日本映画を支えてきた音楽家たちの現場からの報告書

 映画において音楽/音は映像と同じくらい重要な役割を担っている。いや時に、映像や台詞以上に雄弁だったり効果的だったりもする。それは今でこそ当たり前の認識になっているわけだが、70年代まではそうではなかった。作り手側においても、受容側においても。スタッフ・クレジットにおける音楽担当者の扱いの軽さがそれを証明している。とりわけ、日本映画においては著しい。当然ながら、邦画の音楽が実際にはどのようにして作られていたのか、音楽家がいかなる意図でその音楽/音を制作したのかについて一般にはほとんど知られてこなかった。そういった不当な状況に早くから異議を唱え、闇の部分にメスを入れんと奮闘したのが、評論家として音楽から文学、映画、美術まで横断的に論じ、また作曲家/詩人でもあった秋山邦晴(1929-1996)だ。

秋山邦晴, 高崎俊夫, 朝倉史明 『秋山邦晴の日本映画音楽史を形作る人々/アニメーション映画の系譜』 DU BOOKS(2021)

 秋山が「キネマ旬報」誌上で71年10月下旬号から78年8月下旬号まで、計63回にわたって執筆し続けた連載記事〈日本映画音楽史を形作る人々〉は、邦画サントラに関する比類なき最高の資料としてマニアの間では伝説的に語られてきた。74年には連載を元にした単行本「日本の映画音楽史1」(田畑書店)が刊行されたが、それも今や入手困難だし、なによりも本に収録されなかった原稿の量が膨大だ。「日本の映画音楽史1」には戦前の作品に関する原稿しか収録されておらず、その後の原稿も単行本として刊行(全3巻)されることになっていたというが、果たされることはなかった。秋山にとっても心残りだったはずだ。が、今回遂に、その連載原稿すべてが1冊にまとめられた。3段組みで600ページ超の大作。まさに快挙と言っていい。

 当時の連載順のままに収録された原稿は計63本。第1回の佐藤勝から始まり、早坂文雄、伊福部昭、黛敏郎、芥川也寸志、團伊玖磨、林光、武満徹、湯浅譲二、松村禎三、八木正生、木下忠司、真鍋理一郎など、戦後の日本映画界で活躍した代表的作曲家たちを網羅。もちろん、堀内敬三や山田耕筰、古関裕而、服部正といった黎明期の重鎮たちもいるし、ジャズ系の紙恭輔、サントラに浪花節を導入した伊藤昇、更には録音技術者の市川綱二までカヴァするという周到さ。そして後半では、アニメ映画編に突入し(連載は75年10月下旬号から77年12月下旬号)、戦前のトーキー漫画映画第1号〈力と女の世の中〉から始まって、高畑勲や宮崎駿などを輩出した東映動画、TVアニメを開拓した手塚治虫の虫プロ、人形劇アニメ、前衛アートとの縁も深かった草月アニメーションまでという盤石のラインナップ。

 どの回も、音楽を担当した作曲家ばかりでなく、監督や周辺関係者にまで直接取材をおこない、本人たちとの対話を軸に随時、秋山が解説を加えるという形式。登場人物の大半が今や鬼籍に入っているわけで、彼らの肉声に触れられる第一次資料としての価値の高さは計り知れない。あの作品のあの場面の音がどうやって作られたのか、そこにどういう意図があったのかといった現場での証言が次から次へと出てきて驚きの連続。最後、音楽にとりわけ敏感だった篠田正浩の4連続の回も読みごたえたっぷりだ。

小沼純一 『武満徹逍遥 遠ざかる季節から』 青土社(2021)

 日本の映画音楽の歩みがクラシック(現代音楽)やジャズなどの実験/進化といかに密接だったかということを本書は改めて教えてくれるわけだが、これまた最近刊行された小沼純一「武満徹逍遥――遠ざかる季節から」でも、随所でそのことが語られている。過去に武満に関して最も多くの文章を書いてきた一人である小沼の解説文やエッセイ等を集めたこの拾遺集的書物では、言葉や映像、自然など様々な角度から武満という不世出の音楽家に光を当てているのだが、中でも映像と音楽/音の関係については繰り返し言及されている。秋山の本の中での「結局のところ、映画音楽っていうのは、自分で映画を撮れるような作曲家がやらなけりゃだめよ」という黛敏郎の言葉は、そのまま武満の気持ちでもあったはず。と、この2冊を読んで、思う。