デビュー15周年を東京で迎え、『DELICIOUS ~JUJU’s JAZZ 3rd Dish~』ではJUJUの原点であるニューヨークを聴く
ピーナッツから〈何か一緒に作りませんか〉というお話をいただいたときに、ジャズピアニストのヴィンス・ガラルディが手掛けた『チャーリー・ブラウンズ・ホリデイ・ヒッツ』が浮かんだことから始まった『デリシャス』シリーズも本作で3作目。JUJUにとって憧れの存在でもあったジャズも今やライフワークだ。ただ、このシリーズはJUJUの普段の活動とは無関係だと彼女は言う。
「ジャズを歌う時の喉って私がJUJUになる前の喉だって発覚したんですよ。2013年に出した日本語のバラード“ありがとう”のレコーディングで、私はジャズ風の何かで歌おうとしていて、それを川口大輔くんに指摘されたんです。レコーディングをしたのは2006年だったのですが、〈これは日本語のバラードだから、そこでヴィブラートをかけすぎると言葉の意味が鈍るのと、そこの子音が強すぎると言葉のニュアンスが変わってくる。余分なものを排除して言葉を届ける歌い方をしたほうがいいよ〉って言われて、それまでの私の歌手人生を全否定されたような気分になったんですけど、私が好きな通りに一回歌ったものと大ちゃんが言うとおりに歌ったものを聴いたら歴然とした差があって、大ちゃんが言った歌の方が曲が届いたんです。そこで日本語を歌うということがわかって以来、気付いたらJUJUの喉がそっち側で出来上がっていたんですよ。
その大ちゃんが『デリシャス』のヴォーカルレコーディングをしてて、〈いやー、JUJUのジャズは良いね〉って(笑)。あの時には大ちゃんが否定してくれたからJUJUの歌い方が出来上がって、その後、ジャズを歌ってみたら〈あれ、この声はあの時に否定された声だな〉って気付いて。“ありがとう”の時にダメだったものが良くなるって不思議ですよね」
その〈JUJU以前の歌〉とは何なのか。それはJUJUが憧れてきたシンガーの歌い方だとJUJUは語る。
「声がかすれていて、ヴィブラートが多いことですね。もともとハスキーな声が好きなんですよ、機会があったらキャロン・ウィーラーと声帯を交換したいくらい。私が大好きな歌う人って、キャロン・ウィーラー、サラ・ヴォ―ン、ディ―・ライトのレディ・ミス・キアー、シャーデーなんですけど、みんなちょっとかすれてて、そういうのを出したい歌い方でした」
とはいえ、『デリシャス』ではほぼ英語詞。英語を歌うというのはどうなのだろうか。
「私にとっては英語の方が楽。日本語って本当に難しいと思います。ちょっとしたニュアンスで全然変わっちゃうし、意味合いも変わるし。〈柿〉と〈牡蠣〉みたいなもので。そういう難しさが日本語にはすごくあるけど、英語ってひとつの意味しかないし、音に乗りやすいし、言葉が別々になっても成立するから。〈Tonight〉を〈トゥナハーイ〉って歌っても成立するけど、日本語でそれをやったら“あなたがくれたもの”で(作詞作曲をしてくださった)小田和正さんに超怒られました〈あーなたのことー すーべて〉の〈あー〉のところで〈今、お前、『あは』って言っただろ』って言われて。〈すーべて〉の〈すー〉も〈すふー〉って〈ふ〉が入ってるって。無意識なんですけど。それって子供のころから洋楽ばっかり聴いてたから、日本語でもそういう歌い方をしてもいいと思っている自分がいるんだろうなと。それを大手振ってやっていたのがJUJUの喉が出来上がる前の私の歌い方なんだろうと思います」
つまりそれは〈裸の自分〉みたいなことなのだろうかと問うとJUJUは即答した。
「英語で歌うときはどこにも力が入ってないんですよ。素に近い、本名の私です。もしかしたら、ジャズを歌っているときはJUJUではないかもしれないですね」