
フィンランドの映画監督、アキ・カウリスマキの出世作となった「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」(89年)とベイルートについて、以前こんなふうに書いたことがある。ロシアの架空のロック・バンドがアメリカ大陸を横断し、メキシコでトップ10入りするまでを描いたあの映画は、東欧で生まれたポルカがメキシコに渡り、マリアッチに影響を与えるという音楽の歴史を可視化したとも言える作品だった。そして、その道を逆から辿るように、メキシコとの国境沿いにあるアメリカのニュー・メキシコ州に生まれ、バルカン半島のジプシー・ブラス・ミュージックに辿り着いたのが、ベイルートの首謀者ザック・コンドンなのではないだろうかと。
2006年、ザックが弱冠20歳のときにリリースしたファースト・アルバム『Gulag Orkestar』でバルカン・ブラスとインディー・ロックを融合させ、世界を熱狂させたベイルートが、2015年作『No No No』から4年ぶりとなる新作『Gallipoli』をリリースした。これまでにもソ連やフランス、オーストラリアなどを作品のモチーフにしてきたザックが本作でインスピレーションを受けたのは、中世の趣を残すイタリアの城塞都市・ガッリーポリだという。
今回は、ベイルートのファンを自認し、ブラスを使ったバンド・サウンドや異国情緒漂うメロディーなど音楽性の面でもベイルートと共通点の多いROTH BART BARON(以下、ロット)のフロントマン・三船雅也と、元・森は生きているのリーダーであり、現在はソロ名義での活動を行いつつ、ロットのサポート・ギタリストも務めている岡田拓郎を迎え、新作の魅力に迫った。カナダやUKでのレコーディングや各国を廻るツアーなど渡航経験も豊富な三船と、主にドラクエで冒険していたというインドア派(?)の岡田拓郎。音楽を紹介しているYouTube番組〈BIZARRE TV〉のメイン・パーソナリティーでもある両者は『Gallipoli』をどう捉えたのだろうか。

最初の転機は骨折
――最初にバイオ的なことから紹介すると、ベイルートのザック・コンドンは86年生まれ。出身はニュー・メキシコ州のサンタフェ。14歳のときに橋から落ちて左手首を複雑骨折したことで、当時習っていたギターを止めてトランペットを手にしたそう。もともとギターはお父さんに無理やり習わされていたみたいで、あんまり好きじゃなかったらしい。
岡田拓郎「なんで橋から落ちたんだろう?」
三船雅也「わざとっていう説もあるんじゃない(笑)? もうギターは弾きたくないって」
――そして17歳のときに、バイト先の映画館で観たエミール・クストリッツァの映画に衝撃を受け、高校を中退してお兄さんと一緒にヨーロッパを旅行しました。ベイルートの音楽的な特徴であるジプシー・ブラスともその流れで出会ったようですね。そうした経験を経て音楽性を確立していき、ファースト・アルバム『Gulag Orkestar』が世界的な評価を得る……と。おふたりのベイルートとの出会いは?
三船「うーん……もしかしたら初めて知ったのは、彼らが出ていた〈The Take Away Shows〉かもしれない。それを観てセカンド・アルバムの『The Flying Club Cup』(2007年)を買ったんですよ。当時、あの番組の影響力はデカかったですよね」
――ディレクターだったヴィンセント・ムーンっていう映像作家のセンスが反映されていて、「あれに出てるバンドは良いぞ」みたいな雰囲気がありましたよね。いまは他の人がコンセプトを引き継いでいるんだけど、手広くやりすぎていてあの頃のようなセレクト感はないと思う。
岡田「音質的にも〈部屋のほうが良くね?〉となって、〈Tiny Desk Concerts〉に取って変わられたのかも(笑)」
――ベイルートはファースト・アルバムの『Gulag Orkestar』ではバルカン半島のジプシー・ブラスに影響を受けていたけど、セカンドの『The Flying Club Cup』ではフランス映画の台詞をサンプリングしていたり、ジャック・ブレルなんかのシャンソン歌手に影響を受けたりしていて。レコーディング場所はアーケイド・ファイアが所有していたモントリオールの教会。その関係なのかオーウェン・パレットがアレンジで全面的に参加していて、彼がメインで歌っている曲も入っています。三船くんが初めてこのアルバムを聴いたときの感想は?
三船「その頃から、アメリカのバンドがまたおもしろくなっていきましたよね。フリート・フォクシーズもいればグリズリー・ベアもいて、さらにヴァンパイア・ウィークエンドが出てきて。そのなかでもベイルートは特に変わってるなと思いました。名前からして〈ベイルート〉だし、さっきも言ったようにフランス映画の音をサンプリングしたり、異質感があって引っ掛かっていたというか。アメリカにはないリズムで、パッションも独特だった。当時、エイト・ビート以外のバンドがたくさん出てきておもしろく感じてたんですけど、そのなかのひとつですね」

2000年代のインディーは〈置き換え〉の時代
――2009年に、ベイルートと〈リアルピープル〉っていうザックの別名義でのユニットをカップリングした2枚組のEP『March of the Zapotec/Holland EP』がリリースされたんですよ。リアルピープルは、ザックがベイルート以前――10代の頃に活動していたときの名前で、サウンド的にはシンセ・ポップ。もともと彼は初期のマグネティック・フィールズみたいなシンセ・ポップが好きで、そのシンセのパートをブラスに置き換えるところからスタートしたらしいんですよね。
岡田「楽器を置き換えるみたいな感覚はわかりますね。ある程度音楽をやりつくしたあとに、楽器を置き換えていくみたいなことが2000年代には多かった。ギター・ロックのギターのフレーズをシンセで弾いたり、フリート・フォクシーズはシンセをコーラスに置き換えて過剰な音響にしたり。ベイルートはトラディショナルな音楽として聴いていたからそういうふうには思わなかったけど、シンセ・ポップをブラスに変えたというと俄然聴く気がしてくる(笑)。そう言われると、この後の『No No No』っていうアルバムも〈なるほどな〉って思えますね」
――『The Flying Club Cup』といま岡田くんが出した『No No No』の間には、2011年にアルバム『The Rip Tide』をリリースしています。『The Rip Tide』には、シャロン・ヴァン・エッテンがヴォーカルで参加していたりもするんですが、このアルバムはどうでした?
三船「ザックが東欧とかフランスとか特定のモチーフを纏うのを止めて、自分っぽくなっていった契機が『The Rip Tide』という印象ですね」
――普通にギター・ポップとかチェンバー・ポップみたいに聴こえる瞬間もありますよね。なので、ディヴァイン・コメディとか、ベル&セバスチャンが好きな人でも聴けるのかなと思う。
三船「バルカンかぶれとか、フランスかぶれじゃなくなって、普通にシンプルに、ピアノとホーンと歌みたいな。だからサラッとしていて、何回も聴けるアルバムですよね」
――あと当時、ザックは長年のガールフレンドと、地元のサンタフェで結婚したんですよ。その感じが反映されていたのかも。
岡田「結婚して良くなったパターンですか」
三船「ジェイムス・ブレイクとは違うね」
――しかしその数年後に、無事離婚しまして(笑)。
三船・岡田「……」
――さっき岡田くんが言った『No No No』は、離婚したあとに作られたアルバムなんです。でも、そのあとトルコ出身の女性と恋におちたらしくて。だから『No No No』の歌詞には別れが仄めかされているものが多いんだけど、なぜか音楽自体は結構陽気。
三船「確かに陽気ですよね。ザックは(ダーティ・プロジェクターズの)デイヴ・ロングストレスみたいにはならなかった※」
※ダーティ・プロジェクターズの2017年作『Dirty Projectors』は、デイヴと元メンバーでもあるアンバー・コフマンとの別れがモチーフになっており〈失恋アルバム〉と言われている
――(笑)。でも、あれは嘘じゃないけど、デイヴは当時すでに新しい彼女がいたみたいよ。彼女ができていたのに、「俺はもうダメだ」みたいなことを歌っていた。
三船「あ、同情を買って。あいつ~(笑)」
岡田「僕たち、踊らされてたんだね(笑)」

三船「『The Rip Tide』より、『No No No』のほうが不思議とあっさりと聴けるんですよね」
――実際このアルバム、すごく短いんですよ。30分で終わるっていう。
三船「サウンド的には、ピコピコしてきたなと思ったけど」
岡田「ホーンがいなくなった印象もありました」
――そうそう、ホーンも参加してはいるんだけど、あんまりそこにこだわっていない感じで。
三船「タイトル曲のアレンジが好きですね」
――その曲のMVもカラフルで、オシャレな感じになっていて。
岡田「僕はこのアルバムがいちばん好きだな」
三船「エナジーが落ち着いた気がする。キャラを纏うのをやめつつ 、オリジナル路線を深めていった」
――岡田くんがリアルタイムで聴いたのはこの作品から?
岡田「リアルタイムで〈ベイルート知ってます、新譜が出ます〉っていうのは『No No No』からでしたね。ちょうどバンド(森は生きている)が解散したばっかりで、暗い曲を聴きたくなかったからすごく良かったです(笑)。このへんから全体的に音楽が明るくなってきたような印象もあるし、ナードなインディー・ロックみたいなのがなくなった時期に、ベイルートもカラフルなジャケになって、これでいいんだって思った記憶がありますね」