ目の選択肢が、いちばん自由度が高かったのよ」。
そう、本作での彼女は、エイラブミュージックやローンほか英米の先鋭的なクリエイターによるトラックを次々とジャック。ディープ・ハウスからトラップまでを呑み込んだアッパーなオケに、独特のリズミカルなライムと歌を絡めている。アーバン・ポップとエレクトロニックなクラブ・ミュージックの交配が進むなかでも、アジーリアのスタイルはとても大胆だ。「私はダンス・ミュージックが大好きだし、踊りたいし、悲しい時でもそういう自分をジョークのネタにする人間だから、音楽を演っている時はグッド・フィーリングを満喫したいのよ」と彼女。コラボレーターにはみずからアプローチし、参加を請うたという。
「何か良いアイデアが浮かんだら、〈どうしたら曲にできるかしら?〉って考えつつ、ビートを探してリサーチをするの。しかも私は昔からネット・オタクだった。音楽系のブログを読んで、小さい頃からファイル共有サーヴィスを駆使し、タダで音楽を聴きまくっていたわ(笑)。そんなふうにして触れた膨大な量の音楽から知識を深めていき、何が最先端で何が時代遅れなのか、いつも目を光らせていたのよ」。
かと思えば、バチャータが聴こえたり、アリエル・ピンクと組んでサーフ・ロックを採り入れたり、守備範囲は恐ろしく広い。アジーリアいわく「故郷の町が、自在にジャンルを横断する身軽さを与えてくれた」とか。
「NYは知っての通り巨大な坩堝で、インターネットみたいな部分があると思う。どこにも行かずに多くのことを学べるのよ。ドミニカ系移民が暮らすワシントン・ハイツがあって、チャイナ・タウンがあって、インド系の住人が多いマレーヒルがあって、ハーレムには西アフリカ系のコミュニティーがあって、世界中のさまざまな国の文化に触れられる。そういう体験が、私の音楽嗜好に反映されたんじゃないかな」。
そんな町で育って幼い頃からミュージカルの舞台に立ち、パフォーミング・アーツの名門高校を中退して音楽業界に飛び込んだアジーリア。〈一文無しなのに嗜好は贅沢〉なんて意味合いのアルバム・タイトルは、19歳の時に決めたそうだ。ある日突然セレブの仲間入りをしたもののドレスアップするお金もないという、皮肉な状況に陥った自分の悔しさを表していると共に、そこから旺盛な上昇志向も窺えよう。
「音楽を作って生きていけるなんて凄く恵まれているし、スケジュールを真っ白にして新しい曲作りに専念できる日を楽しみにしている」と話す彼女は、23歳にして百戦錬磨の頼もしい女性である。
アジーリア・バンクス
NYはハーレム出身、91年生まれのラッパー/シンガー。2008年からミス・バンクス名義でMySpaceに曲をアップし はじめる。メジャー・レイザーのEP『Lazers Never Die』(2010年)への参加を経て、2011年末にシングル“212”がヒットを記録。同時期にNMEの〈Cool List 2011〉で1位に選ばれる。2012年にインタースコープからEP『1991』をリリース。その後、チャイルディッシュ・ガンビーノ作品への客演をはじめ、イギー・アゼリアやエンジェル・ヘイズとのビーフでも話題を集める。今年に入って3月に〈SPRINGROOVE〉で来日。5月6日にファースト・アルバム『Broke With Expensive Taste』(Prospect Park/HOSTESS)の日本盤をリリース。