〈未来ノ和モノ -JAPANESE FUTURE GROOVE-〉。この企画では日本から発信される音楽の可能性について、アーティストへのインタヴューを通して迫っていく。時代や国境を超越して聴き継がれていくであろう日本産の現在進行形サウンドとして今回ご紹介したいのは、〈日本/海外〉という枠組みでは括れない『分離派の夏』をドロップした小袋成彬。
これまでに小袋は、R&BユニットN.O.R.K.のヴォーカルとして2013年にアルバム『ADSR』を発表、2014年からはインディーズ・レーベル、Tokyo Recordingsを主宰し、水曜日のカンパネラへの歌詞提供や様々なアーティストのプロデュースを担当するなど、音楽家/プロデューサーとしてのキャリアを着実に積み重ねてきた。〈宇多田ヒカルがプロデュースした〉という枕詞もいらないほどの経歴である。そして、『分離派の夏』は極めて内省的だが、現行の音楽シーンとも切り離されていない、という不思議なバランス感覚を有するものであった。
本作について質問を投げかけると、小袋は〈個人的な体験を音楽にしているだけ〉と答えてから、〈わからない〉〈関係ない〉と掴みどころのない発言を繰り返した。対人コミュニケーションを苦手としている、という意味ではもちろんない。彼はくだらないリップ・サーヴィスに興味がないのだ。しかし、そんな煙に巻く様な発言の中で時折光る率直な言葉から、彼のいまの心境を垣間見た気がする。小袋成彬は自身の作品を、音楽を、世界を、どのように考えているのだろうか。
僕は個人的な体験を音楽にしているだけです
――この『分離派の夏』というアルバムには、日本や世界のリスナーに向けた聴きどころなどがありますか?
「ありません。僕は個人的な体験を音楽にしているだけです」
――では、国内外の現行の音楽について思うことなどあれば教えてください。
「これからどんな音楽が出てくるか楽しみですね。楽しみでしかないですね」
――日本の音楽と世界の音楽とを比べた時に感じることはありますか?
「比べることがないですね。その作品が出てきた文脈を考えることが良いと思わないんです。寧ろ作品がどんな想いで作られたとか、そういうことにしか興味がなくて。だから、比べないですし、それをしたところで思うこともないです。
作者と作品は切り離して考えたいんですよ。作品だけを聴いてどれだけ深く感動するか、ということが重要で。もちろん作者のバックグラウンドや言語が作品に表れているということはあると思いますが。作品だけを聴いて、それが自分にとってどれだけ大事でおもしろいかというのを考える。まあ、後々調べたりはしますけどね。
だから、フラットです。とはいえ、そういう聴き方をしているのはここ3、4年です。中学生の時と同じ聴き方をしている感じ。当時は検索も出来なかったし、どこの誰が作ったのかもわからない曲をとにかく好きになる瞬間がありましたから」
――好きになる音楽に一定の共通項はありますか?
「最近聴いて良いなと思ったものは、やっぱりメロディーがあるものが多いかもしれません。テクノとかも聴きますけど、最近良さがわかってきたくらいで。ラップも自分には馴染まなくて。
BPMについても自分の作品では76くらいで、倍テン(リズムを倍のテンポで取る)ができる速さが多いですね。世界の音楽がどうとかはわかりません」
僕は社会にアイデンティティーがない
――では、日本人の感性やセンスでおもしろいなと感じる点はどこでしょう?
「俳句という文化があるように、日本語には間やゆとり、ふくよかさがありますよね。そこに美しさがあると思います。それは、悪く言えば曖昧さです。そういう言語の特性をしっかり理解したうえで作曲してはいました。
英語に関しては、羨ましい点はありますよね。音節があるので多くを伝えやすいですし、ラップがしやすいし、音節を繋げることでいろいろなグルーヴを作ることができます。そういうところを追っちゃうと、日本語だと難しいなと思います。ここ4、5年でいろいろな音源を聴き、日本語でできることとできないことがよくわかってきました。
あと、音楽業界的なことで言えば、〈スタジオでセッションする〉という文化が日本にはないですよね。だから、アイデアも内向きになります。最近読んでいた金井美恵子さんの『カストロの尻』で、谷崎潤一郎の言葉が引用されているんです。それによると、彼は死ぬ二年前に〈小説家としての幸福さを書き殴りたくなる。誰にも介入されない書斎でひとつの世界観を完結させるのは小説家だけの特権で、よくそれに惚れ惚れする〉と言っていたそうです。
いわゆるセッションをしない、家に籠って作る方法というのはある意味、小説家っぽいんですよね。それもあって、より内向きな物の方が日本的なのかなと思っています。制作している時には考えていませんでしたけど」
――世界の音楽的な潮流のなかで、近い将来や未来において、どういう立ち位置でいたいとか、そういったイメージはありますか?
「ないです。僕がやることは全く変わりません。ただ、世界的には〈まずキャッチーなメロディーがあって、イントロが短い曲が何回も再生されて、Spotifyのチャートの上位に出て、海外でバズる〉という潮流がある。だから、そのために短い曲を書くと。それについて言えば、僕はその競争に乗る気はさらさらないです。
世界がそうあるから、自分の音楽が変わるとかはまったくもってありえない。ただ、そういう作品のなかでもときどき素晴らしいものが出てきたりする。だから、そういう発想自体が悪いとは思いません。ただ、僕がその競争に参加するつもりはない。
〈未来〉という言葉も20世紀的な感じがします。僕は社会にアイデンティティーがないので、〈和モノ〉についてもよくわからないというのが本音ですね。自分が日本人であるという自覚はありますが、それを取っ払うのが重要だと思うので。社会にアイデンティティーを求めはじめたら、敵が増えるだけです。
例えば、僕は○○出身で、日本人だ、日本語話者なんだと。それで、外国でいじめられた時に〈私の心には日本という国がある〉と耐えるのは違うと思う。そうではなくて、僕は自分がこれまで経験してきたことに頼らなければいけないと考えているので。そうすることで、社会とか国とか肌の色とかがどうでもよくなるんじゃないかと。だから、〈どういう立ち位置でいたいか〉という考えもゼロですね」
――昨今は黒人以外によるブラック・ミュージックは文化搾取だとか、音楽や芸術界隈では厳しい言論もあります。
「そういうことに関しては、僕の考えとは違うということです。正しいか正しくないかはわかりませんが、好きではありません。そうしたら、日本人は尺八を持って太鼓を叩けばいいのかと。それに、僕の名前は漢字だし、洋服だって着てるわけですし。
ただ、最強だなと思うのはMIDIを開発したのが日本人だということです。それなら〈MIDIを使うな〉って言いたいですね。打ち込みもできなくなってしまうじゃないですか」
――リズム・マシーンもそうですね。
「TR-808も使えないですよ。そういう知識がまだまだ不足しているんじゃないですか」
本当に孤独な狂人だったら、自分のことを〈分離派〉とは言わないですよね
――『分離派の夏』のアートワークについても教えてください。
「イメージ共有のためにレイアウトの大まかな部分はフォトショップを使って、自分で作っています。こんな写真で、こうなっていてというところまで指示して、あとの細かいところはデザイナーの方に任せるという形でした。
作り方はそんな感じで、フォントは昔の岩波文庫とか、読んだことはないんですが矢沢あいさんの『下弦の月』という漫画のフォントが好きで参考にしています。〈日本語がエレガントに見える明朝体が良い〉という話をしました。『分離派の夏』に関してもフォントをオリジナルで作ってもらったんですよ」
――個人的に〈宇多田ヒカル=ヱヴァンゲリヲン新劇場版=明朝体?〉という安直な連想がありました。
「〈宇多田さんがエヴァンゲリオン〉というのはどういうことですか……? (スタッフが説明する)え、主題歌を歌っているんですか? ごめんなさい、知らなかったです。でも、エヴァの話は出ました。フォントのイメージが3パターンあって、〈これだとエヴァに似るよね〉と話していて。明朝体だからそりゃあ似るよな、と思いました。だから、太字のものよりも細字のものを選んだんです」
――アルバム・タイトルに掲げられた〈分離派〉という言葉についても詳しくお訊きしたいです。
「本当に孤独な狂人だったら、自分のことを〈分離派〉とは言わないですよね。僕も、もともと芸術家でもないし、どちらかというと社会人をうまくやっていたほうだと思うんです。だから、僕がこのタイトルを付けることに意味があると思う。〈分離派〉については明言するのは避けています。少なくとも僕は、変な狂人ではない。その意識はいまも昔も全然ありません」
――それは自身がポップスを作っている、ということにも関係する?
「わかりません。そういう意味で言ってないです」
第三者的な人がもっとも感情的である必要がある
――『分離派の夏』の収録曲のビートを制作するにあたって、何かコンセプトなどがあれば教えてください。
「コンセプトはありません。“Lonely One”に関してはYaffleくんがビートを作っています。僕は音色とパターンをいじっただけなので、特にビートに対する思いはないですね。それと、クリス・デイヴに叩いてもらった“E. Primavesi.”以外は全部自分でビートを作りました。
作り方としては普通ですけど、キックを打ち込んで、次にスネアを入れて、ハイハットを入れてという感じ。そのときに思いついたパターンを組み合わせて、最終的に〈あっ、こんなビートになっちゃった〉というタイプです。だから、コンセプトも特になくて。ただ、2拍目、4拍目でスネアを打たない様に気を付けてはいましたね。でも結局全部〈2、4〉になってしまいましたけど。逃れられないグルーヴに身を任せてしまいました」
――曲によってはビートがない瞬間が続いたりしますよね。それにはフランク・オーシャンの『Blonde』の影響もあったのかなと思ったのですが。
「いらなかった、というだけです」
――それはなぜ?
「なぜでしょう? 理由が必要ですか?」
――直接的ではありませんが、音の質感にトラップっぽさも感じました。
「わからないです。自分の影響について分析はしていません」
――制作期間に聴いていた音源はありますか?
「ラジオ(J-WAVEの番組、『MUSIC HUB』)をやっているので、毎週新しい音楽を聴いています。なので、トラップも聴いていましたけど、制作期間によく聴いていたのはクラシックですね、ラヴェルとかバッハとか。
僕はクラシックを通っていなかったので、今回、自分で制作をしたときに〈ちゃんと学びたいな〉と思ったんですよ。楽典的なことだけじゃなくて、〈他の楽器がどう鳴るのか〉〈どういうコード進行で、どういう音が鳴ると人は感動するのか〉ということを研究したくて聴いていました。基本、オペラ以外のクラシックには言葉がないわけですけど、やっぱり圧倒されちゃうんですよね。
恥ずかしい話ですけど、最近までラヴェルの“ボレロ”を聴いたことがなかったんです。でも、初めて聴いて、とてもぐっときて。〈そりゃあ、伊福部昭が“ゴジラのテーマ”を作るわ〉と。そういう感情の波が押し寄せてしまって、それはトラップを聴くよりも有意義でしたよ。理論に裏打ちされたものを超えた、圧倒的な感動。そこにどっぷりハマってしまったんです」
――“Lonely One feat. 宇多田ヒカル”の宇多田さんのヴァースには小袋さんのディレクションがあったそうですが、具体的にどのような指示をされたんですか?
「〈第三者的な人がもっとも感情的である必要がある〉と考えていて。あまりに僕が淡々としすぎていて、感情が出る場面がなかったんです。後付けですけど、『ベルリン天使の詩』みたいなイメージもありました。それを踏まえて、〈僕の好きな彼女の歌い方〉と〈僕の好きな言葉の詰め方〉を伝えて、それを意識して歌ってほしいというディレクションでした」
――それが新しい宇多田さんを引き出したんですね。
「あなたがそう言っているだけです。淡々と仕事としてお願いして、素晴らしいものが出来たなと感じています」
作品に興味があるだけで、作者にはあまり興味がないんです
――2月24日の〈Spotify LIVE〉でのパフォーマンスも拝見しました。一切MCしなかったのが印象的でしたが、あれは小袋さんの美学ですか?
「昔からMCはしません。N.O.R.K.のときに一度やったこともありますけど、それは曲が足りなかったからで、本当はしたくなかったんです。〈美学〉というよりも、僕はやりたいことをやっているだけなので」
――ところで、たびたび言及されているケンドリック・ラマーと〈FUJI ROCK FESTIVAL〉で共演しますね。何か話したいことはありますか?
「ないです。作品に興味があるだけで、作者にはあまり興味がないんです。英語もそこまで話せないですし、上手くコミュニケーションが取れないと思います」
――では、Tokyo Recordingsは今後、どうなるのでしょうか?
「もちろんやりますよ。僕はもう自分の作品を作ってしまったので、Tokyo Recordingsでは割と遊び心の方が強くなっていくんじゃないかなと」
――ちなみに、今後、客演してもらいたい人や共演したい人がいたら教えてください。
「ベルリン・フィルのソウル公演で弾いていた、年下の韓国人ピアニストのチョ・ソンジンがすごく良いなと思いました」
Obukuro’s choice