映像、写真、音楽から知る文化の記録
音楽にはその起源にさかのぼろうとする力が常に働いている。それは音楽の存在理由に関わることであり、音楽のはじまりが人類にとってあまりにも大きな出来事だったことへの郷愁だ。ショーペンハウエルは、音楽は現象を越えて実在をあらわにするものだと説いた。ヒンドゥーの教えには、宇宙の根本は原初的な音楽だとある。こうした考えは単なる希望的空想なのだろうか。それともそれ以上の何かなのだろうか。
音楽の起源については諸説ある。自然音をまねることからはじまった。自然の力を畏れ敬う気持ちからはじまった。肉食獣を避ける声からはじまった。喜怒哀楽の大きな感情に突き動かされてはじまった。家事や労働にともなってはじまった。といったところが代表的なものだ。
音楽が先か歌が先かについての議論も尽きることがない。身体的行動による音楽が先にあり、やがて言葉が生まれ、歌が生まれた。道具を使って音を出すより声を出すほうが容易だから、はじめに歌ありきだった。手拍子などの身体的行動と発声のはじまりはワンセットだった。歌の発声を分節化して言葉が生まれてきた。などなど。
音楽誕生の現場には目撃者がいて、初体験だから強い印象を受け、深く記憶に刻みこんだにちがいない。しかし記録して後世に伝えるすべがなかった。口で伝えたかもしれないが、たぶん音楽そのものを伝えることのほうが大切だったから、はじまりの理由やいきさつは脇に置かれ、いつしか忘れ去られた。
いずれにせよ検証不可能なので、想像力の数だけ仮説が唱えられている。
仮説によく参照されるのは、〈文明社会〉から隔絶されて暮らす人たちの音楽・音表現だ。音楽を作りはじめた原始時代の人類も、社会構造の次元はちがうだろうが、その人たちと似たり寄ったりの環境で暮らしていた。
NHKが20年間にわたり追い続けてきたアマゾンのドキュメンタリー番組が2枚組DVD「イゾラド ~森の果て 未知の人々~」にまとめられている。イゾラドとは厳しい自然環境の中で〈文明社会〉とほとんど接触せずに暮らす人々につけられた呼び名で、このDVDにはアマゾン熱帯雨林に暮らす人たちの映像が収めされている。
DVDの1枚目「沢木耕太郎 アマゾン思索紀行 イゾラド ~隔絶された人々~」にはとある家族が登場する。その家族に対しては、ブラジル政府の先住民保護機関フナイの職員が接触を続けているから、厳密な意味で孤立しているわけではない。彼らは少なくとも職員のモーターボートなどの文明の利器の存在を認識している。その前から飛行機やヘリコプター、不法採掘業者や物好きな探検家を目撃していたかもしれない。
取材班がその家族に河岸で面会を許されたとき、最初笑顔だった女性が突然、誰かに向けて激しくまくしたてはじめる。何を言っているのかわからないが、女性はきわめて険しい顔つきである。編集された字幕を見ると、彼女は「変な頭だな。切ってやるぞ。切りきざんでやるぞ」と叫んでいる。