オザケンは全然変わってない
――SNSで動画を共有するのも、リスナーの楽しみ方のひとつですからね。
浜崎「私たちがアーバンギャルドを始めた頃は、ミュージック・ビデオをYouTubeにアップしてるインディーズのバンドなんて、ほとんどいなかったんですよ。いまはみんなやってますけど」
松永「そうだね。でも、小沢健二は(“流動体について”の)YouTubeでMVを公開してないんだよ。ティーザーでちょろっとしか見れない」
浜崎「オザケンさんはすごいね! “流動体について”という曲は大嫌いだったんですけど(笑)」
松永「え、大嫌いなんですか? 僕は好きですけどね」
浜崎「何で嫌いなんだろう?と思って、10回くらい繰り返し聴いてみたら、嫌いなのに耳に残ってしまって、あ、好きじゃんって(笑)」
松永「サビの謎な転調がイヤなのかな。あの気持ち悪い裏声って、実はバズを狙ってワザとやっている気もしますけどね」
浜崎「うーん……って思いながらも、〈だってオザケンの新曲だよ?〉って絶賛してる人もいるかも。かつてのオリーブ少女は〈よーし、10年ぶりにバゲット買ってベレー帽かぶっちゃおう〉と感慨深いかもですね」
松永「それはあるかも(笑)」
――“流動体について”はプロモーションも独特でしたよね。リリース日の前日に告知したり、朝日新聞の全面広告も、曲のことには一切触れてない文章が掲載されているだけで。
松永「〈何を伝えないか〉ということが大事になってきてるんでしょうね。SNSを通してすべてを見せてしまう〈SNSだだ漏れ〉みたいな時代もあったけど、いまは違うので」
浜崎「でも、オザケンさんのスタンスは変わってないですよね。私、新曲を聴いてから以前の曲も聴き直してみたんです。そしたら、昔から全然変わってないことがわかって。もちろん変化している部分はあると思うのですが、それってすごいことだと思うんですよ。お客さんの反応を見て次はこうやろうと決めているミュージシャンが多いなか、自分はこうですという確固たるものを持っているわけだから。一貫したものをしっかり持ち続けているのは素晴らしいですよね」
松永「評価はしているわけですね」
浜崎「そう。だから私も水玉やセーラー服を着続けなくちゃいけないんです!」
松永「そこは曲げられないと」
浜崎「そうです。バンドを始めて2、3年目のときはかなり葛藤していたんですよ。このままだと水玉を脱げなくなると。でも、やり続けようと腹を括ってからは、(アルバムのジャケットを指して)こういう水玉のジャケットもいいなと思えるようになって」
松永「50年後には草間彌生さんみたいになってるかもね(笑)」
浜崎「あと100年はやらないとね」
――初期のアーバンギャルドの表現には思春期特有の自意識――リスカ、メンヘラといったワードなども含まれていましたが、そういう精神的・心理的なファクターも一貫して表現していますよね。そこも変わらない部分なのかな、と。
浜崎「いまの10~20代で〈鬱だ〉と言わない人はいないと思うんですよ。もう全員が病気というか」
松永「『アウトレイジ』みたいだね。〈全員病気〉」
浜崎「〈病んでる〉とか〈今日、鬱で~〉とか、もう珍しくもなんともないし、ありがたみもなくなっていますよね。音楽と同じで、身近なものになったというか。もしかしたら逆にヘルシーになっていくかもしれないですね、私たちは。オシャレなボサノヴァばっかりやるとか(笑)」
松永「Suchmosがブレイクしたのも、病みとか鬱とかからの揺り戻しだと思うんですよ」
浜崎「地下アイドルがブログで〈私、あのとき欝で……〉みたいなこと言うの、もう飽きたんじゃないですか(笑)。それよりももっと自然でオシャレな音楽を聴きたいんじゃないかな」
松永「そうだね」
浜崎「Suchmosは音楽をしっかり聴いてきた40~50代の人も注目していますよね。〈ジャミロクワイみたい〉〈懐かしい!〉って」
いつでも死ねますよ、でもいまじゃない
――目前に迫ってきた10周年についても聞かせてください。節目の年になると思いますが、どんなヴィジョンを持ってますか?
浜崎「10周年は……盛り上げますよ。いまはそれしか言えないです」
松永「そうだね。来年に向けて大きい企画も画策しているところなので。でも10年もバンドを続けるなんて、感慨深いものがありますね」
浜崎「ありますね。男女ツイン・ヴォーカルのバンドなんてほとんどいなかったのに、いまは増えたし」
松永「バンドが打ち込みを使うことも普通になったしね。時代の流れを感じます」
浜崎「いろいろなバンドを見てきましたよ。追い越されたり、消えたり、また新しいバンドが生まれたりね」
松永「うん。僕らの“傷だらけのマリア”(2010年作『少女の証明』収録)という歌詞に〈ブログ〉から始まって〈トラックバック〉という言葉が出てくるんですけど……」
浜崎「たぶんいまの若い子はわからないよね」
松永「僕はRCサクセションが好きなんですが、“トランジスタ・ラジオ”という曲があったり、“スローバラード”でも歌詞のなかにカーラジオが出てくるじゃないですか。そうやって時代を表すものを歌うことも大事だと思うんですよね」
――大森靖子さんも同じようなことを言ってますよね。自分が体験してきたカルチャーを歌にして残したいっていう。
松永「そうそう。昔の曲で、公衆電話をかけながら10円玉を数えたりするじゃないですか。恋人との電話なのか、まだ話したいけど残り時間が……みたいな。あれっていま聴くと逆に趣深くて。そういえば最近、自分の表現のなかに10代の頃の文化や、90年代のカルチャーがすごく影を落としていることを改めて実感することが多くて。90年代のロック・バンドの在り方は、一つの理想だったと思うんです。あの〈近づけなさ〉がすごくいいな、と。当時はSNSもないから、絶対にリプとか返してくれないじゃないですか(笑)。リスナーとアーティストには絶対的な距離があった。代え難いものだと思うんです、その感じは」
――それって、例えばどんなバンドですか?
松永「いまパッと浮かぶのは吉井和哉さんですね。YUKIさんもそう。当時はCDもめちゃくちゃ売れてたし、存在自体が圧倒的だった。自分はその頃、渋谷系とかに惹かれていたんですけど、いま振り返ってみると、あれはメガヒットしていたアーティストに対するオルタナティヴだったんですよね」
――そうですね。セールスや観客動員ということで言えば、THE YELLOW MONKEYやジュディマリの比ではなかっただろうし。
松永「渋谷系のバンドって、当時はツアーもほとんど東名阪だけだったらしいですよ。地方に行っても人が入らないから。そういう意味では都市文化だったんですよ。いまもそれは同じだと思います。ネットによって情報はどこでも得られるけど、サブカルとかオルタナティヴなものは、やっぱり都市文化なんだなと」
――なるほど。90年代に一世を風靡したアーティストが続々と復活してるのも、ここ最近の大きなトピックですよね。イエモンも再結成したし、オザケンも戻ってきて。
浜崎「〈オザケンは星野源を潰しに来た〉とネットで書かれてるのを見ました(笑)。あと〈新海誠を潰すために宮崎駿が戻ってきた〉とか。ジャミロクワイはSuchmosを潰すために戻ってきたのかな(笑)?」
松永「来日もするもんね(笑)。いまはミュージシャンとして死ぬタイミングがわからない時代だと思うんですよ。引退したように見えても、Twitterを再開するだけでパッと戻って来れたりするので。事務所や媒体がなくても、個人の意志一つで戻って来られる」
――実際20周年、30周年を迎えるバンドも増えていて。
松永「そうですよね。バンド・ブームのときは、50代になったら絶対やってないだろうなと思ったグループがずっと続けていますから。X Japanなんて、いまだに破滅に向かってるわけで」
浜崎「BUCK-TICKはグッズで老眼鏡を出したらしいですよ」
松永「ファンのエイジングに対応しているんでしょうね。キッスなんてお墓を売ってたんだから。まさに一蓮托生ですよ。われわれも水玉のお墓を売り出さないと」
浜崎「棺桶を作って破壊したこともありますからね。まずはお数珠から始めましょうか」
松永「死ぬまで続けるくらいの気概でやらないとね。これ以外の選択肢はわからないですから」
浜崎「いまさら戻れないですよ、地元に」
松永「地元ですか(笑)」
浜崎「こんな髪型してる人、地元にはいないですから。私は当時から〈KERA〉みたいなファッションが好きだったんですけど、村八分でしたからね。〈浜崎さんちのお嬢さん、ちょっと特殊よね〉って。さっき話に出ていた〈渋谷系は都市文化〉というのもすごくわかる」
松永「そういうルサンチマンを晴らすためにやってるところもあるんですか?」
浜崎「あ、それはないな」
松永「そうですか。僕は東京出身だから、そういう気持ちがよくわからないんですよ。こんなアンダーグラウンドなバンドを10年近く続けているわけだから、何かが歪んでいるとは思うんだけど」
浜崎「私、10年も続けるつもりなかったけどね」
松永「実を言うと僕もです」
浜崎「早くブレイクして、5、6年でやめようと思ってたんだけど、一向にブレイクしないって(笑)」
松永「辞めどきがわからなくなってるのかも(笑)。やっぱり、死ぬタイミングがわからないんでしょうね」
浜崎「いつでも死ねますよ。でも、いまじゃないんですよね」
松永「続ければ続けるほど、生きたくもなるんです」