日本のシーンにも影響を与えた〈天使のささやき〉
黄金期の〈ザ・サウンド・オブ・フィラデルフィア〉を体現した歌姫たち。TV番組「ソウル・トレイン」のテーマ曲でもあったMFSB“TSOP(The Sound Of Philadelphia)”にフィーチャーされ、ギャンブル&ハフが主宰するフィラデルフィア・インターナショナル・レコーズ(PIR)の看板娘となったスリー・ディグリーズは、フィリー・ソウル版のシュプリームス的な存在であり、TLCやSWVの先駆けとなった女性トリオだとも言える。その人気は本国アメリカにとどまらず、『International』というタイトルのアルバムを出したように、世界各国に飛び火。筒美京平らのサポートで日本制作の日本語曲も出した彼女たちは我が国の歌謡界にフィラデルフィア・サウンドを持ち込み、浸透させたという点においても忘れ難い。フィリーで活躍した女性3人組といえばファースト・チョイスや(デトロイト出身の)ジョーンズ・ガールズもいたが、一般的な人気や知名度では群を抜いていたと言っていいだろう。
〈天使のささやき〉という邦題が付いた“When Will I See You Again”に代表される、優雅なオーケストラと、ユニゾンによる華やかで洗練されたヴォーカル&ハーモニー。そしてモデル並みの容姿。曲によってリリックは猥褻だったり、行きすぎたウーマン・リブの風潮に反論してみたりと挑発的だったりもするが、それを可憐と妖艶の間を行き交いながら明るく上品に歌い上げるのが彼女たちの持ち味だった。が、そんなイメージを築いたPIRでの活動期間は、半世紀以上のキャリアのうち、73~75年のたった3年間。結成は63年で、PIRでブレイクする前にも10年のキャリアがあり、PIR離脱後も歌い続けているのだ。
同郷の名匠リチャード・バレットに見い出された彼女たちが最初に契約したのは地元のスワンで、65年にデビュー。当初はソウルと言うよりブリル・ビルディング系のガール・ポップに近いそれで、69~70年にギャンブル&ハフのネプチューンを経てルーレットから“Maybe”のヒットを出した頃には、生え抜きのフェイエット・ピンクニー、ツイン・リードとして活躍したシーラ・ファーガソンとヴァレリー・ホリデイというPIR時代のメンバーがすでに出揃っていた。こうしてPIRで華やかな時代を過ごすのだが、レーベルの事情もあって76年にエピックへ移籍。その際には、後に『One Degree』(79年)というソロ作を出すフェイエット(2009年に他界)が脱退し、代わりに初期のメンバーだったヘレン・スコットが復帰。78年のアリオラ移籍後はジョルジオ・モロダーと組むなどしてユーロ・サウンドを浴び、本国以上に彼女たちを支持していたヨーロッパを主たる活動の場としていく。一方、本国においてはそうしたアプローチが仇となってチャート的には失速していくが、86年のシーラ脱退後もヴァレリーとヘレンが中心となってイチバンなどからアルバムを発表。以降、度重なる来日公演も含めて精力的にツアーをこなしていることは衆知の通りだ。
そんな彼女たちが、2011年に加入したフレディ・プールを含む新体制で、20余年ぶりとなるスタジオ録音の新作『Strategy(Our Tribute To Philadelphia)』をリリースした。サブタイトルが示すように故郷フィラデルフィア(のソウル)へのトリビュートで、アトランタにて往時の昂揚感の再現を生バンドで試みた楽曲は、アーチー・ベル&ザ・ドレルズの表題曲を筆頭に、オージェイズ、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツ、ビリー・ポール、ルー・ロウルズ、マクファデン&ホワイトヘッドなど、ほぼすべてPIR名曲のカヴァー。MFSB“TSOP”も再演しており、ヴォーカルは熟女のそれながら、ギャンブル&ハフへの愛が滲む黄金期への直球な回帰は実に清々しい。〈成功していない時でも諦めなかった〉とヘレンは振り返るが、かつての仲間たちとの絆が彼女たちの気持ちを支え続けてきたのだろう。過去に感謝し、これからも歌い続ける――故郷への愛を謳った新作は、そんな決意表明と受け取れなくもない。