押しつけず染み入る音像は〈庭に来た鳥の声〉に似ている

 メンバー交代後初のフル作品、その1曲目はエリントンの“Solitude”。次いで生誕120周年のDukeを讃える自作の表題曲(英題:Flying Duke)が受ける。原稿依頼が届く数日前、E.バーナウ著「ドキュメンタリー映画史」の中でメリエスの名前と再会していた。彼の傑作「月世界旅行」は公爵誕生から3年後の作品だった。前日から福島行一著「大佛次郎」を読み始め、ヨコハマの外人専用墓地の秘話を知る。3千余ある墓標の第一号は安政元年、日米講和条約調印に訪れたペリー艦隊のマストから転落死した水兵のものらしい。膝を叩き、新作に先じて10年前の『Black Ship / Beginnig』を、次いで昨年のソロ作『季節はただ流れて行く』で耳の復習をした。スガが鎌倉生まれで、中学下校時に露坐の大仏付近から零れる洋輔ライヴの音がJazzへの目覚めだったと検索で知る。彼のAcoustic Kittyが武者震いした瞬間だ。

スガダイロー・トリオ 公爵月へ行く VELVETSUN PRODUCTS(2019)

 やや出来過ぎ感さえ伴う公爵編への導入部だが、全部実話だ。もっと書くとじぶんは、スガの本拠地(荻窪・Velvetsun)と天沼陸橋を挟んで対角線上にある産院で生まれた。かつて同店に鎮座した1940年代製YAMAHAグランドピアノの〈遺影〉録りであるソロ作(=未聴)には〈店外の青梅街道の音〉までが刻まれていると知って確信した。スガの奏でる音像を聴くといつも〈明確な個性と日付を刻む音楽性/演者の名も日付も欲しない匿名性〉の両面を同時に甘受する。独自な未踏性を秘めつつ、饒舌な自己言及は極力敬遠し、ただ奏でるのみの矜持性。その意匠が透視できる象徴作が『季節は~』だが、本作の7曲目は“夏になったら鳴きながら、必ず帰ってくるあのツバクロさえも、何かを境にぱったり姿を見せなくなる事だって、あるんだぜ”と半ば告白的。こちとら、「お! てめえ、さしずめインテリだな」と同じ寅次郎節で微笑返しするしかなかろう。聴く側の心のふり幅を揺さぶって止まない、スガ作品の自由度とはそういうものだ。それをブンガクとは呼ぶまい、近頃稀な〈音楽〉そのものだ。市野元彦のカヴァー作を編み込んだのも絶妙だ。E.S.T以降初めて〈追うぞ〉と想ったトリオだ。

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