新元号〈令和〉のはじまりに昭和の作曲家たちの作品を聴き、〈1929〉の意味を噛みしめる

 5人の作曲家が揃って1929年生まれ。2019年は生誕90年。存命の方は90歳だから卒寿のお祝い。そういう演奏会だ。

 その5人とは、50音順に並べると、松村禎三、間宮芳生、黛敏郎、矢代秋雄、湯浅譲二。戦後日本作曲界のリーダー格ばかり。巨匠の饗宴。なぜか姓の頭文字がMとYだけというのも、不思議で凄い。ともかく、あまりに錚々たる顔ぶれに、思わず跪きたくなる。まさに令和元年早々に開かれるコンサートに相応しい。

 

〈令和〉の始まりにスタートする〈日本の現代音楽、創作の軌跡〉

 令和の令の字の、上の部分は人が冠になっている。〈ひとやね〉とか「ひとがしら〉とか呼ばれる。そのやねに覆われた下の部分はというと、人が跪いている姿をかたどっている。つまり、偉い人に下々の者が跪いているのが令の字の本義だろう。だから、命令や司令や指令の令になる。

 令和の出典は「万葉集」で、梅の歌を集めたひとつのセクションに、但し書きとして付された漢文。そこに出てくる令月という言葉から、令和の令はとられた。令月とは陰暦二月の異名だが、ここでは単によい季節の意味で使われている。梅の花の咲く季節。梅は古代の中国人が最も愛した花だ。

 「万葉集」の時代の高貴な日本人たちは、先進文明大国、中国の趣味を真似することをステータス・シンボルとした。ゆえに、梅の花を愛でて歌の会を催し、「万葉集」にも載った。桜好きというのは日本の独自趣味のところがあるが、それは後世、梅や桃を愛する中国趣味への反動として形成されたと言ってよい。「万葉集」の時代の日本人はまだ桜より梅が好きだった。中国趣味的には、梅の花が咲くまだ寒い季節こそ一年で最高の時期。だから他の月を跪かせる令月とも呼ばれるのだ。

 「涅槃交響曲」や歌劇「金閣寺」の作曲家としてあまりにも偉大であり、その一方で愛国的政治運動家として、日本会議の生みの親になり、現代日本政治史にも巨大な足跡を残した、今回のコンサートの登場人物のひとり、黛敏郎が存命ならば、「万葉集」を出典とするということで日本趣味をアピールしながら、実はとても中国趣味の強いと言える元号に、どう反応したか。梅より桜が日本人らしいのに、と言っただろうか。いや、そもそも黛は、日本人に真のヴァイタリティが溢れていたのは奈良時代という考え方の人だったから、奈良時代に成立した「万葉集」由来の元号に素直に喜んだろうか。4月1日以来、そのことがついつい気になる。

 要するに「万葉集」なら日本らしくなると一見思えても、一皮むけば、漢字にこだわるかぎり、日本独自にはなり切れないということ。中国が付いて回る。それが結局、日本文明なのだ。日本人が西洋クラシック音楽をやって、作曲して、たとえば日本らしさなり何なりを追求しても、それはどこまで行っても、やっぱり西洋クラシック音楽。そこに永遠に最終解決不能な問題があり、最終解決できないからこそ、永遠に葛藤が続いて面白いとも言える。

 乱暴に整理してしまうと、今回の5人の作曲家のうち、松村と黛と間宮は、その矛盾と真っ向勝負し、葛藤の面白みに積極的に身をゆだねた人。矢代は、達観し、日本人にこだわるよりは本家本元の西洋をかなり強めに意識した方が生産的になりうると割り切ろうとしたら、かえって躓きがちとなり、どんどん慎重居士になって、作品が少ししか書けなくなった人。湯浅は、禅的精神にしたがって洋の東西の矛盾や葛藤を超越し突き抜けようとする姿勢を前面に打ち出し、そんな禅者的たたずまいをそのまま見事に作風や個性になしえた人。そういうふうに地図が描けるかとも思う。

 いずれにせよ、日本人が西洋クラシック音楽に身を投じて、大なり小なり矛盾に突き当たり、解決に苦しみ、もちろん彼らの生きた戦後日本の文化的環境と20世紀後半の音楽史の情況と切り結びつつ、それぞれにとてもよいかたちを結んで、名作を生み、時代のトップランナーとなったのが、今回の5人のレジェンドだ。

 令和の令は、偉い人に跪くということを本義にして生まれた文字。誰に跪くかがどうしても問題になるけれど、1929年生まれの5人の作曲家には、私は喜んで跪きたい。

 ところで、彼らはなぜ揃いもそろって1929年生まれなのか。コンサートのプロデューサー役である池辺晋一郎さんが、生まれ年で固めたからと言えばそれまでだが、無理無理固めようとせずとも、おのずとそうなるところに、やはり歴史の妙味がある。

 下山一二三、武満徹、廣瀬量平、福島和夫、三木稔、諸井誠は1930年生まれ。池野成、篠原眞、林光、松平頼暁は1931年生まれ。冨田勲、端山貢明、山本直純、湯山昭は1932年生まれ。一柳慧と三善晃は1933年生まれ。まだまだ名が挙がる。1929年から1933年の5年のあいだに、日本を代表する、戦後前衛からセミ・クラシック的領域の作曲家までが、毎年のように、なんと多く生まれていることか。