椎名林檎『三毒史』は、おそらく2019年(そして東京五輪が行われる2020年に向けて)もっとも重要な作品になるだろう。それぐらい物凄い作品だった。にも関わらず、Mikikiにはレヴューが1つ載っているだけだし、編集部には語れる相手がいない。よし、椎名林檎の熱烈なファンに会いに行って、この作品について思う存分語り合おう。そう思い、椎名林檎が名誉店長でもあるタワーレコード新宿店にて、『三毒史』の展開を担当した熱烈林檎ファンのスタッフ、吉野真代さん(通称pslさん)に会いに行きました。


タワーレコード新宿店のツイートより、『三毒史』入荷日の吉野さん
 

――あれだけすごい作品なのに、意外と語れる相手が周囲にいなくって。

「私の周りにも椎名林檎さんのお話をできる人がいないので、今回はありがたいです(笑)」

――こちらこそです。タワレコ新宿店では『三毒史』のリリース前から、林檎さんのコーナーが常設されていて、手旗とかスタッフの私物と思われるグッズもかなり置いていますよね。

こちらも新宿店のツイートより。特設コーナーには吉野さん私物の手旗や、フリーペーパー・RATのコピーが。
 

「旗を置いてみたら反響が大きくて、うれしかったので(笑)。実は入社時に〈何がやりたい?〉って聞かれまして、〈椎名林檎さんの展開を担当したいです〉ってお伝えして、10年くらいはかかるかなと思ってたんですが、意外とすぐ担当になることができまして。もちろん最初は先輩のお手伝いから始めましたけど、いまは楽しくてしょうがないです」

――すごく愛のある展開というか……愛の強すぎる人が担当してるなってわかりました。そしてタワーレコードオンラインでは〈三毒史対策室〉というページの執筆も担当してらして。

※『三毒史』リリース前にアーティスト写真や収録曲から内容を予想・考察するコーナー。それぞれのリンクはこちらから→第1回第2回第3回第4回

「はい(笑)。『三毒史』の特設サイトを作る話になりまして、コラムを書くことになったんですが、思ってること、伝えたいことが多すぎてあんなことに……(笑)。あれでも簡潔にまとめたつもりなんですけど、マネージャーにも引かれました(笑)」

――いつから林檎さんのファンなんですか?

「中学2年生の時に、友達から“丸の内サディスティック”を聴かされたのが始まりですね。それまでいわゆる流行りの音楽しか聴いてこなかったので、〈こんな音楽があるのか!〉って衝撃が走って。そこからはずっと林檎さんの音楽を聴いています。学生時代は勉強が手に付かなかったし、親に土下座して許してもらってツアーを全箇所回ったりしました(笑)」

――好きなアルバムと曲は何ですか?

「アルバムは『加爾基 精液 栗ノ花』(2003年作)、曲は“眩暈”ですね。“眩暈”の一番最初に鳴ってる音が頭から離れなくて、いまでも聴くと鳥肌が立つんです」

――メロトロンみたいな音ですか?

「いや、その前に鳴るカカカカカっていう音です」

――ヘリコプターが飛んでいく音みたいな。

「そう。都会にいるとたまにこの音が聴こえるんです。室外機の音とか」

――そんなところにグッと来るっていう人の話、初めて聞きました(笑)。

「幼少期のころ聴いた音とか、胎教とか、そういうのが影響してるのかもしれないですね」

――林檎さんの曲って壮大なスケールのものもある一方で、幼少期のワンシーンを思い出すような瞬間もありますよね。そろそろ『三毒史』について聞かせてください。〈三毒史対策室〉ではリリース前のいろんな予想が載っていましたけど、リリースされて、実際聴いてみてどう感じましたか?

「それこそ『加爾基 精液 栗ノ花』以来の衝撃がありましたね」

――分かってる人だ! 僕もそう思いました。

「デビューから20年経ってもなお、こんな衝撃を与えてくださることに対して感動して、鳥肌が止まらなかったです」

――本当そうですよね。僕は最初に、曲間が短いなと思って。もともと曲間が短めの作品が多いですけど、さまざまなジャンルの曲が間髪入れずに、まるでディズニーのショーのように次々展開していくなって。それって現代のリスナーが、フェスとかストリーミングで代表曲だけ切り取って聴いて満足するのと真逆を行ってるなと思ったんです。いまはほとんどコンセプト・アルバムって無くなっちゃったし。

「分かります! もともと林檎さんはアルバム・アーティストの方だとは思っていて。『三毒史』が出るまでにシングルも配信もリリースがあって、もちろん一曲ごとでも話はできるんですけど、アルバム・トータルじゃないとできない話というのがありますよね」

――ご本人は、この壮大な物語を前作(『日出処』/2014年作)リリース直後から考えていたそうですね。

「らしいですね。〈林檎博('14 -年女の逆襲-)〉のペガサスもそうだし、〈(生)林檎博('18 -不惑の余裕-)〉のグッズの鶏と蛇と豚のデザインだったり、書体だったり、MV同士の繋がりとか、シングル曲での対比とか、楽曲名の文字数も全部5文字だったり……いろいろな場面で、これはすでにアルバムのことを考えてらして、何か関連を持たせていらっしゃるんだろうとは思っていました。林檎さんはいつも一貫して物事を進められる方なので。にしても、ここまでのものになるとは想像もつきませんでしたけど」

新宿店の展開の一部。作品や楽曲解説に込められた、愛・愛・愛
 

――『三毒史』をコンセプト・アルバムだと捉えた時に、そのコンセプトは何を表してると思いますか?  1曲目の“鶏と蛇と豚”の英題が〈Gate Of Living〉で、最後の曲は“あの世の門”で、ちょうど門と門に挟まれていますよね。

「〈人が生を受けてから死に至るまで〉を1枚にまとめた、という解釈はできますよね」

――そう考えると、最後の“あの世の門”の直前に“目抜き通り”という曲があって、配信当初は〈銀座がテーマの華やかな歌だ〉と思っていたんですけど、アルバムを通して聴くと歌詞に〈あの世〉とか〈永い眠り〉とか〈最期〉とかってキーワードが出てきて。

※“目抜き通り”は大型商業施設〈GINZA SIX〉のテーマ曲であり、歌詞にも〈銀座〉が登場する

「そう! 死に対する曲である、という感じはしますよね」

――ここでいう〈銀座〉というのはあの世の象徴で、死後の世界へいざ行かんとする曲のように思えてくるんです。

「そうですよね! 分かります!」

――そうすると今度、2曲目の“獣ゆく細道”が、生まれたばかりの命について歌っているようにも聴こえてきて。“獣ゆく細道”と“目抜き通り”は対になっているような表現もあって(“獣ゆく細道”には〈あき〉〈ふゆ〉が、“目抜き通り”には〈春〉〈夏〉がそれぞれ出てくるなど)。

「私は、真ん中の“TOKYO”までは、生を受けてから三毒を自覚して、そこに苦悩する人間を表現しているのかなと思いました。そして“TOKYO”以降は、三毒を自覚していてもうまく生きていく方法を表していて、最終的に三毒を受け入れて、最期はその生を全うする。〈そうあることができればいいね〉というお話なのだと思っています」

※仏教における3つの煩悩、貪:求める心、瞋:怒る心、痴:無知の心のこと

――なるほど!

「3曲目の“マ・シェリ”の英題が〈Egoism〉だったりして、“TOKYO”までにだんだんと欲が表れていってて。“どん底まで”はシングル・ヴァージョンからBPMも早くなって、急いてる感じも出ているし」

――いずれにせよひとつキーになるのは中央の“TOKYO”ですよね。僕はこの曲が2020年のことを表してるような気がしたんです。まあ、みんな思うと思うんですけど、〈5拍子〉だし。

「そうですね(笑)」

――ということは、前半部分では生を受けてから来年までを表していて、後半では来年から死ぬまでを表しているんじゃないかって、そう考えることもできるなと思ったんです。前半は思春期を経て愛する人を見付け、愛に溺れていき、“駆け落ち者”の酸性と塩基性についての話なんてまるで受精のようだし。でも“TOKYO”では男が昔の存在になっていて、夢に見たりしているし、〈どんな最期を迎えて死ぬんだろう。〉ってその後の死への暗示もあって。

「その考えはなかったな……。全部聴き終えて、また最後の13曲目から1曲目に戻る時が心地いいですよね」

――いや、輪廻転生してもう一度あの人生を追体験するみたいで、個人的にはけっこう覚悟が要りますよ。

「でも私は、また苦しむのかって思うのも好きなんです。自分がまだ年齢的にも、三毒を受容できる域に達していないからかもしれないですけど。人様からどう見られてるか気になったり、欲まみれですもん(笑)。だからこそ、前半の曲が特に刺さります。“獣ゆく細道”なんて毎日ニュース番組で聴いて1日を終えて、翌日も生きていく力をいただけますし、 “マ・シェリ”なんてドラムの入りから東京事変ですもんね。それに……(各曲への愛が止まらなすぎるので割愛)」

――とにかく、“TOKYO”が2020年のことを表しているかどうかはともかく、来年は何かが起こりそうですよね。

「起こりそうですよね……(笑)。これまでの伏線が『三毒史』で回収されたと思ったら、今度はそれがさらに大きな布石になっているような気がしてなりません……。こんな作品出されちゃったら、ね」