CD再生委員会、今回はインタビュー回です! お相手は「ポップミュージックはリバイバルをくりかえす」「シティポップとは何か」といった名著で知られる、音楽評論家の柴崎祐二さん。MikikiでもAIシティポップの記事などでお馴染みですが、熱心なCDディガーとしても有名。リサイクルショップの片隅に忘れられた一枚の中古CDからも、数十年単位の時代の潮流を大局的に見抜くその慧眼……。古き良き名盤をお小遣いで買っていたロック少年は、CD不況真っ只中の時代にレコード会社に入社した後、なぜ〈CDさん太郎〉として謎のニューエイジCDなどを集めるようになったのか? その謎を突き止めるべく、千葉某所の柴崎邸に突撃した。
名盤CDをいかに安く中古で買い揃えるか
――柴崎さんは1983年生まれとのことですが、最初のCD体験と言うとどんな感じでしょうか?
「兄と姉が僕より7歳と9歳上で、2人が持ってたTHE BLUE HEARTSのシングルCDを聴く、みたいな感じでした。母親は井上陽水が好きだったし、あと父親がクラシックのCDセットとかを持っていて。だから、ちょっとだけいいデッキとスピーカーも家にありましたし。
最初に自分のお小遣いで買ったCDは、THE ALFEEの“冒険者たち”っていうシングルなんですけど、NHKのアニメ『モンタナ・ジョーンズ』の主題歌だったんですね。だからTHE ALFEEの、というより、好きなアニメのCD、という感覚で買いました。洋楽だと、セリーヌ・ディオンの“To Love You More”。
当時は埼玉の寄居町に住んでいて、母の実家があった深谷市によく行っていたんですけど、TSUTAYAなど有名なチェーン店とかでもない、でっかいガレージに什器と試聴機が沢山置いてあるような、ロードサイドのCD屋さんでそういうのを買って。店の名前は忘れちゃいましたが、他にも近所に〈〇〇無線〉みたいな街のCD屋さんがあって、そこで奥田民生の『29』とかを買った記憶がありますね」
――では、柴崎さんが子どもの頃にはもう、CDは完全に浸透していたんですね。
「埼玉の田舎の方でも、全然そうなってましたね。小学校で給食の時に好きな曲を放送室でかける〈お昼の放送〉っていう時間があって。そこで皆、大黒摩季“あなただけ見つめてる”とか、TRFとかミスチルとか、そういうののCDを持ち込んでかけてました。
中学生になると、グランジやヒップホップが好きな兄の持ってるCDを聴くようになって。その中で映画好きの兄がたまたま持っていた『パリ、テキサス』というヴィム・ヴェンダースの映画のライ・クーダーによるサントラに凄く衝撃を受けたんです」
――余韻たっぷりのスライドギターが印象的な、かなり渋いアルバムですよね。
「ドラムの入った音楽はもう聴けない!くらいに思いました。だからやっぱり、最初からアンビエントが好きだったのかも知れないですね。自分の知らない世界に、こんなに美しい音楽があるんだな、と初めて感じました。どんどんルーツ志向の音楽にハマって、中学校のお昼の放送ではトム・ウェイツとかライトニン・ホプキンスとかを流したり(笑)。
あと当時、地域振興券っていうのがありましたよね。自分は15歳でしたが、2万円分貰ったんです。もう、人生で一番くらいブチ上がりましたね。その頃には地元にもTSUTAYAがあったんで、地域振興券を持って行って、クリームとかデレク&ザ・ドミノス、オールマン・ブラザーズ・バンドとかジジ臭いCDを一気に買いました。
同じ頃、多分、在庫がダブついてたんでしょうけど、輸入盤が300円均一とかで投げ売りされてたんですよ。そこでロックの名盤みたいなやつをガンガン買って。そのカゴになぜか一緒に入れられていたブルース・スプリングスティーンの4枚組ボックスとかも300円で買いました」
――CDってそういう、良くも悪くも雑に扱われてる感じがありますよね。
「やっぱり当時は、大量生産・大量消費を前提としているからなんでしょうけど。高校生くらいになると、いかに安く名盤を中古で買い揃えるかが重要で、万代書店やブックオフをしらみつぶしに訪ねました。GEOの3枚990円コーナーでジャズの名盤を買って聴き漁ったり」
――安かったとはいえ、それでも音楽を聴くのにある程度お金を出さないといけない時代だった訳ですよね。それは今のネット時代とは、かなり感覚が違うと思うんですけど。
「そうですね。それと、その頃は兄が高円寺に住んでたんですけど、ヨーロピアンパパとかレアとか、有名なレコード店に連れてって貰って。だからレコードも集めてはいたんですけど、その頃はレコードも安くて、CDより安いから買ってた、みたいな所がありますね。だから、何だかんだで愛着があるのはCDですね」