Ensemble intercontemporain
――怒れる男が創設した、希望の集団――
怒れるブーレーズ
つい先日、NHKで95年にピエール・ブーレーズが来日した際の映像が放映されていた。曲目は、ラヴェルの“ダフニスとクロエ”。
素晴らしい演奏だったのだが、何より驚いたのは、その指揮。あらためてじっくり画像で観ると、その精度が尋常ではない。指揮棒を持たず、両手をヒラヒラと色々な形にしてゆくだけなのに、打点はきわめてクリア。そして何より、どこをどんな風に演奏したらよいのか、手と顔を見ているだけでハッキリ分かる。こんな風に振られたら、奏者としてはなんとしても、その意志を実現するほかないだろう。実際、海千山千のN響メンバーが、みな必死の形相でブーレーズに食らいついていた。
聴きながら感じていたのは〈ああ、オーケストラ奏者でなくてよかった……〉という安堵感である。あんなプレッシャーに堪えられる自信はとてもない。指揮台からあの眼で睨まれたら、そしてあんなに正確に振られたら、緊張のあまりミスしてしまうに決まっている(ネガティブ志向なのである)。
実際、かつてのブーレーズは怖かった。大先輩のシェーンベルクが亡くなった際には「シェーンベルクは死んだ」と題した、死者に鞭打つような文章を発表し、ドイツの音楽誌のインタヴューでは、オペラなんかくだらないから〈歌劇場は爆破してしまえ〉と発言して物議を醸した。〈怒れるブーレーズ〉というあだ名が進呈されたのも当然だろう。
EICの生誕
そんなブーレーズは60年代、保守的なフランス音楽界に愛想をつかしてドイツに渡り、指揮者として世界的な活動を展開するようになった。
あわてたのが、当時のフランス政府。国を背負って立つはずの天才をなんとか呼び戻したい。かくして当時の大統領、ポンピドゥーは、新しく立ち上げた現代音楽研究施設IRCAMを、全面的にブーレーズの采配に任せる、という条件で彼を呼び戻すことに成功した。
痛快な話ではないか。フランスという国家が主体になって、ブーレーズを帰国させたのである。しかし、祖国に戻ったブーレーズは、それだけでは満足せず、さらに注文をつけた。新しいアンサンブル団体、それもさまざまな現代作品に対応できるような中規模の編成で、腕利きのみによる団体を設立したいという。しかも、臨時編成ではなく、恒常的に公演を行なう常設団体として。これには莫大な予算が必要になるが、しかし、いうことを聞かないとまた怒り出すに違いない……政府はこの条件を飲んだ。
こうして、76年、ブーレーズの望み通りのアンサンブル、アンサンブル・アンテルコンタンポラン(EIC)が誕生する。
メンバーは選りすぐりの31人。彼らは、時にはひとりで3人分の力を発揮して大オーケストラに匹敵する効果を実現し、時には3人でひとりのようにふるまって、緊密な室内楽を奏でることができる。さらにはそれぞれが独奏者としても一流だから、鬼に金棒、虎に翼。とんでもない団体が出現したのだった。
この団体はその後、20世紀の名作群を超高精度で演奏・録音するとともに、世界中の有望作曲家に委嘱を行ない、破竹の勢いで新作を初演してゆく。そのレパートリーは総計で軽く2000曲を超えるというから、まったく破格のスケールだ。
さて、2013年からこの団体の音楽監督を務めているのが、ドイツ出身の作曲家/指揮者のマティアス・ピンチャー(1971-)である。総裁ブーレーズが亡くなったのが2016年だから、ピンチャーはまさにブーレーズの遺志を継ぐ、最後の音楽監督といえよう。
この夏、彼らが日本にやってくる。〈最高峰〉とはどういうものか興味がある人ならば、これは何をおいても駆けつけないといけない。