現ジャズ界の、最たる巨人。80年もの人生が形になった特別バースデイ・コンサートを収録した新作や、自らのキャリアを語る。

 現ジャズ界の決定的な巨人であるチャールス・ロイドの新作は、キンドレット・スピリッツという新カルテットによるライヴ・アルバムである。それ、これまで組んでいたザ・マーヴェルズ(ビル・フリゼールらが入った、アメリカーナ的指針が入ったユニット)のリズム隊はそのまま留任させ、ジェラルド・クレイトン(ピアノ)とジュリアン・レイジ(ギター)という少し若めの奏者を新たに起用した。

 「いや、ザ・マーヴェルズがなくなったわけでなく、サンガム(タブラのザキール・フセインとドラムのエリック・ハーランドとのトリオ)やニュー・カルテット(ピアノのジェイソン・モラン、ベースのルーベン・ロジャースとドラムのエリック・ハーランドが構成員)とか、それらの単位はそのまま残っている。だって、どれも自分の子どもみたいなものだからね。各々、これからも表現させてあげたいんだ」

 ロイドは、キース・ジャレットやジャック・ディジョネットという後にスターとなる奏者を1960年代中期に自分のバンドに入れている。そもそも、彼はどういう観点で共演者を選んでいるのだろう。

 「昔から僕は(ニコっと笑い)レーダーを持っているんだ。自分に向いている人だとすぐに分かる。ジェラルドとジュリアンには、通じるものが感じられるな。で、彼らが求めてくれるから、僕は彼らの場所を作るんだ」

 このインタヴューを行ったのは昨年の9月で、彼がキンドレッツ・スピリッツを率いて来日したとき。その際、新作『8:キンドレッツ・スピリッツ』の4曲分の音は届いていて、ぼくはそれを元に取材をした。その後、ソースとなるのは、彼が住む西海岸サンタバーバラで持たれた80歳を祝う特別仕立てバースデイ・コンサートであるのを知った。また、新たに届けられた曲にはスタックス・レーベルを支えたザ・MGズのリーダーのブッカー・T・ジョーンズ(オルガン)やブルーノート社長のドン・ウォズ(ベース)が参加した曲もある。そんな同作は彼が現在ブルーノートがもっとも厚遇するアーティストであるのを示すかのように、CD+DVD、2LP+DVD、そして2CD+3LP+DVDの3種類にてリリースされる。

CHARLES LLOYD 8:Kindred Spirits Blue Note Records(2020)

 「古くはキース・ジャレットとやっていた時期も含めて、僕の80年のキャリアが今のものとして形になったのが新作かもしれないね。僕が自然を愛するという気持ちから自然発生的に生まれた木が、森になったみたいな感じだ」

 収録曲は60年代の当たり曲“ドリーム・ウィーヴァー”から、ECM在籍時に演奏している曲(うち、“レクイエム”は昨年亡くなったジャズ評論家の児山紀芳さんに捧げているそう)、さらにブルーノート移籍後に発表した曲、はてはロイドを讃えてブッカー・T・ジョーンズが歌う曲まで、様々な曲がジャズのブラックホール感覚を十全にしたためた形で演奏されている。そのアルバム表題にある“8”は無限大を表す“∞”を縦にしたものかとも、ぼくには思える。

 「曲もまた子どもなので、僕は親のような感じでそれらと付き合っている。もしくは、僕はボートの漕ぎ手のような感じかな。こちらの岸から、まだ見ぬあちらの岸に曲を漕いで行く……」

 これまで、アトランティック、70年代前半のA&M、80年代末からのECMといったメジャー・レーベルから作品群を送り出し、現在ロイドはブルーノートと契約している。その選択には、こだわりを持っているのだろうか。

 「アトランティックはアーティストを虫けらのように扱う植民地システムを取ったので、そこで僕は生きていけなかった。それで失望し、その後10年ぐらい隠匿していたらミシェル・ペトルチアーニと会い、またジャズをやり出した。でも、再び戻ったと思ったら病気になってしまい、それが回復したときに改めて今度はちゃんと人前に出て音楽に献身しようと思ったんだね。そんなおり、キース・ジャレットのマネージャーからECMが僕に興味を持っていると教えられ、15年間やりたいようにやらせてもらった。でも、ECMの問題はマスター・テープを持たせてくれないこと。そんなとき、ブルーノートのドン・ウォズが僕のファンだと声をかけてくれた。それで、自分のマスターがほしいと彼に言ったら、どんな条件も飲むと言われて現在に至っている。だから、今僕はとってもいい状況にあるんだ」

 


チャールス・ロイド(Charles Lloyd)
1938年3月15日、米テネシー州メンフィス生まれのテナーサックス奏者。65年にキース・ジャレットやジャック・ディジョネットを含む自身のカルテットを結成、『フォレスト・フラワー』などを発表して人気を獲得するも、70年代以降はシーンの動向とは隔絶した生活を送り、80年代に入ってミシェル・ペトルチアーニと出会ったことをきっかけに復帰。2015年に約30年ぶりとなるアルバム『ワイルド・マン・ダンス』をBlue Note Recordsからリリースした。