現代史と交差するアンサンブルの姿をとらえた見事なドキュメンタリー

 ロック界の裏方の歌手たちの姿を歯切れよく描いた『バックコーラスの歌姫たち』に続いて、モーガン・ネヴィル監督が取り組んだのはヨーヨー・マシルクロード・アンサンブルの記録映画だ。このグループの音楽は、NHKBSの『新シルクロード 激動の大地を行く』に使われて、日本でもおなじみだろう。

 7歳で天才少年チェリストとしてデビューして以降、一貫して華麗な道を歩んできたように見えるヨーヨー・マだが、人生の3分の2を費やしてきたツアーの前はプレッシャーに苦しみ、若いころには「声がない」と批判されてきたのだという。シルクロード・アンサンブルをはじめたときも周囲に疑問の声がなかったわけではない。中国系のヨーヨー・マは、音楽家の父親が学んでいたパリで生まれ、アメリカで育った。チェリストとして名声をほしいままにしても、ヨーロッパやアメリカを「本場」 とするクラシックの世界で、「ストレンジャー」でなかったとは言いきれない。才人にも才人ならではの苦労がつきものと言ってしまえばそれまでだが、優れた音楽家ほど、悩みもまた大きい。21世紀に入ってから彼がアメリカのカントリー系のミュージシャンと交流し、シルクロード・アンサンブルをはじめた根底にもその思いがある。

 この映画の原題は『ザ・ミュージック・オブ・ストレンジャーズ』という。誰に対してストレンジャーズかといえば、「ヨーロッパやアメリカ」の価値観に照らし合わせての「見知らぬよそもの」だ。しかし「よそもの」から見れば「ヨーロッパやアメリカ」もまた「見知らぬよそもの」である。監督はそんな思いもこめてこの言葉を使ったにちがいない。映画ではヨーヨー・マ以外にも4人のミュージシャンがフィーチャーされ、シルクロード・アンサンブルが開こうとした扉の大きさや重さを感じさせる。たとえばクラリネット奏者キナン・アズメがアメリカに留学した後、故国シリアでは民主化運動がはじまり、その後の内戦は、アメリカやロシアを巻きこんでいまも解決していない。故国の惨状を知るたびアメリカで活動する彼の心は揺らぐ。レバノンのシリア難民キャンプの子供たちに彼がクラリネットを教えに行く場面はつかの間の晴れ間のようだ。「聖母マリアのカンティガス」で有名なガリシア地方はケルト系の人たちが暮らすスペインの中の異国。クリスティーナ・パトはその地のガイタ(バグパイプ)の人気演奏家だ。楽器を電気化して、ガイタのジミ・ヘンドリクスと呼ばれる彼女は、伝統的な民謡の世界から批判されても、ガリシア文化を次の世代に橋渡しする使命に燃えている。

 ウー・マンは1960年代に中国で文化大革命の嵐が巻き起こった時期にピパ(中国琵琶)を学びはじめ、第一線で活躍していたが、90年代にアメリカに渡った。故国の俊英もアメリカではただのストレンジャー。クロノス・クァルテットに見出されたのをきっかけに引く手あまたの琵琶奏者になるまでは苦労の連続だった。少年時代からケマンチェ(イランのヴァイオリン)の名手だったケイハン・カルホールは、1979年のイラン革命後、亡命先でさまざまな仕事で糊口をしのぎながら腕を磨き、世紀の変わり目の時期には故国イランの古典音楽の名人たちと組んで国際的に活躍していた。この映画の製作時には、政治的理由でイランに帰れなかったが、つい最近戻ったらしい。無事に活動できているように祈ろう。

 監督は、近年の密着取材の映像と、シルクロード・アンサンブル草創期の映像と、数多くの歴史的な映像を組み合わせて、音楽活動が国際政治や現代史と交差する物語を見事に描き出している。シルクロード・アンサンブルは多様なルーツを持つミュージシャンの集合体だ。どのルーツも大切だが、それは他のルーツを排除するものであってはならない。語るは易し行なうは難し、である。それにしても、ルーツを掘り下げつつ境界を越えるという難題を前に、「レッツ・テイク・ア・チャンス」と語るヨーヨー・マの笑顔の軽やかなこと!

 


映画「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」
監督:モーガン・ネヴィル
出演:ヨーヨー・マ/ジョン・ウィリアムズタン・ドゥン/ケイハン・カルホール/梅崎康二郎/キナン・アズメ/ボビー・マクファーリン/他
配給:コムストック・グループ(2015年 アメリカ 95分)
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◎3/4(土)Bunkamuraル・シネマ、シネスイッチ銀座ほか全国公開!
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