90年代初頭を彩った一大ムーヴメント、シューゲイザーを取り巻く動きが俄かに盛り上がりを見せている。2008年に始まったマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの復活劇はロック・シーン全体を揺るがす大事件となったが、近年もスワーヴドライヴァーやラッシュ、ジーザス&メリー・チェインといった代表格が続々と再始動。かつてマイブラと共に〈御三家〉と称された、ライドとスロウダイヴも今年5月~6月にかけて約20年ぶりのニュー・アルバムを控えており(後者は〈フジロック〉出演も決定!)、2017年はシューゲイザーを愛する人々にとってメモリアルな一年になるのは間違いない。
そこでMikikiでは、シューゲイザーの魅力を次の世代に伝えるための短期集中連載をスタート! 2010年の名著「シューゲイザー・ディスク・ガイド」で共同監修を務めた音楽ライターの黒田隆憲氏による〈シューゲイザー講座〉をこれから毎週お届けする(計4回)。まず第1回では、ジャンルとしての成り立ちと代表的バンドを一挙総括。シューゲイザーを語るうえで欠かせない大物たちをまとめて振り返った。 *Mikiki編集部
シューゲイザーの発祥と、ジャンルとしての定義
〈シューゲイザー〉という言葉の由来は諸説ありますが、有力視されているのは90年初頭にイギリスの音楽誌『サウンズ』に掲載された、ムースという当時まだ新人だったバンドのライヴ・レポートだったという説です。ヴォーカルのラッセル・イェイツが、ステージの床に貼ってあった歌詞を見ながら歌っている様子を、音楽ライターが半ば嘲笑気味に〈靴(シュー)を凝視(ゲイズ)する人〉と表現したのがきっかけと言われています。
当時は他に、〈テムズ・ヴァレー〉や〈ハッピー・ヴァレー〉という呼び名もありましたが、いつの間にか〈シューゲイザー〉〈シューゲイズ〉が主流となっていきました。ちなみに、シューゲイザーを〈ドリーム・ポップの一種〉とみなしたのはコクトー・ツインズのサイモン・レイモンドとされていますが、〈シューゲイザー/ドリーム・ポップ〉のように併記されるようになったのは、日本では最近のことだと思います。
その〈シューゲイザー〉の定義は非常に曖昧です。一般的には〈エフェクターによって極端に歪ませたギターやフィードバック・ノイズを、ポップで甘いメロディーに重ねた浮遊感のあるサウンド〉ということになるでしょう。床に並べた大量のペダル・エフェクターを、終始うつむきながらコントロールするギタリストの姿は、〈シューゲイザー〉という言葉を象徴するものでした。
シューゲイザー御三家と、90年代のシーンを彩った名バンド
シューゲイザーの代表格といえば、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインを置いて他にありません。アイルランド出身の彼らは、後にオアシスを擁するインディー・レーベル、クリエイションと契約し、2枚のEP※を経てファースト・アルバム『Isn't Anything』(88年)をリリースすると、一気にシーンの中核に踊り出ます。上述したシューゲイザーの定義は、まさにこのアルバムによってなされたと言っても過言ではないでしょう。
※『You Made Me Realise』と『Feed Me With Your Kiss』(共に88年)のこと。その後に発表された90年作『Glider』と91年作『Tremolo』と併せて、アルバム未収録曲を含むマイブラ黄金期のEPは人気が高く、2012年に『EP's 1988-1991』という纏まった形でリイシューされた
そこからシューゲイザーが躍進した時期はほんの数年でしたが、マイブラに影響されたバンドが次々と登場しシーンを賑わせます。マイブラと同じクリエイションからデビューした若き4人組のライドは、〈チェーンソーを持ったハウス・オブ・ラヴ〉と呼ばれ、日本でも音楽誌の表紙を何度も飾るなどアイドル的な人気を誇りました。彼らはビートルズやバーズなど、60年代ロックのメロディー&ハーモニーを上手く轟音と融合させ、90年にファースト・アルバム『Nowhere』でシューゲイザーの一つの完成形を打ち立てます。続く92年のセカンド『Going Blank Again』では、シューゲイザー以外の要素も積極的に取り入れ、音楽性を大きく広げました。ちなみに中心メンバーの一人アンディ・ベルは、後にオアシスのベーシストとなり我々を大いに驚かせました。
一方、ライドと人気を二分していたのがラッシュです。オランダと日本人のハーフ、ミキ・ベレニ(ハナレグミこと永積タカシの従姉/小山田圭吾のまた従姉)と、エマ・アンダーソンを中心に結成された男女4人組の彼らは、コクトー・ツインズの司令塔、ロビン・ガスリーの秘蔵っ子として注目を集めました。コクトー・ツインズを擁した所属レーベル、4ADの(当時の)特色である耽美的なギター・サウンドと、ミキ&エマの透明感あふれるハーモニーが特徴。90年代当時、来日公演も行われましたが※、学芸会レベルの演奏にビビった記憶があります(それも含めて最高でしたが)。
※96年9月に解散前の最後のライヴを行った会場は、東京・新宿LIQUIDROOMだった(2016年に再結成)
90年辺りは〈猫も杓子もシューゲイザー状態〉で、特にクリエイションからはムーンシェイクやメディシン、テレスコープスなど多くのシューゲイザー・バンドが登場しました。中でも異彩を放っていたのが、レイチェル・ゴスウェルとニール・ハルステッドを中心に結成されたスロウダイヴです。バンド名の通り、奈落の底へゆっくりと堕ちていくようなフィードバック・ノイズ、美しい男女混成ヴォーカルのコントラストにより、マイブラ、ライドとともに〈シューゲイザー御三家〉と称され、シーンが収束した後も人気を保ち続けてきました。それは、ブライアン・イーノも参加したセカンド『Souvlaki』(93年)以降のアンビエント路線が、テクノ〜エレクトロニカ界隈にも大きな影響を与えたからです。
他には、ダイナソーJr.らUSインディーにも通じる、乾いたサウンドを鳴らすスワーヴドライヴァー、スペースメン3の流れを汲んだ、ヘヴィー・サイケ路線のチャプターハウス、〈狂気のやすらぎ〉という、ポール・セイヤーの著書から拝借したタイトル(90年作『The Comforts Of Madness』)そのままの世界観を持つペイル・セインツ、妖艶な女性ヴォーカルとインダストリアルなビートが特徴のカーヴあたりが有名でしょう。
短かったピーク、シューゲイザーの栄光と落日
91年11月、マイブラのセカンド・アルバム『Loveless』が発表され、シューゲイザーは頂点を迎えました。幾重にもレイヤーされたギターは深いリヴァース・リヴァーブによって輪郭を失い、その渦の中で男女ヴォーカルが夢見心地に漂う……。ドラムはぼぼギターにかき消され、まるでアンビエント・ミュージックのようですらある本作は、今も歴史的名盤として燦然と輝いています。『Loveless』のリリースと同月に行われた、彼らの初の来日公演は、川崎クラブチッタでは急遽〈昼の部〉が開催されるほど盛況だったのを覚えています。が、マイブラの人気はあくまでも局地的なもので、10数年後にここまで神格化されるとは(一部の熱狂的なファン以外は)思いもしなかったはずです。
92年以降、シューゲイザーは急速に衰退していきました。他のバンドが次の一手を打ち出せぬまま次々と解散していったこと、ブリットポップのような次なるムーヴメントが台頭してきたことなど、理由はいくつか考えられます。もちろん、肝心のマイブラが『Loveless』という金字塔を残したまま、完全に沈黙してしまったことも大きな要因の一つです。
〈シューゲイザー〉という言葉は、いっとき完全に死語となりました。それが90年代中盤あたりから、ポスト・ロックやエレクトロニカ、USインディーといった、次なる世代のバンドやアーティストたちが奏でるサウンドの中に〈シューゲイザーの遺伝子〉が確認されるようになっていくのですが、それについてはまた改めて……。
今回のシューゲイザー講座をまとめてチェック
90年代を彩った名ナンバーをプレイリストで復習しよう!