きっかけは突然だったが、いまや5000万人が彼の歌声を聴いている。Most Known Unknownから2017年の最注目新人へ。Michael Kanekoがいよいよデビュー!
誰も振り向いてくれなかった
「origamiに入る前は、いろんなところにデモテープとか送って、〈声が好き〉って気に入ってもらえても、やっぱ〈日本語で歌いなさい〉とか〈この声でJ-Popやったら絶対いいよ〉って言われて。何回か挑戦したこともあるんですよ(笑)。でも、〈このままやってたら、きっとイヤになるな〉と思ったり、そのへんは頑固だから、はい。もちろん日本語の曲で好きな曲もあるし、実際ライヴで歌う曲もあるけど、僕は日本語であんまり良い歌詞は書けない気がする(笑)。自分の気持ちとかを歌詞に書くのは英語でしかできないと思うので」。
アコギを弾きながら英語詞で歌うシンガー・ソングライターのMichael Kaneko。15歳までLAで育ち、帰国後もインターナショナル・スクールに通っていた彼にとって、それはごく自然なことだろうが、頑固に自身の表現を貫いたことが道を拓いた。デモ音源集『Sounds From The Den EP』がネットと手売りで評判をジワジワ広げ、「テラスハウス」で曲が起用されたり、一方では昨年の〈サマソニ〉や〈朝霧JAM〉〈GREENROOM〉、今年の〈フジロック〉といった大型フェスにも次々と出演したり。そうした躍進を気に留めていなくても、数多くのCMソングやジングルで彼の歌声を耳にしている人も多いに違いない。つまり、彼の音楽が備えた間口の広さは、すでにさまざまな入口を受け手に提示しているのだ。そんな大器がいよいよ初の一般流通作『Westbound EP』をリリースした。
歌声や曲調を聴けば海外で生まれ育った日系ミュージシャンのようだが、実際の彼は日本で生まれて4歳で渡米したという経歴の持ち主。父親の影響でクリームやイーグルスのようなクラシック・ロックに親しみ、一方では普通にアメリカの少年らしいヒット・ソングを聴いて育ってきたという。
「小学1年生の時に『タイタニック』が大好きで、タレント・ショウみたいなので5人ぐらい友達とステージの上で船に乗ってセリーヌ・ディオンの曲を歌ったりしてました。これ言うのめっちゃ恥ずかしいんですけど(笑)。別の年には、バックストリート・ボーイズが好きで踊って歌ってた記憶はありますね」。
成長するにつれ人前で歌や演奏をすることはなくなっていったそうだが、高校入学を転機として11年前に帰国してからはバンドを組んでギターを演奏。やがてはフロントに立って歌いはじめるようになった。
「もともとブルースとクラシック・ロックが好きでエレキばっかり弾いてて、歌よりギターが先だったんですよ。バンドで歌う人がいない時に高校生レヴェルで歌ってたって感じで。本格的に歌をがんばろうかなと思ったのは、18ぐらいですかね。バンドをやらなくなって、アコギ弾くようになって、ソングライティングにも興味を持ちはじめて。僕はジョン・メイヤーが凄い好きで、最初はジョン・メイヤー・トリオの彼が好きだったんですけど、〈あ、この人、シンガー・ソングライターでもあるんだ〉って知って、自分も歌いはじめた感じですね。最初の頃に書いてた曲は、いまとは全然違くて、もうちょっとポップ寄りで、ジェイソン・ムラーズっぽいというか……まあ、そっちのほうがウケが良かったのもあるのかな(笑)。そうやって歌いながら、自分が好きなインディー・ロック系のバンドの要素も入れたりとか、少しずつ自分のサウンドを見つけて、いまの形が出来てきた感じです。いろいろ試しましたね(笑)」。
ソロでアコギを弾いて歌いはじめた頃は「歌詞が英語だし洋楽っぽいから、誰も振り向いてくれなかったですね(笑)」と笑うMichaelだが、YouTubeやSoundcloudで自作曲を発表しながら、冒頭の発言通りさまざまなレーベルへのアプローチを開始する。挫折を繰り返すなかで出会ったのが、mabanuaやShingo Suzukiらを擁するorigamiだった。
「2014年の冬ぐらいかな、もう音楽やっててもダメかなって凄い落ち込んだ時期があって実家に戻ってたんですけど、その時に自分の好きなチェット・フェイカーのオープニングをmabanuaさんっていうアーティストがやってることを知って、〈どういう人なんだろう?〉みたいな感じで調べて。それでorigamiを知ってメッセージを送ったのがきっかけですね」。
同じような作品はもう作れない
以降の飛躍は世が知る通り。当初はサポートを受ける形での関わりだったものの、曲がCMに起用されてからは問い合わせが殺到し、「その時は自分でCD-Rを1つ1つ焼いて、ジャケットの紙を切って、封筒に入れて送ってたんですよ。だから、100枚単位になると送るのに凄い時間がかかって大変で……(笑)。それで〈もう無理〉ってなって」昨年6月に正式にorigamiに所属するに至った。そこから先述のフェス出演や多くの外部仕事、客演などを経て、今回の『Westbound EP』が完成したわけである。
20曲ほどの候補から選ばれた5曲は、件のデモCDにも収められていた“Separate Seasons”と“Cracks In The Ceiling”も含むが、いずれも関口シンゴやKan Sanoらorigamiの面々や、神谷洵平(ドラムス)、多田尚人(ベース)といったライヴ・メンバーを交えた新録。例えば幕開けのリード曲“Lost In This City”は過去にYouTubeでも公開していた曲ながら、mabanuaとShingo Suzukiがバックを固める形でソリッドに生まれ変わっている。
「作った時期はけっこうバラバラですね。“Lost In This City”はスタッフの皆と話して〈これがリード曲にいいんじゃない?〉ってなったんですけど、この中で一番古い、大学3年生の時に書いた曲なんですよ」。
逆に、もっとも書いた時期が新しいのは「個人的に一番好きかもしれない」という“Flooded”で、これはスケールの大きいグルーヴが視界を開いていく骨太なロック・チューン。“Cracks In The Ceiling”など悩める思いを吐き出した歌詞が目立つなかで、仄かな希望を見据えた言葉の並ぶこの曲が直近の作というのも興味深い。
「曲の内容はほとんど自分の体験です。曲調はハッピーでも、けっこうドロドロで暗い(笑)。やっぱ自分が出すものだったら、自分の体験にしたいじゃないですか。シンガー・ソングライターって、アップダウンが激しいっていうか、そういう体験をしながら書いてますね」。
曲作りは「普通に趣味」という彼はCM仕事や他人へのソングライティングも楽しんで行っているそうで、だからこそ自分の曲ではより彼自身が表れてくるのだろう。EPを締め括る“It Takes Two”は、初期のブルーノ・マーズを想起させるような青臭さも滲むソウル風味のポップ・ナンバー。
「そうかもしれない、確かに。わりと最近に書いた曲で、そこまでドロドロしてない感じですかね(笑)。これはけっこうリード曲になるような感じの曲を考えて作ったから、何かキャッチーっていうか、一発聴いて〈あっ!〉みたいな感じですよね」。
本作で改めて最初の一歩を刻み、シンガー・ソングライターとして、ギタリストとして、さらにはプロデューサーとしても今後の彼は成熟し、作品世界も変化していくことだろう。当人も「1年前の僕はEPを作るのも不安があったんですけど、今回作って〈あ、できる!〉って思った」とこの後のフル・アルバムに自信を覗かせる。それだけに、「できるだけ流行りとかじゃなく、ホントに自分がやりたいことをやったつもり」というこの『Westbound EP』にあるのは間違いなく、Michael Kanekoのピュアな赤心の歌だ。
「そうですね。僕が音楽を始めて、これが出来るまでの、全部の経験が入ってる作品かな。4年前に書いた曲もあるし、1年前の曲もあるから、歌詞の意味も曲調もそうだし、アレンジとかプロデュース能力とかもそうだし。これと同じような作品はもう一生作れないと思うんですよ、やっぱり。この〈初期の自分〉みたいな感じでは。で、10年後、アルバム5枚ぐらい出した後に聴き返して〈あ、これ初期のMichael Kanekoだな~〉みたいに思えるような、そういう作品になってほしいですね」。
『Westbound EP』に参加したアーティストの作品を一部紹介。