Page 2 / 2 1ページ目から読む

 

17:15 Tenma Tenmaのライヴ

thaithefishが7インチで回していた川村康一“WEEKEND MERMAID”の回転数を落とし、ヴェイパーウェイヴへオマージュを捧げるかのようにスクリューさせる。それを受けたTenma Tenmaも、スクリューした“あれは(ft. 五味ばこる)”を流しながら演奏を始めた。ステージ上のTenma Tenmaがそのスクリューした音が溶け合う様に耳を傾けるかのように、一瞬フロアを見つめて立っていた姿が忘れがたい。

先に書いたようにヴォーカリストでもあるTenma Tenmaは、やはり歌声が大きな魅力であり、ライヴではその艶や色気がより強く感じられる。たしか〈体験版〉が初のライヴだったと伝え聞いたが、そうとは思わせない声の伸びはシンガーとしての魅力を十分に伝える。

彼はフューチャー・ファンクのコレクティヴ〈ピンクネオン東京〉にも参加していることで知られる。しかし、フューチャー・ファンクのダンス・サウンドとは別軸のポップスへの探究心を、自身のヴォーカル曲では惜しげもなく披露する。

大阪の中華料理店に捧げた、メロウに溶けるような“李李飯店のテーマ”、そして謎のジャンル〈ドラゴンファンク〉の楽曲“DRAGON FIGHTING”もライヴで初めて演奏された。ダンスからポップへと横断しながら、Tenma Tenmaはそのコンテクストを知る人も知らない人も一様に巻き込んで躍らせた。

 

17:45 捨てアカウントのVirtual DJ Set

捨てアカウントのDJは、もはや恒例(?)となった〈Virtual DJ Set〉。彼の憑代(??)であるホースリール(ボディは白、ホースは鮮やかな青)がどこからともなく運び込まれ、卓のすぐ横に鎮座し、捨てアカウントの仮想DJが始まる。

LVファンへの感謝も込められていた、と後から聞いたが、この日のDJではAOTQの未発表曲や、メンバー脱退で急きょライヴが中止となったUtsuro Sparkの楽曲がかけられた。このあたりも捨てアカウントの人のよさ――誤解をおそれずにいえば、彼の優しさが表れていたように思えた。

 

18:00 feather shuttles foreverのライヴ

長丁場のイヴェントもいよいよ後半に。

hikaru yamada and the librariansの山田光とmukuchiこと西海マリの2人からなるfeather shuttles foreverのライヴは、ほとんどライヴをしないこのデュオを生で観る貴重な機会となった(5月には〈K/A/T/O MASSACRE〉でもライヴをしていたが、僕は観逃した)。

ライブラリアンズでエディットに取り組んでいる山田と、宅録で練成された極めてユニークなポップスを歌っているマリ。2人の共作や合作によって作られているらしい軽妙な楽曲群がメトロで演奏されるその様は、山田が提唱する〈tiny pop(およびショボいポップス)〉が何かの手違いでクラブの領域に浸み出してきたような違和感をはらみつつ、一方でポップスとしての抗いがたいけん引力が不思議な均衡を生んでいた。

やはり強く印象に残っているのは、Tenma TenmaとSNJOがヴォーカリストとして客演した“提案”。SoundCloudで発表されて以降多くの聴き手たちから愛されているこのゴーストリーなシティ・ポップは、INDGMSKのミックスからインスパイアされて作られたのだという。だからこそ、〈Yu-Koh〉で演奏されることには意味があった。

 

18:30 INDGMASKのDJ

そんな山田に霊感を与えた偏執狂的ディガー・INDGMSKのDJは、レイト80s~90sの女性ヴォーカル曲を中心としたセット。丁寧かつスムーズに心地良く、ゆったりとしたグルーヴを生んでいく。

繰り返すようだが、DJはそれぞれ持ち時間15分という短いセット。そんななかでもINDGMSKのDJからは、buの正統で正調(にしてLight Mellowの異端)な精神性と威厳(?)を示されたようにも感じられた。

……のだが、中盤、奇妙な(だがメロウな)ポエトリー・リーディングの楽曲がかけられたところでフロアはざわつく。情感たっぷりな男声の語りに、〈えっ、なに?〉というムードに(隣の柴崎祐二が妙に興奮していた)。ボーイ・ミーツ・ガールの“フロントページ”という曲だそうで、これもまた知る人ぞ知る作品だという。やはり、どうやっても一筋縄ではいかないbuの異物感を伝えた一幕だった。

 

18:45 SNJOのライヴ

この日もっともメトロの音響を乗りこなしていたというか、それどころか我が物として場を掌握し、強烈なサウンドを発していたのはSNJOだった。ハコの特性を完璧に理解しているかのような鳴りと出音。彼のライヴの印象はそれに尽きる。

もちろんそれだけではない。次々と繋がれるエレクトロニックな楽曲たちに一本の芯を通しているのは、SNJOの歌声の力強さだ。素朴な言い方をすれば、ライヴでのSNJOはなんとも楽しそうに歌う。昨年東京で彼に会ったとき、歌のうまさやニュアンスの表現の巧みさについて言及すると、「カラオケが好きなので」なんて言っていたが、もちろん単なるカラオケ好きを超えて余りあるヴォーカリストとしての魅力がSNJOにはある。それは、ライヴ・パフォーマンスでこそもっとも強く感じられるのだ。

ダンスへと誘うビート、アシッディーあるいはフューチャー・ベース的にうねる電子音。最後に披露した『Oneironaut』に提供した“ロング・バケーション”の強力なポップネスは、SNJOというプロデューサーにしてシンガー、そしてソングライターの前途があまりにも明るくまぶしいことをはっきりと示していた。

 

19:15 lightmellowbuのB2B DJ

lightmellowbu部員たちによる最後のDJはB2Bだ。この日参加したハタ、バルベース、thaithefish、INDGMSKの4人が1曲ずつ繋いでいく。お決まりと言ってしまえばそれまでのB2B。しかし、音楽の好みを同じくする彼らがTwitterやブログを通じて寄り集まり、リアルのクラブでB2Bをしているというのは、ベタに感傷的だが、感動的な光景ですらあった。

 

19:45 Tsudio Studioのライヴ

〈Yu-Koh〉の最後のライヴ・アクトにしてトリを務めたのは、神戸のTsudio Studio。〈体験版〉でもトリで、僕は最後まで彼のライヴを観られなかっただけに、今回しっかりと観ることができたのはよかった。

ギターを携え、ラップトップを前にTsudio Studioが歌い始める。thaithefishはその音楽について〈ロマン〉という言葉を使っていたが、ドリーミーな手触りの彼の音楽をおおっているのは、ウェットすぎない、さりげないロマンティシズムの糖衣だ。ライヴでもその印象は変わらず、目の前で軽やかに歌われることでむしろその感覚を強くする。

先のSNJO“ロング・バケーション”やTenma Tenma“誰かが隣を”のように、『Oneironaut』に収められた“Asian Coke”はTsudio Studioの最良の一曲に感じられる。彼が歌う“Asian Coke”を聴きながら、そういう〈ベストな一曲〉を引き寄せてしまうところもLVのパワーなのだろうと思った。センチメンタルで儚げな“Asian Coke”は、ライヴでより輝きを増す。またもSNJOの言葉を借りれば、あの曲には魔法がかかっていた

演奏を終えたTsudio Studioはすぐさま「アンコールって普通求められるものだと思うんですけど、どうしてもこの曲をやりたくて。やってもいいですか?」と言い、“DRAGON TAXI”を〈逆アンコール〉でプレイ。“Asian Coke”とは真逆の、スラップ・ベースが効いたダンス・ナンバーで最後の最後にメトロを揺らし、〈Yu-Koh〉の見事でこのうえない幕引き役を演じた。

 

21:30 京都駅

こうして長い長い〈Yu-Koh〉の一日は幕を閉じた。美しいイヴェントだったと思う。その余韻を反芻しながら、神宮丸太町から時間ギリギリの乗り継ぎで京都駅へ。東京行きの新幹線、その最終電車に僕は乗った。

以下は帰京の途中で考えた、冗長な余談にしてあとがきである。

最初のほうにも書いたとおり、〈Yu-Koh〉はネット・レーベルのLocal VisionsとCDオタクたち(もちろん、けなしているわけではない)の集団であるlightmellowbuによる共催イヴェントだ。LVは元よりヴィジュアルとブランディングにこだわり、すでに〈ネット・レーベル〉という枠を超えた活動領域に足を踏み込んでいる。しかし、後者のbuがやっていることは……もっと泥臭い行為だ。

ブックオフの280円棚や500円棚を端から端まで見て、どこにもアーカイヴ化されていない音楽を掘り出すことに熱心なbuのディグは、それそのものが既存の価値体系に対する批評行為にもなっている。つまり、価値のないものにこそ価値があるのだという転倒を試みること。しかし彼/彼女たちはそもそも、それぞれがバラバラに自分たちの住む地域でディグに勤しんでいた。いわば点だったものがインターネットを経由して線となり、網目をなしたことで、上のような意味合いも強くなっていったのだ。

日の当たらない場所で過去の音楽の掘り返しに勤しんでいたlightmellowbuが、Local Visionsというアクチュアルなポップ・ミュージックを届けているレーベルと出会ったこと。そして、現実のクラブにおいて共同でイヴェントを開き、それを極めて理想的な形で成功させたということ(聞いたところによれば、100人強が来場したとか)。ここには計り知れない意義がある。

大袈裟かもしれないが、〈Yu-Koh〉はパンクな試みだった。もっとオーヴァーな言い方をすれば、〈Yu-Koh〉が新たな道を切り拓いた可能性もある。buやLVの動きに触発されて制作やDJ、レーベル活動を始めたり、音楽について語る言葉を探ったり、イヴェントを開こうとしたりする者もきっと出てくるだろう。もうすでにそういった者がいるかもしれない。

〈体験版〉の親密なムードも心地よかったが、今回の〈α版〉には間違いなくスモール・サークルの円周をグッと押し広げ、見知らぬ人々を巻き込むだけの力強さがあった。それはツイートが何万RTされたとか、Instagramの写真が何万いいねされたとか、記事が何十万のPVを記録したとかいうことではない。少なからぬ人がメトロへと足を運び、そこで実際にスピーカーから放たれる音に身体を揺らし、なにかしらの感動のようなものを与えられたということ――インターネットで始まったlightmellowbuとLocal Visionsの活動が、ここにきてリアルな衝撃をもたらしたことの意味は、強調してもしすぎることはない。

もちろんインターネットもリアルもシェイクされ、互いに貫入し合っている2019年現在の状況で、それは珍しい出来事ではないかもしれない。しかし〈Yu-Koh〉やLV、buの活動はまぎれもなく音楽の価値のあり方やその評価のされ方、そして音楽の聴き方さえ変えているような気がしてならないのだ。

そんなことを考えていたら、いつのまにか品川に着いていた。京都へのショート・トリップで得たものは大きかった。それはもちろん、物販で買い込んだカセットやbuのZINEのことではないことは、ここまで読んでくれた方であればわかってもらえるだろう。