
タワーレコード渋谷店7Fで営業しているショップインショップ、パイドパイパーハウスの店主にして、日本のロック/ポップス史における〈最重要裏方〉と呼ぶべき存在の長門芳郎。パイドパイパーハウスの歴史は2016年に発行された長門の著書「PIED PIPER DAYS パイドパイパー・デイズ 私的音楽回想録 1972-1989」に詳しいが、〈PIED PIPER GRAFFITI〉はそこで深掘り出来なかったり漏れてしまったエピソード、あるいは刊行以降の物語などを紡いでいく企画である。
昨年、元シュガーベイブの村松邦男を招いてのトークライブの模様をお送りしたが、今回は元BMG~現ソニーミュージックのプロデューサー=関口茂と共に、長門が企画した人気リイシューシリーズ〈パイド・パイパー・デイズ〉について、特に思い入れの深いアルゾやケニー・ランキン、ベスト盤コンピレーションなどを中心に振り返ってもらった。

関口茂と長門芳郎の出会い
関口茂「僕はもともとBMG(2008年にソニーに吸収合併)で、最初は営業の管理部門、異動で短い間ですがクラシック部にもいて。その後、通販と特販の部署を経て、市販の洋邦楽両方のカタログ編成の担当になりました」
長門芳郎「大貫妙子さんとかブレッド&バターとかの再発も担当してましたよね?」
関口「はい、その部署では大貫さんのRCA時代の紙ジャケとか難波弘之さんの再発もやって、マスタリングにご本人が立ち会ってくださったりもしました」
長門「関口さんとはそのころに知り合ったんでしたっけ?」
関口「BMGで〈パイド・パイパー・デイズ〉が始まったのが2003年なんですが、その前に90年代後半から〈ロック名盤コレクション〉というシリーズがあって。長門さんとはそこで初めてお会いしました」
長門「そうだ、バリー・マンとかソルト・ウォーター・タフィー、ソッピーズ・キャメルとか出しましたね」
関口「最初に企画したのは僕ではない別の方なんですが、そのシリーズの中にAOR編とかSSW編とかあって、そこで長門さんに選盤やライナーを書いて貰ったりして。それが発展的に長門さん監修で新たなシリーズをやっていこうということになって〈パイド・パイパー・デイズ〉に繋がるんです」
長門「〈ロック名盤コレクション〉のときにアルゾの再発化を進めていたんですよね。ライナーも片岡知子さんに書いてもらっていたのに、最終的に日本のBMGに権利がないことがわかって2000年くらいに頓挫したの。それで関口さんが登場。改めてアルゾと再契約してもらったんです」
関口「海外のレーベルに連絡して、そういうことであれば今回の再発に際して改めて契約を取り交わしてくれないかとなって」
北爪啓之「アルゾの世界初CD化が〈パイド・パイパー・デイズ〉シリーズの記念すべき第1弾ですよね」
長門「はい。アルゾは1971年にソロアルバムをアンペックスから出したけどすぐに廃盤になってしまって。翌年にベルレコードから再発されたので、それを当時僕が働いていたロック喫茶の四谷ディスクチャートでしょっちゅうかけていたんです。1972年の秋くらいから山下(達郎)くんとか大貫さんとかが客として来店するようになったんですけど、ディスクチャートの常連にとってはお馴染みのアルバムでした」
消息不明のアルゾを探し求めて
北爪「でも70年代当時だと、世間的にアルゾはまだ無名ですよね?」
長門「そうですね。ただソニーの国内盤新譜案内に一度だけ掲載されたことはあって、結局出なかったんだけど。でもその後も長い間ずっと日本でリリース出来ないかなと思っていました。アルゾに限らずトレード・マーティンとかハース・マルティネスのような昔好きだったアーティストを探し出して再発したい、という使命感に駆られて(笑)」
関口「それでようやく2003年にCD化へと動き出すわけですね」
長門「そうです。権利関係が不明なままなので本人を探すしかないと思ったんだけど、アルゾの近況は全然わからなくて。だからまずはプロデュースとアレンジを担当していたボブ・ドローを探したんですよ。彼とはどうにか連絡が取れたんだけど〈アルゾのことは憶えているが、もう何十年も会っていない〉と言われてね。
それで、仕方ないのでアメリカの人探しの会社に頼んだんです。〈あなたの初恋の人を探します〉とかあるでしょ。そこに知っている情報を全て伝えてね。それで何件か該当する人がいたので電話してみたら、もう亡くなったとか別人だったりで」
北爪「そのときは探し出せなかったのですか?」
長門「そうなんです。でもしばらくして意外なところで繋がるんですよ。当時ネットに山下達郎のファンサイトがあって、そこでアルゾのアルバムを紹介してたんだけど、それをたまたまアルゾの友達が見つけて本人に伝えたらしくて。
そのサイトの管理人が僕がアルゾを探していることを知っていたので〈アルゾから連絡が来ましたよ!〉って報告があって〈えーっ!〉となって。それですぐに本人に電話して1時間以上も話したんだけど〈なんで俺のことを知ってるんだ?!〉ってアルゾもすごく驚いていました(笑)。それで2ヶ月後くらいにアメリカへ会いに行ったんです」

関口「こちらもそういう話を逐一聞かせていただいていたので、そんなストーリーがあるならばぜひCD化を実現したいと思っていました。それで渉外担当を通して向こうのレーベルに改めて契約が出来ないかと相談をして、レーベル側とアルゾがコンタクトを取り、日本の再発のためだけに契約が結ばれたんです。一つの国のために契約するというのは、いまではもう難しいと思いますけどね」
長門「アルゾはアメリカでもほぼ無名だったんだけど、でも何十年も〈誰かが俺を見つけだしてくれる〉って待ちわびていたらしくて。だから直接会ったときはすごく喜んでくれて全面的に協力してくれました。だってケネディ空港までリムジンを借りて迎えに来てくれたくらいですから。〈アル・パチーノみたいな顔をした日本人が俺だから〉って伝えておいたら、お互いすぐにわかって黙ってハグして。つい涙が出てしまいましたね」
北爪「ずっと前からお互いがお互いを探し求めていたんですね」
長門「うん。それで契約が済んでサンプル盤が完成したのがクリスマス前で、それを本人に送ってあげたんです。アルゾは古家具屋をやっていたんだけど、そこのショーウインドウに〈日本で俺のアルバムが再発されたよ! おめでとう、自分〉って手書きの紙を貼って、その写真を送ってくれたりして。奥さんや周りの人たちは彼が昔歌を唄っていたことは知っていたので、街全体でお祭り騒ぎになったみたい」
