もしも自分の好きなように野外フェスのラインナップを決められるとすれば、いったいどんなラインナップにしよう?――そんな妄想を広げたことのある方は多いことだろう。11月3日(金・祝)、4日(土)の2日間、静岡・掛川市のつま恋リゾート 彩の郷で開催される野外フェス〈FESTIVAL de FRUE〉は、そんな夢を実現してしまったかのような凄まじいメンツが各所で話題を集めている。

生前のウィリアム・バロウズやブライアン・ジョーンズも虜にしたモロッコの呪術音楽集団、マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカ。70年代のスピリチュアル・ジャズの伝説的存在、アイドリス・アッカムール&ザ・ピラミッズ。日本でも絶大な人気を誇るトルコのサイケデリック・ロック・バンド、ババズーラ。カルト的人気を誇るドイツ人DJ/プロデューサー、アシッド・パウリ。トーマッシュ率いるサンパウロのアンダーグラウンドDJ集団、ヴードゥーホップ。ポスト・ダブステップ~インダストリアルな作風で注目を集めるブリストルのヴェッセル。アメリカ西海岸を拠点とするブラジルのシンガー・ソングライター、ファビアーノ・ド・ナシメント。さらに日本勢も水曜日のカンパネラ、DC/PRG、高木正勝、OGRE YOU ASSHOLE、∈Y∋など、個性派ばかりがズラリと並ぶ。

そんな本フェスを主催するのは、他に類を見ないディープなラインナップが東京のクラブ・シーンで異彩を放ってきたパーティー、〈FRUE〉の運営メンバーだ。実は彼らはもともと2000年代にギャラクティックやメデスキ・マーティン&ウッド、クリッターズ・バギンといった数々のジャム系バンドを日本に招聘してきたパーティー、〈ORGANIC GROOVE〉にスタッフとして関わってきた面々。また、伝説的な野外フェス〈True People's Celebration〉のコア・メンバーでもある。

日本各地のフリークスたちの間ですでに大きな話題となっている今年最後にして最大の奇祭、〈FESTIVAL de FRUE〉。その内容と背景にあるものを探るべく、主催の山口彰悟に話を訊いた。

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山口彰悟(FRUE)

 

あくまでも自分が気持ちよく踊りたいんです

――山口さんがイヴェントのオーガナイズに関わるようになったのはいつ頃からなんですか?

「僕は98年に熊本から上京して、90年代末からテクノやハウス、ドラムンベース、ダブのパーティーに行きはじめました。もちろん野外レイヴも毎週末のように行っていたんですが、なかでも〈ORGANIC GROOVE〉(以下OG)に凄く感銘を受けたんです。当時はまだ22歳ぐらいだったのでその衝撃が何なのか自分でもよくわからなかったんですけど、〈OG〉が主催した2002年の〈True People's Celebration〉(以下TPC)が特に強烈で。お客さんとして通っていたのが、2003年ごろから気が付いたらスタッフとしても関わるようになるんです。〈OG〉は初年度の〈GREENROOM〉のブッキングや制作もやっていて、僕はトミー・ゲレロのギターを取りにいくためだけにサンフランシスコまでパシらされたりしていました(笑)」

※よみうりランドで開催。エルメート・パスコアールやサン・ラー・アーケストラ、メデスキ・マーティン&ウッド(以下MMW)らが出演した

2002年の〈TPC〉でのMMWのインタヴュー&パフォーマンス映像
 

――それ以前からイヴェント制作に関わってみたいという思いがあった?

「自分のイヴェントはやってみたいと思ってました。ただ、いざやってみようと思うと何からやっていいのかわからなくて。〈OG〉のスタッフを経験した後、2006年に築地にあるイヴェント制作会社に入って制作を学んで、同年に山中湖のシアターひびきで行われた〈TPC〉にコア・メンバーのひとりとして携わりました」

――2006年の〈TPC〉はMMWやテレフォン・テル・アヴィヴ、キッド・コアラ、SPECIAL OTHERSなども出演して当時かなり話題になりましたが、立川談志師匠が出演していたのも異色でしたよね。

「談志師匠は僕がブッキングしたんですよ(笑)。〈OG〉は〈伝説と現在を繋ぐこと〉がテーマだったので、それまでにもエルメート・パスコアールやサン・ラー・アーケストラ、ザキール・フセインらのいるタブラ・ビート・サイエンスやジミー・クリフが出演していたんですね。2006年のときにも伝説的な人物を呼ぼうということになって、みんなで頭を悩ませていたんですけど、たまたま僕が談志師匠と知り合いだったのでブッキングします、と(笑)。主催として深くイヴェントに関わったのは、その2006年の〈TPC〉が最初でしたね」

――やってみていかがでした?

「いやー、とにかく大変でした。でも、MMWが“We're All Connected”という自分の大好きな曲を演奏してくれた瞬間、〈ああ、やってよかった!〉と思いましたね(笑)」

MMWの2008年作『Let's Go Everywhere』収録曲“We're All Connected”
 

――この間、山口さんがオーガナイズしたニュー・ザイオン・トリオの来日公演で、一番グッときたのは山口さんがフロアに降りてきて、ものすごく楽しそうに踊っていたことだったんですよ。あそこまで楽しそうにしている主催者もあんまりいないんじゃないかと思って(笑)。

「そういう意味では僕は完全にリスナー側なんです(笑)。自分としては、とにかく踊りたい。気持ちいい音で踊るためにはどうやって自分たちがピンときたアーティストの来日を実現させるか、その次に赤字にならないようにどうやってイヴェントを組み立てていくか。あくまでも〈自分が気持ちよく踊りたい〉という思いが最初にあるんです」

――そして、その思いをひとりでも多くの人と共有できたらいい、と。

「共有するにしても、そんなに深い共有じゃなくていいと思うんです。例えばイヴェント会場のトイレでふと目が合ったときに〈今日、ヤバイよね!〉とアイコンタクトでコミュニケーションを取るぐらいの感覚。それぐらいでいいと思うんですよ。2006年に〈TPC〉をやっていたころは自分もまだ若かったので、みんなに〈わかってほしい〉という気持ちが強かったと思うんです。でも、それも徐々に強制的なものではなくなってきましたね」

――90年代以降の日本のクラブ・シーンを振り返る際、あまり指摘されないですけど、90年代末の〈OG〉から〈TPC〉、そして現在の〈FRUE〉に至るひとつの流れってあると思うんですよ。同時代の野外フェスやアンダーグラウンドなクラブ・シーンともリンクしつつ、ジャム・バンド以降の、よりジャンルレスでフリークアウトした潮流を作ってきたと思うんです。SPECIAL OTHERSなんかはまさにその潮流に影響を受けていますよね。ただ、〈OG〉〈TPC〉の出演アーティストってジャンルも時代も国籍もバラバラ。それもあって、体験している人以外はなかなか凄さがわからないところがあると思うんですよ。

「確かに〈OG〉にしても〈TPC〉にしても、決してわかりやすいものじゃなかったと思うんです。バンドもいればDJもいて、ラインナップを見ただけでも何のパーティーかわからない。でも、そこは体験してもらうしかないと思うんですね。今回モロッコから呼ぶジャジューカは現地ではテントの中でパフォーマンスが行われるんですが、音が反響してテクノみたいな空間になるそうなんですよ。そういうことは実際に体験しないとわからないと思っていて。だから、お客さんに〈よくわからないけど行ってみたい〉と思わせることが大事だと思うんです」

――何よりも体験してもらうことが重要だ、と。

「そうですね」

 

売れてるアーティストより、魅力あるアーティスト

――第1回目の〈FRUE〉が開催されたのは2012年3月だったわけですが、この〈FRUE〉というイヴェント名はどうやって付けられたんですか?

「もともと、音楽でも映画でも〈魂が震える〉というフレーズが好きなんですが(笑)、その気持ちをひと言で言い表せないものかと思っていたんですね。それから〈True〉という言葉の響きにも愛着があったので、TをFに変えて〈FRUE(フルー)〉にしました。また、〈ふるう〉という言葉にはいくつかの意味があります。大きく揺り動かす〈振るう〉、ふるえる〈震う〉、ふるいにかけてより分ける〈篩う〉、能力を発揮する〈揮う〉、気力を充実させる〈奮う〉など、概ね良いイメージを持つ言葉なので、〈フルー〉と発音しているうちに、無意識の中に眠っているそういった〈ふるう〉イメージを喚起できないものかと思って名付けました(笑)。ほかにも伝染する(Flu)という意味もありますね」

――イヴェントを始めるにあたって、具体的なイメージはあったんでしょうか?

「バンドを呼ぶのは予算的にも大変なので、最小の予算でできるDJなりプロデューサーを招聘しようと考えました。もともと、∈Y∋ちゃんやMOOCHYみたいな民族っぽいトラックをMIXしたDJは好きでした。でも、しばらくバンドにどっぷりハマっていたので、ダンス・ミュージックをあまり聴いていない時期が続いてたんですが、〈TAICOCLUB〉でリカルド(・ヴィラロボス)、〈The Labyrinth〉でシャックルトンとファンクションを聴いて、一気にそっち側のダンス・ミュージックに耳が開きました。そんななかで、いまいちばんヤバいアーティストを招聘しようと思ったんです」

※2001年にスタートした、クラブ・ミュージック系の人気野外フェスティヴァル

――1回目の〈FRUE〉ではマドリードのDJ/プロデューサー、スヴレカなどが出演しましたが、彼は〈FRUE〉がプッシュするまで日本ではほぼ知られていなかったですよね。

「誰も知らなかったと思います(笑)。シャックルトンやファンクションみたいにオリジナリティーがあり、妖しさもあって色っぽいテクノ・アーティストがどこかにいないかな?と思ってテクノのサイトを調べまくっていたんですけど、そんなころ(音楽評論家の)阿木譲さんがスヴレカの所属しているセマンティカというレーベルを推していたことを知ったんですね。それでスヴレカのミックスを聴いてみたら凄くて。最初の一時間がビートレスで、後半がダンスになっていく展開のミックスだったんですけど、僕にとってはエクスペリメンタルな前半部がジャム・バンドやジャズのインプロヴィゼーションみたいに聴こえたんです。〈テクノでこんなことできるんだ? やるんだ!〉という驚きがあったんですね。それで第1回目の〈FRUE〉にはこの人しかいない、と」

2016年の〈The Labyrinth〉でのシャックルトンのパフォーマンス映像
 

スヴレカの2016年作『Narita.Compiled』収録曲“Sleepless”
 

――やってみて、どうでした?

「ネーム・ヴァリューがある人じゃないから集客的には厳しかったですけど、めちゃくちゃ盛り上がりました。〈The Labyrinth〉のオーガナイザーも踊りまくっていて、その年の〈The Labyrinth〉にスヴレカが呼ばれることになったんです。プロデューサー的な視点で言うと、してやったりという感覚でしたね(笑)。以降、5回ぐらいスヴレカを日本に呼びましたけど、〈FRUE〉とスヴレカは一緒に成長してきたような感覚があります。残念ながら今回のフェスでの来日は叶いませんでしたが」

――スヴレカと共に〈FRUE〉がプッシュしてきたDJ、トーマッシュも日本ではほぼ知られていなかった存在ですよね。

「そうですね。そもそも売れてる人をブッキングするのってすごく難しいんです。ギャラが高かったり、スケジュールが合わなかったり。でも、まだ世界的に知られているわけではないけど、魅力のあるアーティストを発掘して紹介していくというのは自分たちがやりたいことでもあります。砂漠の中からひと粒の輝く原石を探す感じは嫌いじゃないです(笑)。ただ、誰もが知るアーティストではないので、日本に呼ぶにはリスクもある。だから、最初は赤字だったとしても3回目くらいで取り返すつもりでいました。続けて呼ぶことで定着させる、と。スヴレカにせよトーマッシュにせよ、そういうアーティストですね」

――その後、年に3、4回のペースで〈FRUE〉を開催していくわけですが、これまでにババズーラやヘリオセントリクスのような海外のバンドの来日公演も実現してきましたね。

「さっきも言ったように、バンドはやっぱり呼びたいですからね。〈OG〉はアメリカのジャム・バンド系を中心に呼んでいたので、〈FRUE〉では違うタイプのバンドを呼びたいと思っていて。ただ、本当は出演者の顔ぶれで来るんじゃなくて、〈FRUE〉というパーティーに遊びに来てくれる人が増えてくれたらいいんですけどね。空間演出なども含めた全体を見てくれたら嬉しいです」

ヴ―ドゥーホップのパフォーマンス映像