参加型フェス 第三回〈アンサンブルズ東京〉の作り方
アンサンブルズ――大友良英が2008年にYCAMで開催した大規模展の題名でもあったこのことばは、音楽のみならず美術からある種の組織論まで、大友の協働の試みの根幹にかかわる方法というより態度、態度というよりはかまえの一端をしめすものであり、アンサンブルのあとの複数形のSはふたつ以上の作品や行為や集団や個人がともにあることを意味するとともに、特定の中心をもたず、それらがゆるやかにかかわりあう場を思わせる、その名称を私たちの暮らす街の名前の前につけた〈アンサンブルズ東京〉は〈自分の手で作り上げる音楽祭〉を謳い、ディレクションを担当する大友良英のほか、第3回となる今回は坂本美雨とCANTUS、芳垣安洋とOrquesta Nudge! Nudge!、UA+稲葉俊郎といった多彩なラインナップだったが、その人選の狙いについての私の問いにたいする大友の答えはちょっと意外なものだった。
「参加型フェスなので全部俺の采配で決めるのはよくないと思っていて、みんなにもいろんなアイデアを出してもらって、決まったらコントロールしないようにしていたの」(大友)
私はてっきり大友さんが全部決めているのだと思っていました。大友良英のディレクションと謳っているのだから。それがフタを開けてみたら思ったよりゆるかった、というと失礼だけれども、肩肘張らない在り方はむしろ好もしい。参加型フェスとはつまり枠組みづくりのときからはじまっていたのである。
このたびの〈アンサンブルズ東京〉は上述の4組に加え、おなじく大友が参加するプロジェクトFUKUSHIMA!による〈大風呂敷〉企画をふくめ、5つのプロジェクトで構成し、個別に開催する事前のワークショップを経て本番にのぞむ。取材日にあたった本番前日には、渋谷にあるレッドブル・スタジオ東京にて、坂本美雨とCANTUS、UA+稲葉俊郎、大友良英スペシャルビッグバンド、芳垣安洋とOrquesta Nudge! Nudge!がワークショップをひらいていた。その合間を縫って取材に応じてくれたのは大友、UA、稲葉俊郎の三者。UAは7年ぶりの新作『Japo』を昨年リリースしており、大友と稲葉はひと月ほど前共著「見えないものに耳をすます―音楽と医療の対話―」を刊行したばかりだったが、稲葉の参加もやはり大友の依頼によるものではなかった。参加を打診されたUAが交流のあった稲葉に声をかけたのだという。
「先生との出会いは縁としかいいようのないものでした。稲葉先生の奥さんと知り合いだったのもあって、ある日一緒に食事する機会にめぐまれたんですね。じつは〈アンサンブルズ東京〉の日には別のツアーを仮で入れてしまっていたので参加を決めかねていたんですが、先生とお話ししているうちに、ふつふつと私にもなにかできるのかなという気になってきたんです」(UA)
「そのへんの話をしたのも大友さんともかかわりがあるんですよ。3・11以後の日本の未来を考えたとき、なにをすればいいのかと考えていたんです。ただ原発いらないといえばいいのかと考えたときに、やっぱりそうじゃないと思った。ぜんぜんちがうジャンルのひとと、でもおなじようなことを考えているひとと、だれも見たことのないものをつくらないといけないと強く思いました。未知のものをつくって提示することで、私たちはこっちに行きたかったんだと思えるようにしたい。そのときに、ぼくは医者なので、そこには限界があって、ほかのジャンルのひとたちとそういった思いを共有しなければならないと考えて外に出はじめたんです」(稲葉)
文中の発言のとおり、稲葉俊郎は現役の医師であるとともに東京大学病院の循環器内科の助教でもある。医療と音楽という異なる分野が出会い未知のものが生まれる――その発言の根底にあるのはおそらく人間にたいする洞察における共通性である。大友との前述の共著で稲葉は理想の医療について「体、心、命といった人間の全体性を扱いながら、あらゆる多様性を尊重して、未知なものとの対話や調和」をめざしたいと答えている。生物としての総和はもとより社会や世界でそれが生きることの意味をふまえてひとをみる。そのような人間観はやがて境界を越え未知の領域ににじみだしていく。音楽と医療がかさなりあう可能性はすくなくないし、そもそも身体という共通事項を携えているのはここにいる3人も音楽祭の参加者も私たちもかわりはない。UAと稲葉のワークショップでは〈声をだす、声をきく〉ことをテーマに掲げていた。声もまた身体にとって根源的な要素であるだけでなく音楽の原初の響きでもある。
「声を出すのと耳をすますのは表裏一体なんですね。みんな知らず知らずのうちにフタをしていると思うんですよ。都会のひとってノイズにとりまかれているし、無音の場所がほとんどない。自然がほぼない場所にいるなかで、でもひとは本来自然のものじゃないですか。自分のなかに耳をすまし隣のひとにも耳をすます」とUAはいう。「それが結果的に輪になってつながっていくんですね」と稲葉俊郎は発言をひきとった。取材後のワークショップではふたりのことばを裏づけるように車座の参加者たちが自身を内側に目を凝らすように声を出し耳を傾けている。おなじ建物の上階では100人からの参加者を募った大友良英のスペシャルビッグバンドが種々雑多な音を発している。こぶりなノイズマシーンから立派な各種管楽器とかギターとかバンド然とした楽器持参の方がおられる一方で、かぶりものの親子まで、遠方からの参加者もちらほらいる雑多な集団を大友良英は簡単なサインと身ぶり手ぶりでアンサンブルに変貌させていく、というより、きっかけひとつあれば、ひとは息を合わせるのだという合奏のよろこびの原点がその場にはあった。
一方で大友は「集まることがいいこととばかりとはかぎらない」ともいう。その発言の背景にも福島での経験があった。もめごとが起こるかもしれないし、ひとつの問題について話し合ってもうまくいかないかもしれない。「それでもなんとかしなきゃいけないときになんとかする術はやっぱりあって」大友の出した答えが「お祭」だった。むろん十把一絡げに祭といっても、作り方をまちがえるとイヤな方向に進まないともかぎらない。世の中にはそのような祭が掃いて捨てるほどあるし、「よくよく考えると、バイトのマニュアルがいっぱいあるのも学校の窮屈な感じも人間関係の作り方と似たようなものだからそうじゃないことができる場所をつくろうというのは一個ある」と大友はいう。場をつくるといっても、なんでもいいというのではない。場というのはあくまで音楽の場なのだ、と大友はことばをかさねる。場は開かれていなければならないが音楽をなおざりにするのではない。むろん〈アンサンブルズ東京〉も例外ではない。坂本美雨とCANTUSが舞台にかけた“赤とんぼ”や宮沢賢治の詩による“星めぐりの歌”はじめ、とりあげた楽曲はけっしてむずかしいものではなかったが、高度な手法を求める曲がそのように響くともかぎらない。大友はスペシャルビッグバンドのワークショップで即興の指揮に使ったサインはブッチ・モリスがコンダクションにもちいたものを簡略化したものだと説明したが、かぎられたサインだからといって音楽は単調になるどころか、参加者の多様性が演奏の幅を押し広げてくのは、カーデューのスクラッチ・オーケストラというより、飛躍を承知でいえば、パンク以後のDIYの響きをもつものであり、そう感じたのはスキル以前に参加者の解釈のゆたかな階調のせいだった。
音の背景には微細なこころの動きがある。稲葉俊郎は本番の会場となった東京タワーについて「朝鮮戦争で日本が特需景気になり、戦車があまった。あまった鉄を使って東京タワーを建てたという話があります。ですから東京タワー自体がある種の〈鎮魂〉のようなものだと、ぼくは裏テーマで思っています」と述べる。翌日の本番で、UAと稲葉と20名のワークショップメンバーは正面玄関前にもうけたステージを降り観客とおなじ目線の高さで円陣を組んだ。傍目からは儀式っぽいが儀式につきものの閉鎖的な気配とは無縁である。足下にはプロジェクトFUKUSHIMA!の大風呂敷が敷き詰めてあり頭上には吹き流しがたなびいている。タワーを挟んだ南側、トレーラーの荷台を舞台にしたステージでは、私が赤羽橋から到着したときには芳垣安洋とOrquesta Nudge! Nudge!が佳境を迎えていた。おりかさなる打楽器アンサンブルのうねりが観光客の足を止め見入っているさまは、コンサートホールとも巨大な野外フェスともちがう、いちばんちかいものがなにかといえば、やはり〈祭〉とこたえたくなるなにかであり、思い思いの思いが演奏に反映し波及する音が聴く者のうちにこだまする、フェスティヴァルをしめくくった大友良英スペシャルビッグバンドの前の日よりも躍動した演奏を私は堪能し、終演後にみんなで大風呂敷をたたみ会場をあとにした。小雨降りしきるあいにくの天気だったが足どりはいつもより軽やかだった。
●アンサンブルズ東京
音楽家・大友良英のディレクションのもと、誰もが参加できる音楽フェスティヴァル。3年目の今年は10月15日(日)に東京タワーにて開催された。ワークショップ参加者がアーティストと共にステージで演奏を行うほか、一般参加者がプロジェクトFUKUSHIMA!と共に大風呂敷で会場を飾る。
主催:アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)/アンサンブルズ東京実行委員会
助成・協力:東京都