
深まる不信感、埋まらない溝
その一方でシングルのセールスは伸び悩み、メンバーはラフ・トレードに対して不信感を募らせていく。と同時に、アンディのドラッグ中毒や84年にキャンセルしたヨーロッパ・ツアーの賠償金支払いをはじめ、バンドの周辺でトラブルが多発。そうした状況下にありながら、彼らは85年11月にサード・アルバム『The Queen Is Dead』を完成させる。もともとは〈Margaret On The Guillotine〉と名付けられる予定だったというが、それに勝るとも劣らない衝撃的なタイトルだ(なお、ボツになった案はモリッシーがソロへ転向した際、改めて曲名に採用している)。〈さあ、タイトルも決まったし、いよいよ発表するぞ!〉と意気込んでいた最中、4人が他のレーベルへ移籍しようとする気配を察知したラフ・トレードは裁判所に申し立て、リリースを延期させてしまう。結局、もう1枚アルバムをラフ・トレードから出すことで両者は合意。86年6月にようやく『The Queen Is Dead』は放たれ、全英2位を記録している(首位を阻んだのはジェネシスの『Invisible Touch』だ)。
外側からは順風満帆に見えていたものの、全米ツアーによる疲弊や契約問題、アンディのリハビリによる一時脱退と、それに伴うクレイグ・ギャノン(元アズテック・カメラ~ブルーベルズ)の加入など、内側はゴタゴタしていた。結局アンディは2週間で復帰し、急遽5人編成でツアーを回るも、ツアー終了後にクレイグはグループを去り、ふたたび4人組に戻ることとなる。なお、彼が在籍した期間はわずか半年ほどだったが、短く貴重な5人組時代に行われたマサチューセッツ州マンスフィールドでのライヴ音源が、今回の『The Queen Is Dead: Deluxe Edition』のDisc-3に収められている。
そのマンスフィールド公演の翌月にあたる86年9月、スミスはEMIへの移籍を発表。すぐさまラフ・トレードからのラスト・アルバム作りに取り掛かり、かねてからエンジニアリングを任せていたスティーヴン・ストリートと共にスタジオへ入る。が、全米ツアーを機にこじれはじめていたというモリッシーとマーの関係性が、この頃から表立って悪化。マネージメント面も担うマーのストレスは爆発寸前だった。そのことを知ってか知らずか、モリッシーはレコーディングを突然キャンセルするなど非協力的な態度を取るようになっていく。そんな危うい状態のもと、『The World Won't Listen』と『Louder Than Bombs』という2つのコンピレーションを間に挿んで、4枚目のオリジナル・アルバム『Strangeways, Here We Come』が出来上がる。これまでよりも大幅にホーンやストリングス、シンセサイザーなどを導入し、ギター・サウンドに頼らないプロダクションを構築したのは、あきらかに〈前作の続編を作らない〉という意思表示。スミスの新たな方向性を打ち出していたのだが、皮肉なことにリリースされたのはバンドの解散がアナウンスされた直後の87年9月だった。
もしも信頼できるマネージャーに出会えていて、なおかつ不毛に終わったアメリカ進出さえなければ、4人の物語は続いていたかもしれない。しかし、解散と時を合わせるようにして英国の経済は徐々に回復。90年代半ばには100年ぶりとなる好景気になり、〈クール・ブリタニア〉と呼ばれる時代を形成していく。スミスは最悪の時代を生きたグループであった。重くのしかかるのは鉛色の雲だけでなく、社会全体にもあった。そして解散から30年が経ったいま、やりきれない時代を背負った彼らの音楽は地球規模で社会的弱者が増えているなか、ふたたび揺るぎないリアリティーを持って私たちの心情を揺り動かす。『The Queen Is Dead: Deluxe Edition』は、その端緒となることだろう。




