トクマルシューゴが変わった。2012年の前作『In Focus?』から3年半、来るべきニュー・アルバムへの布石としてリリースした両A面シングル『Hikageno / Vektor feat. 明和電機』では、ポップ・マエストロと謳われた従来の制作スタイルを一新。これまで〈一人で音楽を作ること〉に情熱を傾けてきた宅録のエキスパートが、バンド演奏の一発録りや他アーティストとのコラボレーションなど、過去に用いなかった手法に果敢にトライしている。
いま思えば、トクマルシューゴのソロ・キャリアは日本のインディー・シーンが成熟していく過程とほぼ重なっており、そのなかで彼は独自のポジションを確立してきた。節目ごとに音楽性をアップデートしながら、DIYなスタンスを崩すことなく理想的な成功を収め、最近も井の頭公園を舞台とした映画「PARKS」や、楳図かずお原作のミュージカル「わたしは真悟」の音楽に携わることが発表されるなど、活動のフィールドを拡げている。また、〈歌詞で伝えたいことは特にない〉と明言しつつ、音楽とアティテュードで時代を牽引していくスタイルは、21世紀におけるアーティストの新しい在り方を日本に提示してきたとも言えるだろう。
そんなトクマルシューゴはどのように時代と向き合い、自分の音楽制作をどう位置付けてきたのか。今回なぜ、制作方法をシフトチェンジしようと思い立ったのか。それらについて尋ねると、〈簡単に音楽を作れるようになった時代〉に対する挑戦とも受け取れそうな、驚くべき制作論を明かしてくれた。そのロング・インタヴューを前後編でお届けする。
インターネットのおかげで、僕はここにいるようなものだから
――前作の『In Focus?』がリリースされてから、気付けば3年以上が経ちました。
「『In Focus?』を発表してから、もうしばらくアルバムは出さなくていいかなと思ったんですよ。(リリース後に)ツアーや海外からのオファー、それ以外の仕事も結構入ってきて。全部ひと段落したら、1年くらいのんびりしようかなとも考えていたんですけど、(時間が経つと)やりたいことがまた出てくるし、休むヒマもないほどいろんなことをやってきた(笑)。そうこうしているうちに時間も過ぎていって、〈ああ、もう4年も経ったのか……〉みたいな感じで」
――〈しばらくアルバムはいいかな〉と思ったのはなぜ?
「一旦区切りを付けるというか。ファースト(2004年作『Night Piece』)とセカンド(2005年作『L.S.T』)を出したあとにも、自分にとっての宅録的な作品は一度〈完結した〉と思って。それからPヴァインに入って、『EXIT』(2007年)と『Port Entropy』(2010年)をリリースして、(自分の音楽が)広まるところまで広まった。そういう流れを『In Focus?』で一旦完結させたというか。上手くいったとか理想通りにできたというのは置いておいて、自分が〈やりたかった〉と思い描いていたことを達成できたと思ったし、満足感もありました」
――その満足感は、〈一人で音楽を作ること〉に対してですか?
「それもありますね。(活動を)続けるうちに、これまで自分一人だとできなかったことも〈できるんじゃないか?〉と思うようになって。舞台やCM、映画の音楽みたいに、いろんな人と仕事をする機会も増えて、自分にないアイデアを具現化すること、自分がやったことのないことに挑戦したい気持ちは常にあって、楽しそうだと思うことは全部やりたい。(4年の間に)いろいろやりたくなったんですよね、たぶん」
――いまおっしゃったように、トクマルさんのキャリアにおいて『L.S.T』から『EXIT』に至る変化は大きな転機だったと思います。そういう変化のタイミングは、自分のなかで意識するものなんですか?
「しますね。そのときの大きな要因としては、機材が変わったり、新しい楽器を手に入れたりとか、物理的なことが一つあって」
――『L.S.T』から『EXIT』にかけての一番の変化は、音楽性がポップになったことだと思うんですよね。トクマルさんのヴォーカルなども含めて。
「自分のことを客観的に見るようになったのが、その時期の大きな変化ですね。『EXIT』と『Port Entropy』は、トクマルシューゴというアーティストを(自分のなかに)作って、その人が制作したアルバムという感じ。すごく俯瞰しながら作った記憶があります」
――セルフ・プロデューサー的な観点が生まれた、ということですよね。それ以前の作品は違った?
「『Night Piece』と『L.S.T』の2枚はもっとパーソナルというか、〈自分が本当にリリースしたいのは、どんなアルバムだろう?〉と考えて作ったものですね。ファースト・アルバムを作るときは聴くのを一旦ストップして、自分の音楽しか聴かずに、一気に完成させたので」
――そうだったんですか。
「それと実は、『L.S.T』の曲はファースト・アルバムよりも前に作っていたんですよ。もともとGELLERS※のために書いたけど、ボツった曲を半分くらい収録していて。だから、出来上がる前から〈過去の作品〉というイメージもあったし、その頃は自分のスキルにも限界があったから、次のアルバムは何か新しいものにしたくなった」
※幼馴染みである田代幸久、川副賢一、トクマル、大久保日向、新町慎悟の5人が90年代に結成したバンド。最新作は2014年のシングル“Cumparsita”
――というと?
「これまでは自分のために作ってきたけど、次は〈トクマルシューゴというアーティスト〉のために作ろうと。ファーストとセカンドは届けたかった人には届けることができて、そこは満足したんです。でも、自分がよく知らない世界の人たちの元には届かなかったし、理解してもらえなかった。そのときに〈自分の音楽を聴く可能性があるリスナーは、何人いるんだろう?〉と考えた結果、国内だけでだいたい1~2万枚くらい売れる可能性は感じていたんです」
――その数字はどこから出てきたんですか?
「例えば、当時10万部くらい音楽雑誌が売れていたとして、自分が作っている音楽は、そのうち10人に1人、1万人くらいに広がったらいいなと思ったんですよね。このときはPヴァインからリリースすることも決まっていたので」
――『EXIT』がポップな作品になったのは、そういう背景があったんですね。
「いや、〈トクマルシューゴというアーティスト〉のために作ったら、ポップな作品が出来上がってしまったんです。そういう可能性を感じたのはアルバムが完成してからで。でも最初は、自分の音楽を誰かが買うとは到底思えなかったです。その頃に流行っていた音楽とは全然違うものだったし。ただ一方で、〈こういう音楽を聴いてくれる人は、どこかに絶対いるだろう〉という確信めいたものもありました。自分と同じような音楽を好きな人たちがそれだけいるはずだからと」
――2000年代の中盤くらいまでは、なんとなくそういう空気がありましたよね。自分と同じ音楽を聴いている人って結構いるんだな、みたいな。mixiのおかげかもしれないけど。
「ありましたよね、本当にそう。インターネットのおかげで、僕はここにいるようなものだから(笑)」
――ワハハハ(笑)。実はトクマルさん、インターネットがかなり好きらしいですね。
「本っ当に大好き、インターネットの黎明期からずっと(笑)。パソコン通信は僕が始めた頃にちょうど廃れだして、〈何やらインターネットというものがあるらしい〉と。僕はそういう狭間の世代。当時のYahoo!はコミュニティー別に分かれていて、そこで自分の好きそうな音楽をしらみ潰しに探してました」
――それはいつ頃の話ですか?
「20年くらい前かな。まだGoogleはなくてYahoo!がスタートしたばかりで、〈ヤホー〉と呼んでる人もいた(笑)。当時のネットは危なくてフリーダムだったから、〈ホントにこういう世界があるんだ~〉って。すごく楽しかったですね。こんなに一般化するなんて思いもよらなかった」
――かつてのネットは、アンダーグラウンドな存在でしたもんね。
「そうそう。いま思えば、〈音楽がネットで聴ける〉というのも衝撃的だったし。昔はまだ音も悪くて、(一度に)30秒くらいしか聴けなかったけど(笑)。それと、僕は楽器もいっぱいやってたので、どんな演奏者がいるのか、一般的なレヴェルはどんなものか、プロとはなんぞや?……といったことを学ぶきっかけにもなりました。〈これ、どうやって弾いてるの?〉みたいな音源をRealPlayerで聴きながら、自分で研究して演奏力を磨いて、〈すごいやつらはアメリカにいるらしい。よしアメリカに行こう!〉と。だから、インターネットと一緒に育った世代です(笑)」