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「ラモーが生きていたら、ピアノが大好きだったでしょう」

 アイスランドが生んだ天才的ピアニスト、ヴィキングル・オラフソン。クリスタルで美しい響きで聴くものを惹きつけるその才能は、既発売のバッハやフィリップ・グラスのアルバムでも明らかだ。期待の新作は、フランスのラモーとドビュッシーの作品のカップリング。そのコンセプトについて、話をきいてみた。

VIKINGUR OLAFSSON ドビュッシー&ラモー DG/ユニバーサル(2020)

 「ラモーは、バッハの次に偉大だと思います。天才で、偉大な詩人で、型にはまることがない。これはドビュッシーも一緒で、すべてが新たな創造物なのです。

 両者の相似性を示したいと思いました。ラモーはその時代においては、未来人のような存在でした。ドビュッシーは、ルーツにフランス・バロックがあります。ラモーはドビュッシー最愛の作曲家の一人でした。

 共通点も多い。二人とも〈アンファン・テリブル〉、音楽的な悪ガキでした(笑)。型破りで、革命的な音楽を書いたのです。かれらのように、作曲でも演奏でも、音楽家は新しい世界を求めるべきだと思います。

 自作に美しいタイトルをつけたのも一緒です。“雪は踊っている”とか“鳥のさえずり”とか。物語とイメージから音楽を作った点で、二人は兄弟のようです。200年の差がありますが、アルバムではどれが印象派でどれがバロックか、わからなくなるようにしたかった。そこでドビュッシーはバロック的な要素の作品を選び、曲目を半分ずつに分けるのではなく、交互に、両者が対話しているように並べました。

 ラモーはチェンバロのために曲を書きましたが、ピアノにこそ合うと思います。なぜピアノではあまりひかれないのか、不思議なくらいです。ラモーが生きていたら、ピアノが大好きなんじゃないでしょうか。響きのレイヤー(階層)やテクスチュア、絵画的なセンスなどは、ドビュッシーにも似ています。

 選曲には1年以上を費やし、曲順を決めるのにさらに何週間も迷いました。全体を一つの作品のようにしたかったからです。それは劇場のようなものです。

 まず、ドビュッシーのカンタータ“選ばれし乙女”の前奏曲で始まります。作曲者自らがピアノに編曲したこの曲で幕があき、次にラモーの“鳥のさえずり”。ここからさまざまな場面が、たくさんの物語が続いていきます。鳥、女性、雪の景色、エジプト人、野蛮人、人形。ラモーの自画像もあるし、またラモーが友人のキュピに捧げた曲、これはピアノで録音されるのは初めてではないかと思いますが、とても美しい曲です。さらにつむじ風や、一つ目の巨人などなど。聴く人の心のなかに、ファンタジーに満ちたイメージがわきあがるように、心がけました」