この男が単独で動く時、それはバンドの解散を意味する……のか? さまざまな憶測が飛び交うなか、当事者はデカイ口を開けて朗らかにカントリーを歌う。表現する喜びに満ちた彼の姿、いまはそれだけで十分だ

 

心の故郷を求めて

 〈日本人にとって演歌は心の故郷〉と言われてもピンとこなかったはずなのに、年齢を重ね、酒の味を覚え、人生の紆余曲折を経験していくうちに、それを実感するようになってきた――そんな方も多いのではないだろうか。〈故郷〉というのは当然ながら、その人自身が生まれ育った場所のこと。しかし実際にそこで暮らしたことなどなくても、自然と血のなかに受け継いでいたりするものもある。それがルーツなのだと思う。もっとも、僕自身、自分のルーツが演歌にあると考えているわけでは全然ないのだが……。

 アメリカの白人層にとってカントリー・ミュージックとはどういうものなのか。そうした疑問について説かれる時、よく引き合いに出されるのが演歌の話だ。要するにそれは日本人にとっての演歌に似ているのだ、と。逆もまた真なりで、欧米人から演歌について尋ねられた時、我々は〈米国人にとってのカントリーに近く、文化に根差したもので、それゆえに異文化のもとで育った人にはわかりにくいはず〉といったお決まりの説明に逃げてしまいがちだったりする。

 とはいえロックンロールそのもの自体、リズム&ブルースとカントリーの融合から生まれたというのが定説になっており、ロックンロール・バンドの多くは――そうした自覚が伴うか否かはともかく――カントリーをルーツの一部としていることが多いはず。例えば王道的なヘヴィー・メタルを背景としているつもりでも、先達の音楽を通じ、間接的にブルースからの影響を受けていたりするのと同じように。

 そうした現象は、エアロスミス自身によっても裏付けられている。70年代から80年代にかけて成長過程にあった世代のロック・ミュージシャンの多くが、エアロスミスを聴くことでブルースやファンク、60sロックの要素を学んできたとコメント。もちろん当のエアロスミスにしても、ヤードバーズフリートウッド・マックといった、彼らよりもひとつ前の世代の開拓者たちを媒介としながらさまざまな音楽に触れ、自身の表現スタイルを豊かなものとして確立してきたのだ。

 

エアロスミスじゃダメなのか?

STEVEN TYLER We're All Somebody From Somewhere Dot/Big Machine/ユニバーサル(2016)

 エアロスミスの場合、ことにスティーヴン・タイラージョー・ペリーのコンビがイメージ的な要因からもミック・ジャガー&キース・リチャーズとたびたび比較され、デビュー当初より常にローリング・ストーンズ直系のバンドとして見なされてきた部分がある。しかし、実のところ作曲面においてはビートルズからの影響のほうが顕著だったことを、本人たちが過去のインタヴューで認めているし、教科書通りの音楽教育なんていかにも受けていなさそうなスティーヴン自身、幼少期からピアノに親しみ、ビッグバンドの演奏するスウィング・ジャズを聴き、ガーシュウィンに象徴されるノスタルジックな〈偉大なるアメリカン・スタンダード〉に魅了されてきたという音楽的背景があることも、熱心なファンには知られた話だろう。カントリーからのダイレクトな影響について語られたことはこれまであまりなかったが、今回のファースト・ソロ・アルバム『We're All Somebody From Somewhere』発表に伴うプレス資料のなかには、次のようなスティーヴンのコメントが引用されている。

 「カントリー・ミュージックは自分にとってとても大きな存在だ。なぜなら俺が〈レコードに合わせて歌う〉ということを初めて体験したのは、エヴァリー・ブラザーズを聴いた9歳の時なわけで。それ以来、歌うことに夢中になってしまったんだからね」。

 すなわちスティーヴンにとってカントリー・アルバムを作ることは、ルーツ探求の旅に出たギタリストがブルース・アルバムを作ったり、クラシック音楽を背景に持つ誰かがオーケストラとの共演を試みたりするのと同じ次元なのである。もちろん、カントリー的なアプローチはエアロスミスという枠内でも十分に可能なことだし、事実、彼らのヒット・シングルのなかには“Livin' On The Edge”や“Pink”、あるいは一連のバラードなど、カントリーの感触を持つ楽曲も少なくない。『Honkin' On Bobo』と銘打ってブルースを選曲上の軸とするカヴァー集がリリースされたくらいなのだから、あの時と同様にカントリー・アルバムを作ることだって、このバンドならできたはずだ。が、おそらくスティーヴンは一度、それを徹底的に彼個人の基準でカタチにしてみたかったのだろう。彼がソロ名義で活動するようなことがあれば、バンドの解散説やメンバー同士の不仲説が自然現象の如く湧き出てくるのも承知のうえで。

 とはいえ、〈カントリー・アルバム〉という言葉に過剰反応する必要はない。今作から聴こえてくるのは、紛うことないスティーヴンの歌声そのものだし、〈エアロスミスのアルバムに入れるべきなんじゃないの?〉と言いたくなる曲も少なくない。トラディショナルなサウンドにアプローチしているのではなく、骨太ロックもポップ・バラードも飛び出すコンテンポラリーなカントリー盤だ。古参のカントリー・ファンをどれほど頷かせることになるかはわからないが、この稀有な歌い手の奥行きを感じさせる一枚であることは確か。とにかく、〈エアロスミス〉なる極めて自由度の高い枠組みにすら収まらずに歌うことができるという、純粋な喜びで溢れている。だからこそ僕は、満を持して登場したこの作品に素直な拍手を送りたい。