パワフルでオリジナルな活況を呈するアジア各地の音楽シーンの〈いま〉を、ライター/編集者の大石始をナヴィゲーターに迎え、当事者たちへのインタヴューでお伝えする本連載〈アジアNOW! ~アジア音楽最前線~〉。

第7回となる今回は、2月末に日本デビュー・アルバム『Never Get Better』をリリースし、6月2日(日)に来日公演を開催することも発表されたインドネシア・ジャカルタのインディー・ポップ・バンド、リアリティ・クラブにメール・インタヴュー。ジャカルタの人気YouTuberである紅一点のフロントウーマン=ファティア・イザッティがその活動の背景や、同郷で同じくYouTuber出身である88ライジングのリッチ・ブライアンからの影響なども語ってくれました。 *Mikiki編集部

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YouTubeが正式にサービスを開始したのは2005年11月。その後15年も経たないうちに、世界月間ログイン視聴者数は19億人に達した。音楽プラットフォームとしてのYouTubeの影響力はここで改めて強調するまでもないだろうが、非西欧圏においては欧米の流行がタイムラグなしに入ってくるようになっただけでなく、世界に向けて自分の存在を発信できるようにもなったわけで、YouTube以前/以降で音楽を取り巻く状況がガラッと変わってしまったともいえる。

そうした状況の変化は、世界第4位の人口を誇り、東南アジア諸国のなかでも最大のネット・ユーザー数を抱えるインドネシアにも見られる。SankeiBizの記事によると、2017年末の段階でネット・ユーザー数は1億4000万人強。ZDNet JapanではインドネシアにおけるYouTube利用率を43%としており、ざっと見積もってみても6,000万人以上ものYouTubeユーザーがいると考えられるわけだ。まさに東南アジア有数のYouTube大国である。

そうした背景のもと、弱冠11歳からYouTubeに動画をアップしていたのがリッチ・ブライアン。現在ではアメリカの88ライジングと契約し、世界的に知られるラッパーとなった彼が、もともとはジャカルタのYouTuberだったことはいまでは忘れられつつあるだろう。

そんなリッチ・ブライアンから刺激を受けたひとりの人気YouTuber率いるインディー・バンドがこのたび日本デビューを飾った。それがファティア・イザッティ率いるリアリティ・クラブだ。トロピカルでノスタルジックなサウンドは、活況が伝えられるジャカルタのインディー・シーンならではの魅力を放つ。まさにYouTube時代のインディー・バンドであるリアリティ・クラブの背景とインドネシアのYouTube事情について、ファティア・イザッティに話を聞いた。

リアリティ・クラブの日本デビュー・アルバム『Never Get Better』にも収録された“Elastic Hearts”

 

YouTubeは人を作り人を壊すものだから興味深い

――あなたはジャカルタの生まれですよね? YouTube上の投稿を見ているととても流暢な英語を話されますが、どこで習得したのでしょうか。

「ジャカルタ生まれだけど、小さいころからいろいろな場所を転々としてきたんです。これまでに南アフリカ、カナダ、アメリカで暮らしたことがあって、小学校のときカナダに引っ越してから英語を流暢に話せるようになりました。このことは私と私の弟でもあるファイスにとっていいことだったと思いますね」

――YouTubeに自分の動画をアップすることになったきっかけを教えてください。また、最初アップしていたのはどのような動画でしたか?

「2011年からYouTubeに動画をアップしはじめました。最初の動画はウクレレの弾き語りで、以前はたくさんの曲をそうやってカヴァーしてたんですよ。ストロークスやアークティック・モンキーズ、テーム・インパラの曲もやりました」

中央がファティア
 

――あなたのアカウントをみると、一番再生されているのは2013年8月に公開された〈21 ACCENTS〉という動画ですよね(現在までの再生回数は1,000万回以上)。これはどのようなテーマで作った動画なのでしょうか。また、YouTuberとして有名になることで、あなたの生活はどのように変化しましたか?

「あの動画は、ただ単に他人のアクセントを真似できるという私の能力を見せたかっただけだと思います。楽しいから作っただけで、あんなにも拡散されるとは思ってもいなかったし。人々が私を〈アクセント・ガール〉として知るようになったのはとても奇妙な感じがしますね。YouTuberでいることは役得があるわけで、私の人生はあの動画以降で間違いなく大きく変わりました。どこかに出かけても気づかれるし、自分の意見を表明するプラットフォームがありますから」

ファティアがさまざまな地域の人々の話し口調を真似た動画〈21 ACCENTS〉
 

――同じジャカルタ出身のリッチ・ブライアンも最初はラッパーとしてではなく、YouTubeやVineに投稿した動画で人気を集めましたよね。リッチ・ブライアンの存在が刺激になっている部分はありますか? また、あなたやリッチ・ブライアンのような90年代生まれのインドネシア人にとって、YouTubeはどのような存在なのでしょうか。

「リッチ・ブライアンにはとてもインスパイアされています。彼がおもしろい思いつきのもと、たくさんの動画を作るようになったと知ってクールなことだと思いました。YouTubeは人を作り、人を壊すものだから、とても興味深いプラットフォームです。特に最近のYouTuberの隆盛はとても画期的なものだと思いますね。10年前、インターネットを通じて自分が有名になり、それをメインの仕事にできるようになると想像してみてください。誰も夢にも思わなかったことでしょ?」

リッチ・ブライアンが2016年初頭に公開し、世界的な注目を集めることになった“Dat $tick”のビデオクリップ(リリース当時の名はリッチ・チガ)

 

影響を受けたのはラスト・ダイナソーズやストロークス

――歌を歌い始めたのはいつごろから?

「たぶん小学生のころだと思う。カナダのヴァンクーヴァーに住んでいたころ〈Kerrisdale Idol〉というコンテストに出たこともあったし、ジャカルタの高校に通っていた最後の年には〈Indonesian Idol(インドネシアの人気オーディション番組)〉に出場して、アレサ・フランクリンの“Chain Of Fools”を歌いました。歌に関する最初のインスピレーションは私の両親や映画から来たものでした」

――リアリティ・クラブはどのような経緯で結成されたのでしょうか?

「リアリティ・クラブは大学の最後の年に始めたんです。小学校のころホワイト・ストライプスを聴いて以来、ずっとバンドを組みたいと思っていて、弟と私はいつもロックスターの真似をしていたんです。だから大学の先輩だったエラ(リアリティ・クラブのドラマー)からバンド加入の誘いを受けたとき、まったく戸惑わなかったんです。そのバンドに弟と、私のボーイフレンドになる別のギタリスト、同じ大学の先輩だったベーシストが加わりました」

――結成当時やろうとしていた音楽とはどのようなものなのだったのでしょうか。

「それぞれ別々の音楽的嗜好を持った5人なので、それぞれの嗜好の中間地点を見つけようとしたんです。イックバル(ギター)はメタルを聴くし、エラ(ドラマー)はジャズを聴き、他のメンバーもそれぞれに好きな音楽がある。そうした嗜好をひとつにまとめるのはインディー・ロック/インディー・ポップだと確信しました。ラスト・ダイナソーズやストロークスなどのバンドに大きな影響を受けています」

日本にも数度の来日を果たしているオーストラリアのインディー・ロック・バンド、ラスト・ダイナソーズの“Bass God”
 

――ジャカルタではさまざまなジャンルのインディー・バンドが活動していますが、シーンの現状についてはどう思いますか。また、自分たちのことをそうしたジャカルタのインディー・シーンに属しているバンドだと考えていますか?

「そうですね、私たちはジャカルタのインディー・シーンに属しているバンドだと思っているし、シーンはいまも成長しています。毎週末たくさんのイヴェントが行われているし、たくさんのバンドが活動している。他のバンド仲間と会って、それぞれの奮闘や達成について話し合うことはとてもクールなことです。ただ、他のメジャー・レーベルのバンドとは距離をとるようにしているんですよ」

――ホームといえるライヴハウスはどこですか? また、交流の深いバンド/アーティストがいれば教えてください。

「うーん、ホームのように感じるヴェニューをひとつ挙げることはできないかな。私たちはジャカルタだけじゃなくて、いつもインドネシア中でライヴをしているから。レベルサンズ(Rebelsuns)、ピジャー(Pijar)、ポルカウォーズ(Polkawars)、パントゥラス(The Panturas)など多くのバンドと繋がりがあるけど、常に新しいバンドと出会い、繋がりを持ちたいと思ってるんですよ」

2016年初頭に結成されたシンセ・ポップ・デュオ、レベルサンズの“Portland”
 
2013年にインドネシア第四の年都市であるメダンで結成されたピジャー。この曲は今年2月にリリースされたばかりの最新シングル“Antologi Rasa”
 
2011年にメタル・バンドとしてスタートし、現在はジャカルタの中堅インディー・バンドとして活動するポルカ・ウォーズの“Mandiri”
 
西ジャワはジャティナンゴール出身のガレージ・ロック・バンド、パントゥラスの“Sunshine”

 

ファイスの書くリリックは驚くほど素晴らしいんです

――今回日本でリリースされたアルバム『Never Get Better』は2017年にインドネシアでリリースされたものですが、2018年の音楽賞各賞でノミネートされるなど、インドネシアで高く評価されましたよね。そうした評価は予想していましたか?

「AMIアウォードにノミネートされたことは光栄なことでした。メジャー・レーベルのビッグなミュージシャンと戦ったわけで、私たちにとってはちょっと非現実的な感じもしたけど(笑)。受賞はできなかったものの、私たちのような新人バンドを称えてくれて、私たちの場所も作ってくれたわけで、とても嬉しく感じました」

※インドネシアのグラミー賞ともされる、同国でもっとも権威のある音楽賞

REALITY CLUB Never Get Better Lirico/Inpartmaint(2019)

――“Never Get Better”のビデオクリップもとてもおもしろいですね。みなさんのファッションやダンス、映像の質感には独特の80年代感がありますが、こうしたレトロ感は意識したものなのでしょうか?

「ありがとうございます! 曲にマッチしそうだったのでレトロなヴァイブスを意識的に加えてみたんですよ。リアリティ・クラブにとって初めてのビデオクリップとなる“Elastic Hearts”では私たちが主役を演じたわけではなかったので、“Never Get Better”では私たちがただダンスしているだけのビデオにしたかったんです」

昨年2月に公開されたリアリティ・クラブ“Never Get Better”のヴィデオクリップ。監督はジャカルタの映像クリエイター、アグン・ハプサ
 

――ほとんどの楽曲のソングライティングはギター/ヴォーカルのファイス・ノヴァスコシア・サリプディンが担当しているそうですね。彼の作る曲についてはどう思いますか?

「ファイスのリリックは驚くほど素晴らしいんです。ほとんどがロマンスについての歌だけど、彼が書くと陳腐なものにはならない。言葉で遊ぶ感覚があるんですよね。ただ、難解なものにはならず、一般のリスナーにも理解される可能性もあると思ってます。彼は天才だと思いますね」

――アルバムに収録された楽曲はすべて英語詞ですね。インドネシア語ではなく、英語で歌うのはなぜ?

「率直に言うと、英語で書くほうがより心地いいからです。別の要因としては、もちろん世界的に認めてもらいたいからという考えもあります。インドネシア語のマーケットだとそれらは両立しないんですよ。ただ、今後インドネシア語の曲を書かないというわけじゃないだろうし、実際に書こうとしたこともあって。その点についても今後の流れに任せたいと思ってます」

――インドネシア国外での活動についてはどう考えていますか?

「海外でライヴをどんどんやりたいんです。地元から遠く離れたフェスにも出たい。それが新しいリスナーを得る方法のひとつだと思いますし」

――日本のリスナーにメッセージがあればお願いします。

「みなさんこんにちは! 私たちはリアリティ・クラブです。私たちの音楽を楽しんでもらえると嬉しいです。私たちの歌はドライヴの最中やシャワーを浴びているとき、失恋を乗り越えようとしてるときでさえ、みなさんのエネルギーを高める助けになると思います。日本のオーディエンスに会うことが待ちきれないです!」

 


Live Information

ASIAN MUSIC JUNCTION vol.1
supported by TBS RADIO AFTER6JUNCTION

2019年6月2日(日)東京・代官山UNIT(03-3464-1012)
出演:イックバル(インドネシア)、リアリティ・クラブ(インドネシア)、ナイト・テンポ(韓国)、PARKGOLF(日本)
開場/開演:18:30/終演:21:00
前売り3,500円/当日4,000円(+1DRINK)
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