西洋音楽への憧れが音楽を志す出発点だった、というだけでは十分ではない。彼にはもう一つの音楽がすでに鳴って、憧れである西洋音楽を光源にして現れる影のように現れる。光の明度が増せば、色が濃くなるその影のような私たちの東洋音楽に日本の作曲家である伊福部昭、武満徹やこの本の分析の対象である湯浅譲二は光を当て独自の音楽を作り、その世界化に成功した。他者の視線経由なのか? 他者の言語に寄生したのか? 外国語を使って書くマイナー文学の作家のようなマイナー音楽の作家として、イタリア人音楽学者が湯浅譲二の音楽と彼の時代を解体し、分析する。湯浅の音楽を再び世界に開く。