月並みな奇蹟=恋愛の甘美さと苛酷さをあらわにすべく
生々しくも完璧な美学を貫くメロドラマの新たな傑作!
それまで互いの存在さえ知らなかった二人が、ある特定の時間と場所で巡り合い、恋に落ちる……。“二人”が男女である必然性はない。男性同士でも『キャロル』で描かれるケースのように女性と女性であってもいい。今この瞬間も世界中の至る所で生起しているはずのこうした出来事は、その月並みさにもかかわらず、奇蹟の存在など誰も信じようとしない現代にあってかなり貴重な例外ではないか。恋愛が(やや大げさながら)奇蹟であるゆえんは、それが常に予期せぬ出来事であるからだ。いつどこで恋に落ちるか、といった予測など成り立たず、それはいつも唐突に訪れる。神の顕現や九死に一生を得る救済といったことばかりが奇蹟の名に値するわけではなく、たとえば、あなたが明日の夜に潜り込む映画館で起こるかもしれない予想外にして月並みな出会いこそ、僕らにとって真に驚嘆すべき奇蹟なのだと思う。
裕福な家庭の主婦キャロルと写真家志望の若きテレーズが、1952年のクリスマスを前に百貨店の玩具売り場で出会い、ほぼ瞬時にして恋に落ちる。当然二人はできるだけ多くの時間を共有しようとデートを重ねたり旅を計画したりし、さらには生活を共にすることも望むだろう。しかしメロドラマは、そうした恋愛のしかるべき帰結を妨げるような障害を幾重にも準備する。恋に落ちた二人はそのまま楽しく過ごしましたとさ……では、残念ながらメロドラマが成立する余地がないのだ。かつて批評的なメロドラマの傑作を何本か撮ったドイツ人映画作家ファスビンダーがある自作の冒頭に置く言葉「幸福が楽しいとは限らない」が、このジャンルに完璧な定義を提供するだろう。恋人たちは相手に巡り会えたことの幸福に浸るが、それが楽しいとは限らず、むしろ耐え難い苦痛に苛まれさえするかもしれない……。
なぜ恋愛は僕らを純粋な楽しみへと導いてくれないのか。予期せぬ出来事とは暴力である。二人がそれまでに築き、営んできた日常に亀裂が走り、彼らの前に異なる光景が広がる。それはなるほど心躍る経験だが、他方で穏やかな日常の破壊であるには違いない。恋に落ちた二人はそれ以前の世界に戻る権利を失うのだ。誰もがメロドラマ的な逆説――幸福だが楽しいとは限らない――を避け、純粋に楽しみたいはずだが、定義上、恋愛は予期せぬ出来事であり、あらかじめそれを遠ざけるなど不可能に近い。そのことを知るがゆえに、僕らはメロドラマに惹きつけられ、涙を流してしまうのではないか。
あらゆる傑作は論理的かつ生理的に自らに相応しい結末を準備し、このトッド・ヘインズによる最新作にしても例外ではない。その相応しい結末がハッピーエンドであるか否かが問題ではないと頭では理解しつつ、それでも僕らは、本作がやがて迎えるしかるべき結末が、愛すべき二人の女性にとってもしかるべき結末であってほしい……と願わずにいられなくなる。
映画『キャロル』
監督:トッド・ヘインズ
原作:パトリシア・ハイスミス著『The Price of Salt』
音楽:カーター・バーウェル
出演:ケイト・ブランシェット/ルーニー・マーラ/カイル・チャンドラー/ジェイク・レイシー/ワラ・ボールソン/他
配給:ファントム・フィルム(2015年 アメリカ 118分)
◎2/11(祝・木)TOHOシネマズ みゆき座他全国ロードショー
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