「激走戦隊カーレンジャー」「モアナと伝説の海」などドラマや映画の楽曲での歌唱、数々のCMソングへの参加、J-Pop作品やライブでのコーラスなど、さまざまな場所で活躍するボーカリストの渕上祥人。彼が90年代にソロアーティストとして『AGUA』『VERDE』(共に91年)、そして『CARINO』(92年)というアルバムをビクターに残していることはあまり知られていないが、ブラジル音楽からの影響をたたえたこの3作は、シティポップ/AOR作品として愛好家たちから密かに評価されていた。
そんななか、2020年に渕上のアルバム3作とシングル“Good byeより遠ざかる”(91年)が突如ストリーミングサービスで聴けるようになった。さらに2021年10月20日(水)には、佐藤博や今剛が参加したファーストアルバム『AGUA』が、リマスタリングされビクターの企画〈マスターピース・コレクション~シティポップ名作選〉の一環でCDリイシューされる。
今回はこの再発にあわせて、以前から渕上のソロ作品を高く評価していたディガー集団〈lightmellowbu〉のバルベースとカズマに、『AGUA』の魅力について綴ってもらった(ちなみに、本作の再発盤の解説はlightmellowbuの波多野寛昭が担当している)。発表から30年が経ったいま、『AGUA』が放つ輝きとは? *Mikiki編集部
埋もれていた時代の良質なシティポップに光が当たった
by バルベース
渕上祥人は、90年代において明確にシティポップ/AOR路線を目指したシンガーソングライターである。〈明確に〉とは、アルバム中の一曲が偶然シティポップ風になった(こういうのも嬉しいのだが)というのではなく、アーティストの意向が反映されて、アルバム全体がAOR的な色彩を帯びているという意味である。
シティポップの一つの全盛期とも言える80年代初頭はそのようなアーティストが数多く世に出た時期であり(例えば稲垣潤一、安部恭弘、村田和人、鈴木雄大らはこの時期にメジャーデビューした)、今でもシティポップが紹介される際にはこの時に活躍した人たちの名前が挙げられるほどである。
しかし、当然のことながら、それ以降の80年代末期や90年代にも同じようなアーティストは存在した。例えば、上述の渕上祥人を除けば、赤松英弘、安部純、小川博史(織川ヒロタカ)、小田育宏、川村康一、野見山正貴、渡辺信平等々。彼らの名前と作品がシティポップの文脈で語られることは今まであまり無かった。その手の音楽に対するリスナーの興味が薄れていた時期に活動したということもあってか、彼らの作品は埋もれていってしまったのである。
しかし、今では状況も変わり、この時代のシティポップにも光が当たるようになった。今回の渕上祥人『AGUA』の再発はその証左と言えるだろう。ではアルバムの中身はどのようなものだろうか。
渕上祥人の3枚のアルバム(『AGUA』、『VERDE』、『CARINO』)のブックレットには彼の南米旅行の短い紀行文(トレンディーな良い文章である)が載っている。その中で彼は旅行の目的を〈自分の歌を見つけること〉だと言っており、3枚のアルバムはその思いが形となったものだと言えるだろう。
それだけではなく、同じ文章の中で彼は〈ギタリスト〉と自己紹介もしている。それが証拠に彼は歌うだけではなくギターも弾いており、アレンジも何曲か自分でおこなっている。ギタリスト/アレンジャーとしての渕上祥人からはAOR、特にジェイ・グレイドンに対する強い憧れが感じられる。南米とAOR。これらが彼のアルバムの二本の柱である。
ここまで書いたことから、『AGUA』がどのようなアルバムかは大体想像がつくと思う。具体的に言えば、イヴァン・リンスが歌いセルジオ・メンデスも取り上げた名曲“SOME MORNING”のカバーがごく自然に(つまり前後の流れを全く崩さない形で)収められている、そういうアルバムである。
リゾート感覚全開の作品だが、特に聴いてほしいのが9曲目の“CIRCUIT TOWN”だ。ホイットニー・ヒューストンとジャーメイン・ジャクソンの“やさしくマイ・ハート”を意識したと思しきデュエットソングで、相方はあの藤原美穂である。鈴木聖美&雅之“ロンリー・チャップリン”や彩恵津子&久保田利伸“永遠のモーニング・ムーン”と並べて聴いてみると面白い。
他にも良質なシティポップが満載のこのアルバム、是非とも多くの人たちの耳に届いてほしい。