Pierre Boulez and Andrew Gerzso (Ircam music computer designer)
Pierre Boulez and Andrew Gerzso behind an electroacoustic system for Repons, Espace de projection at IRCAM (undated) (C) Ralph Fassey

 

ラマンタシオ-哀歌-

 かつて筆者はIRCAMの地下にあるスタジオで、たまたまソフトウェアのマニュアルを取りにいくために別のスタジオへ探しに行った。いずれのスタジオでも置いていないので、もう見つからないのかと諦めかけていた矢先に、最後のスタジオで思いもよらない光景に出くわした。あまりにも予期していなかった光景なので唖然と立ちつくしてしまった。そこにはなんと、あのピエール・ブーレーズがコンピュータの前で何やら取り組んでいたのだ。何か大げさな表現のようだが、その場のある特別な空気と光を感じざるをえなかった。後光が射して見えるという神格化する意味ではなく、ただ単に特別な雰囲気という意味だけである。予期せずブーレーズがその場にいたことも驚きであるが、むしろその瞬間はその特別な雰囲気に驚いたと言うのが正直なところだ。なぜか探し回っていたマニュアルがそのスタジオに限ってあったが、さすがにその場所に入ることが出来なかった。すぐに謝り、その場を去ることしか出来なかった。

 その頃、ブーレーズは彼の(Maxのプログラミングなどの)アシスタントのアンデュルー・ゲルツォーと一緒にスタジオで《ヴァイオリンのためのAnthemes(アンテム)》の再演のためにあらたなヴァージョンに取り組んでいたのだ。ちなみにブーレーズはすでに初演された作品を、演奏される度に何度も修正し直すことで知られている。本人がMaxのプログラムを書いたことはないとしても、多分たまたま出くわした時は、そのプログラムを本人自身でテストしていたのだろう。IRCAMから帰路につく途中、その事を再び思い出し、もし自分があの年になってもまだコンピュータのプログラムを触ったりしているだろうかと改めて考えさせられた。実際に我々日本においてあの世代でコンピュータを扱いながら作品を発表する作曲家が何人いるのかと視点を置き換えて考えてみてもいいであろう。

 話は変わるが、ブーレーズはIRCAMを設立して、しばらくディレクターとして働いた後、長い間名誉ディレクターとして席を置いていたに過ぎない。それでもしばしばIRCAMの廊下等で出くわすことはあった。意外と背は低く、とても穏やかに話をする氏であった。普段目にすることができる写真と比べれば、予想する以上に歳はとって見えた。もちろん年齢から考えれば当然である。しかし、それでも晩年に至るまで世界中の重要なオーケストラの指揮を続けた。今でも、《レポンス》(1980/82/84)を自ら指揮していた光景を覚えているが、指揮に立つと全く異なる人物に見えたものだ。

 この《レポンス》も何度も改訂されたことは有名である。実は初演の際は、途中でコンピュータがフリーズしてしまったアクシデントがある。あの完璧主義のブーレーズの作品でこのようなアクシデントがあり、そこでの会場はとてつもない凍り付いた雰囲気に一瞬なったという。すぐ指揮をしている本人が聴衆側に振り向いて、コンピュータをライヴエレクトロニクスとして扱う困難さに軽く触れ、謝罪してからは、その場の雰囲気は少しは和んだと言う。しかし、それは80年のコンピュータを使用してでの話であった。実際にはライヴエレクトロニクで使用できる性能を十分に備えているコンピュータは当時にはなかった。しかしそれでも、あえてそれを用いて作品をすでに制作していたのである。この作品は未だにライヴエレクトロニクスのコンピュータと楽器のための作品として重要な位置を占めている。

 再演の際にリハーサルで扱っていた楽譜をブーレーズのアシタントから借りて見せてもらったことがある。さらに別のアシスタントが、後の別の機会のリハーサルの際に録音したレポンスを借りて聴かせてもらった。上記の楽譜と、この録音を合わして聴いたところ、何度聴いてもそれらが一致しない。やはりこれも随分と改訂されていたのだ。さらに最後に実際に聴いたヴァージョンでもさらに異なっていた。つまり作品の完璧さとさらに高い質を求めて、何度も、そして何度も改訂しているのだ。このとことん完璧を求める信念については尊敬の念を抱かざるを得ない...。

 人の死はときにはある感慨を与えるものであり、悲しいものでもある。現代音楽、コンピュータ・ミュージック、そして著名な指揮者でもある歴史上重要な人物が、去る2016年1月5日に 、この世を去っていった。世界中で多くの人々から惜しまれ、生前の偉業は改めて振り返られ、評価されることになる。偉大なものを作り上げた者だけに許されることは、その作品が彼等の分身としていつまでもこの世の中に残り続けることができることである。改めてその人物の生涯を振り返ることになる際に、 その偉業は高い歴史的な位置づけとして再確認されることになる。その人物とは、すでに何度も名前が出てきたピエール・ブーレーズ(1925年3月26日、フランス、モンブリソン生まれ、2016年1月5日、ドイツ、バーデン・バーデン没)である。