さまざまな原因で増殖する意志なき存在=哲学的ゾンビ。そんな現状に対する豊潤な音楽の警鐘は、淘汰の洪水が訪れたとき、ふたたび朝を迎えるためのヒントを教えてくれる――さあ、あなたの選択は?

 

哲学的ゾンビに至る道

 スティーヴィー・ワンダーデヴィッド・ボウイレディオヘッドら世界的なビッグネームから、直近の日本ではyahyelといった新鋭までにインスピレーションを与え続けるジョージ・オーウェルの代表作「1984年」。昨年発表されたぼくのりりっくのぼうよみのシングル『ディストピア』もその〈危惧すべき近未来〉の延長線上に位置する作品だったが、今回届けられたニュー・アルバム『Noah's Ark』は、その世界観を大幅に拡張。全10曲かけて彼らしい〈救い〉へと向かう、前シングル以上にコンセプチュアルな一枚となった。

ぼくのりりっくのぼうよみ Noah's Ark CONNECTONE(2017)

 「今回のアルバムは、1~8曲目が1部、9曲目の“Noah's Ark”が2部、10曲目の“after that”が3部っていう頭でっかちなバランスの3部構成で。ただ、全部が連動しているものではないんです。どちらかというと、(ノアの方舟に乗せられたとされる)いろんな動物のつがいが、っていうのになぞらえて、いろんな方向の曲を入れようっていうのがまずありました」。

 語彙の減少、あるいは情報の氾濫による〈意志なき存在=哲学的ゾンビ〉への道筋を綴った『ディストピア』の3曲に、5つの新曲を加えた第1部。幕開けを飾るのはササノマリイ製の性急なドラムンベース“Be Noble”だが、8曲すべてが連動していないとはいえ、まずこの曲と“shadow”“在り処”“liar”はひと繋がりのものだという。

 「〈みんな哲学的ゾンビになっちゃってるぞ〉っていうのが今回のアルバムのコンセプトで。その原因のひとつとして、Twitterを見てて思った情報の氾濫とかがあるんですけど、そういう身近な入り口から、それ以外の理由でも人間性や意志、クオリア(≒感覚)を喪失してるぞ、っていう大きなテーマに行き着いたというか。例えば僕も、無心にソーシャル・ゲームをやってるときの同じところを周回するような感覚は〈機械と同じだなー〉って思うし。そういう哲学的ゾンビに至る道のひとつとして、情報の氾濫うんぬんとは別のアプローチで書いたのが“在り処”ですね。生まれてきたけど誰からも愛されず、〈自分〉っていう器に何も入れてもらえなかった人の歌。そういう人はたぶん心がないし、それは哲学的ゾンビと言っても差し支えないのではと。で、その前段階が“shadow”。“shadow”“在り処”とあって、そこからの分岐パートで“Be Noble”と“liar”に分かれるっていう流れですね」。

 

僕の思うダメな人

 三連のピアノ・リフと柔らかなリヴァース使いがノスタルジックな温もりを立ち上げる“在り処”は泉まくら仕事などで知られるMC/ビートメイカー、雲のすみかが制作。そして同曲のような存在が生まれた要因=“shadow”は、シングルに続いてボカロPのにおが担当。こちらはジャズの意匠を挿みながら黒いフィーリングを燻らせるグルーヴィーなナンバーだ。

 「“shadow”はお得意の抽象表現を駆使してるところがあって。一瞬の欲に目がくらんでしまうというか、一瞬にすべてを費やしてもいいやと思っちゃうというか、人間にはそういう愚かなところがあるぞ、特に男の人は……っていう曲です。それが原因で生まれた“在り処”の人は、みんなから迫害されて、居場所がまったくない。だけど、居場所がなくても、自分が空っぽでも、自分のなかの〈埋まらない空白〉を埋めるためにがんばるぞ、っていうふうになるのが“Be Noble”。これはプラスのほうの分岐で、“liar”は自分がないせいで他人が怖くなる。他人に自分の卑屈さを投影して、自分を守るために嘘をつく。心が空っぽのままでずーっと悪いほうに転がり落ちていっちゃうっていう曲ですね」。

 さらにぼくりりは、その〈分岐点〉についてこう続ける。

 「分岐点は、失敗するかもしれないけどやるぞ、っていう人とやらない人の差ですね。僕は結構、新しいことはなんでもやるタイプなんですけど、そうじゃない人がいっぱいいるというか。失敗することを過剰に恐れるとか、何かと言い訳してやらないとか。やってみなきゃなんにもわからないし、できなくても損しないのに、みんな、なんでやらないの?っていう。そういう僕の思うダメな人が、“liar”になっていく。で、そういう人は“Noah's Ark”の洪水で死ぬんですよ」。

 クオリアの消滅に向けて加速する“liar”は、雲のすみかによるリズミック&アッパーなダンスホール調の楽曲。後半、徐々に破綻していくビートをエキセントリックなラップで乗りこなすパートは、本作中でもベストのヴァースだとぼくりりは語る。

 「〈勘繰りは勘繰りを産んで〉から〈己の弱さから逃げてまた疑う〉あたりまでは、今回のアルバムのなかでいちばんカッコ良いぞと思ってるところで。トラックもラップも破綻してるんですけど、すごいバランスで噛み合ってるっていう。あとは〈しがみつきモード〉のところも気に入ってて。ここ、気付きました? 後ろで〈ガチャ、ウィーン〉って言ってるんですけど、(機械的に)〈しがみついていくぞ!〉みたいなね、そういう遊びもこの曲は結構入ってますね」。

 〈遊び〉と言えば、1部におけるあとひとつの新曲“予告編”も。DYES IWASAKIと彼の属するFAKE TYPE.のサポート・ギタリスト、JohngarabushiによるオーガニックなR&B風ポップにあてたリリックは、「ループものを意識していた」という。

 「〈STEINS;GATE〉とか、『100万回生きたねこ』とかもそうですよね? 死んで、やり直して何周目、みたいな。〈次回作にご期待下さい!〉のところは『少年ジャンプ』の打ち切り作品の最終回を意識してるんですけど(笑)、ここで言う〈次回作〉は〈次の人生〉っていう意味が近いのかな。この曲も遊びが多いですね。〈必要なのは何〉のあたりで“Black Bird”(2015年作『hollow world』収録)へのオマージュが入ったりとか、あと、〈皮肉的メタ構造〉のところとか。〈何を歌えばいい?〉ってありますけど、僕がそうなってたんですよ。〈何書けばいいんだろうな?〉って。それで、〈何歌えばいい?〉って書いて、そのあとに、〈「それすらも言葉にすればいい」〉って……もう言葉にしてるんですけど(笑)書いて、で、そういう言葉の羅列って意味不明なんじゃないかなと思って、〈意味不明な言葉に救われるの?〉って訊ねる。そこから〈いずれ来たる救いに手を伸ばす〉って続きますけど、〈いずれ来たる救い〉は“Noah's Ark”のことだから、アルバム全体のメタ構造になってる。その逆マトリョーシカみたいな感じがおもしろいんじゃないかと」。

 

自由意思が大事

 消えかかったクオリアへ向けて8方向から警鐘を鳴らし続けた第1部。そこからいよいよ第2部に突入すると、諦める者も、諦めない者もすべて呑み込む洪水がやって来る。流麗なピアノとストリングス、無機質に暴れるビート、そして15声を重ねた荘厳なヴォーカリゼーションから成る淘汰の電子オーケストラ――同人界隈を中心に活動する実力派、ELECTROCUTICAによる“Noah's Ark”の登場だ。

 「ここでの〈洪水による淘汰〉は最初から決めていたことで。ただ、どういうアプローチでリリックを書くか、少し時間がかかりましたね。〈扉が閉まった音がした〉とか絶望感がすごいと思うんですけど、そういうふうに方舟に乗れなかった人、その一方で方舟のなかにいる人、他にも〈人々が二分されてるぞ〉って見ている神視点みたいなものや、抽象的な第三者目線の描写があったり……で、最後は一人称に戻るんですよ。そんな感じで、最終的には視点がコロコロと変わる構成になりました」。

 そんなクライマックスを受けてのエンディングは、ニュー・ジャズ界の第一人者、ニコラ・コンテがトラックを担った先行曲“after that”。「レコードは買わないんですけど、アナログ専門ショップのサイトを結構見てた時期があって。そこのおススメの盤みたいなのをApple Musicで聴く(笑)っていうのをやってたんですけど、そこで見つけてめっちゃカッコ良いなと思って」という出会いからのオファーだったそうだが、ニコラはこの〈救い〉の場面に軽やかなラテン・ジャズを提供している。

 「最後は〈方舟から出たあと〉の曲ですね。紆余曲折あるけど、要は〈人間の自由意思は大事だぞ〉ってことです。ああしろ、こうしろとは言ってない。〈好きな方向に歩き出せるよ〉って言ったあとで〈もちろん立ち止まってもいい〉とか、それって何も言ってないのと一緒。〈僕はこういうアルバムを作りました。これを聴いてどうするかは、皆さんにお任せします〉って感じですね」。

 そんな本作のリリースに加え、音楽とは別の手法でアルバムの目的を示した同名のオウンドメディアの立ち上げやその先の全国ツアーなど、2017年は目に見える動きが次々と続くぼくりり。今後は多様な場面で彼の表現を目にする機会も増えそうだ。

 「2017年は働きますよー。ただ、働くと言ってもひとつひとつちゃんと意味のをある仕事をしたい。おもしろい人とおもしろいことをする一年にできたらいいなって思いますね」。

 

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