伝説のレコード店・パイドパイパーハウスが、〈PIED PIPER HOUSE in TOWER RECORDS SHIBUYA〉という名の下にタワレコ渋谷店で復活したのを機に、Mikikiで連載中のパイドパイパーハウス企画第4回。今回は、8月に最新アルバム『DANCE TO YOU』を発表したサニーデイ・サービス曽我部恵一をゲストに迎えた、パイドパイパー・ハウス店主=長門芳郎とのトークショウの模様をレポートします。リスナーとして長門氏のレコメンドにかなり影響を受けたという曽我部氏のトークのみならず、弾き語りも披露された貴重なイヴェントになりましたよ! *Mikiki編集部

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★サニーデイ・サービス『DANCE TO YOU』インタヴュー

 


〈渋谷系〉は僕らと同じタイプの人たちが始めた音楽という感じがあった(曽我部)

タワレコ渋谷店にてパイドパイパーハウスが復活し、お馴染みのトークショウも3回目を数えたこの日、「こんなに若い女性が前に並んでいるのは初だよね」と笑う長門さん。ゲストは、スズキコージのイラストをプリントしたパイドTシャツを着たサニーデイ・サービスの曽我部恵一だ。まずは、今夏リリースされたサニーデイの新作『DANCE TO YOU』についての話題からスタート。

サニーデイ・サービス DANCE TO YOU ROSE(2016)

このアルバムのジャケットは、80年代から数多くのレコードのアートワークを手掛けてきた巨匠・永井博によるイラスト。彼の偉業を振り返る展覧会〈Penguin's Vacation Restaurant〉が開かれるなど、過去の作品が各媒体で採り上げられたりもして、昨今ふたたびブームが到来している。

曽我部恵一「デザイナーの小田島等くんが(永井博氏と)最近仲が良いって言うんですよ。僕らの世代からすると永井さんはレジェンド的な存在。触れ合う可能性なんか感じたことがなかったんだけど、この機会にお願いしてみようと」

永井博の代表作といえば、大滝詠一の81年作『A LONG VACATION』。パーム・ツリーと紺碧の空が描かれたリゾート感溢れるそのイラストは、シティー・ポップ系のアルバムにすこぶるフィットしたものだ。そんな永井の原画が、この日パイドパイパーに飾ってあった。長門さんは82年に自身が監修したコンピ『Anders ’N’ Poncia Rarities』のジャケットで永井を起用。「表4のコメントも大滝さんに書いていただいたし、〈ロンバケ〉の大ヒットでブームになっていたから便乗しようと思って」と言って長門さんが笑う。

『Anders ’N’ Poncia Rarities』ジャケット
 

曽我部「永井さんに(イラストを)頼むというのは、アビー・ロード・スタジオでマスタリングをする、みたいな憧れに近いものがある。最後のご褒美じゃないけど、永井さんに頼んでみるのもいいかなと思って。あと最近流行ってるじゃないですか。だから長門さんと同じく便乗しようと思ったところもある(笑)。今回の新作は直球ど真ん中のアートワークをやりたかったんですよ。ちょっと外してみるようなことはしたくなくて、そうしたら永井博しかいないだろうと。時代としてもジャストだしね」

現在パイドパイパーハウスでパワー・プレイ中だという『DANCE TO YOU』に、ある洋楽のファンと思しきお客さんが思いっきり反応していたようで、〈初めてちゃんと邦楽のグループを聴いた〉と話していたというお店でのエピソードが語られる。そしてトークは洋楽ファンの話へ。2人が口を揃えて言っていたのは、〈趣味は凝り固まっていたね〉ってこと。

サニーデイ・サービス『DANCE TO YOU』収録曲“パンチドランク・ラブソング”
 

曽我部「僕が日本の音楽を聴きはじめたのは、フリッパーズ・ギターピチカート・ファイヴといった〈渋谷系〉と呼ばれるグループがきっかけ。洋楽しか聴いていない耳にも心地良かったし、僕らと同じようなタイプの人たちが始めた音楽という感じがあったんだよね。で、そのへんの人たちはみんなパイドパイパーでレコードを買っていたんですよね?」

長門芳郎小西(康陽)くんとかはよく店に来ていたしね。僕の時代は、その役割がはっぴいえんどだった。当時、日本のロック・シーンにはグループサウンズの名残があってね。なかにはザ・ゴールデン・カップスのような素晴らしいグループもいたけど、だいたい歌謡曲の作家が作った曲を歌っていたんだ。でも、はっぴいえんどはそういう流れとはまったく違う存在だった。それで、僕の地元・長崎の音楽ファンに生のはっぴいえんどを観てもらいたいと思って、72年に僕らが主催するイヴェントに彼らを呼んだんだよね。『風街ろまん』が出た翌年の夏で、解散するちょっと前だね」

はっぴいえんどの存在を現在のバンドに置き換えると誰になるんだろう?と、司会を務める行達也さんが質問を投げる。例えばサニーデイ・サービスとかはどうだろうか?と。

長門「そんなに売れてなかったと思う」

曽我部「僕らもそんなに売れてないですよ」

いやいやいやいや、と長門さんと行さんのリアクションがピタリと揃った。「僕らとフィッシュマンズは本当に売れてなかったんですよ」と笑った曽我部さんだが、90年代を代表するこの2組も、はっぴいえんどと同じく後世に多大な影響を与えたバンドの十指に数えられる存在であり、かなりの洋楽ファンの目を邦楽側に向けさせた功労者でもある。

サニーデイ・サービスの95年のシングル“恋におちたら”(96年作『東京』収録)
 

続いて話題はレア・レコード談義へ。曽我部さんがこれまでに買った、もっとも高いレコードは?

曽我部「俺はそんなに出さないですね。2~3万円ですかね、限度は。illicit tsuboiくんとか、周りには使う額が1ケタ上の人たちがいるから」

長門「じゃあ、いちばん手に入れて嬉しかったレコードは?」

曽我部「最近ではロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズのモノラル盤が嬉しかったな。あれ(『Roger Nichols And The Small Circle Of Friends』)って68年のアルバムですよね? だからモノ盤の存在はそんなに多くない。それを去年〈RISING SUN ROCK FESTIVAL〉の会場で手に入れまして。僕らはトップバッターだったから、会場へ早めに入ったんです。そうしたら楽屋にサロンのようなものがあって、そこに地元のレコード屋さんが出店していたんですよ、演者向けにね。〈試験的に初めてやってみました〉とマスターが言ってました。で、エサ箱が5つぐらいあったかな。サァ~っと見てみたところだとそこまで食指を動かされるものはなかったんだけど、最後の箱に出てきましたね、この大物が。ところが値段が付いてないんですよ、その一枚だけ。少し前に渋谷の某レコード・ショップで7、8万円付けられていたのを見て、いくらなんでもそれは高すぎると思って手は出せなかったことがあったので、マスターにおそるおそる値段を訊ねてみました。そしたら〈これですか……ま、幾らでもいいですよ〉と言うわけ。そんなこと言われても……って感じですよね、こちらとしては(笑)。それで、いろいろやりとりしていたら結局のところ〈3000円かな?〉ってことになって」

ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズの68年作『Roger Nichols And The Small Circle Of Friends』収録曲“Don't Take Your Time”
 

会場中に〈え~!〉という声が広がる。

曽我部「僕は5000円置いてきましたけども」

どよめきは一転して〈お~!〉という歓声に変わった。こういうちょっとイイ話を筋金入りのレコード・ディガーたちはいくつも持っているものだ。やっぱり、パイドを語るうえでもロジャニコは欠かせないということで、このままロジャニコ話は続く。ロジャー・ニコルズという音楽家の知名度は本国アメリカではどれぐらいのものなのか。

長門「そんなにメジャーじゃない。ポール・ウィリアムズと組んでカーペンターズのヒット曲を書いたという程度の知名度だよね。バート・バカラックほど名前は出ていない。でも、パイドではA&Mのカット盤がベストセラーになった。900円~1200円で売っていたんだけど、ウチに来るお客さんやミュージシャンはほぼ全員買っていたと言っていいね」

ロジャー・ニコルズとポール・ウィリアムズの共作によるカーペンターズ“We've Only Just Begun”
 

曽我部「パイドぐらいしか扱ってなかったんじゃないですかね。日本ではいまだにほとんど見ないですから」

長門「あのレコードは、ジャケ買いしたくなるようなキャッチーなデザインではないけど、中身がいいからパイドではプッシュしてたんだよね。あの頃、山下(達郎)くんや大滝(詠一)さんがラジオでシングルをかけていたくらいで、ほとんど誰も注目していなかったんじゃないかな。最初は日本で4人ぐらいしか持ってなかったはず(笑)。それが瞬く間に……ね」

曽我部「90年代には(ロジャニコは)渋谷系のアイコンになりましたもんね」