様々な伝統的ピアニズムの流れを止揚しながら、フィリップ・グラスを始め現代音楽の作曲家やビョークやオーラヴル・アルナルズなどとも世界を切り拓く、新世代ピアニスト 

既に欧米各地で高い評価を受けているクラシック・ピアノ界の革命家、ヴィキングル・オラフソンは、9月にドイツ・グラモフォンからバッハに焦点を当てたCDをリリース、また10月にはサントリーホールでの公演が決定している。初の来日公演では、高度に理性と詩情が絡み合う、演奏を聴かせ観衆を魅了した。オックスフォード大学でマスタークラスも受け持つ彼は、深く噛みしめるように質問に応答した。

初来日となりますが日本の印象はいかがでしょう。

 「6月15、16日に、NHKホールにて、ウラディミール・アシュケナージ指揮によるNHK交響楽団のもと、庄司紗矢香(vn)とメンデルスゾーンの《ヴァイオリンとピアノのための協奏曲ニ短調》を共演し、素晴らしい聴衆とオーケストラに囲まれ幸せな時間を過ごせました。また、6月19日の武蔵野文化会館は、より小さな会場でしたが音響も含め素晴らしかったです。NYに6年いたので、東京の都市の喧騒には懐かしさを感じます。私の父は建築家なので、近代都市としての東京にも大変魅力を感じましたね」

母国のアイスランドも、日本と同様西洋クラシック音楽の受容が比較的遅かったとのことですが、その点についてどのようにお考えですか?

 「確かにクラシック音楽の受容は遅かったのですが、歴史の重荷がなく、自由で実験をする余地があります。アイスランドでは、人は古いものや新しいものに対しての区分けをせず、全てを新しく捉えており、私はそのことを肯定的に考えています。また、今世紀から主にドイツの影響を受け、聖歌隊という大きな伝統ができました。アイスランドの冬はとても暗く、そして寒い。そのような風土の中で人々は、一緒に歌って心に暖かい光を灯すのです」

あなたは「アイスランドのグレン・グールド」(NYタイムズ紙)と評されることもありますが、個人的にはあなたの音楽に、より暖かさを、そして新鮮な喜びを感じます。

 「若いピアニストが国際的なステージに立つと、20世紀の巨匠たちの名を借りて、例えば新しいグールド、新しいホロヴィッツ、新しいリヒテルだのと形容される傾向があるのですが、私は多数の異なるスタイルのピアニストから影響を受けています。グールドはその1人に過ぎず、マルタ・アルゲリッチ、エミール・ギレリス、セルゲイ・ラフマニノフ、ヨゼフ・レヴィーン、また内田光子のモーツァルトにも多大な影響を受けています。音楽作品についても、バッハ、モーツァルト、ブラームス、武満徹、シェーンベルク、ドビュッシーなどに影響を受けました。グールドには誰もなれませんから“アイスランドのグールド”と言われるとちょっと戸惑ってしまいますね」

ご自身の家庭環境について教えてください。

 「私の母はピアノ教師、父は作曲を勉強したこともある建築家で、非常に音楽的な家庭に育ちました。両親はレイキャビクの大変小さなアパートに住んでいましたが、そこに亡き祖父の遺産を全てつぎ込んでスタインウェイのグランドピアノを購入しました。子供時代の私は、母が家でしていたピアノのレッスンを近くで見ており、生徒が出て行くのを見計らってからピアノに飛びついていました。母が言うには、私はいつも弱音で繊細に弾いていた、そしてそれを注意深く聞いていた、とのことです。今でも、弱音で弾くのは好きですね」

ジュリアードに行かれた経緯をお聞かせください。

 「アイスランドは自由でフレンドリーな場所ではあったのですが競争が少なかったので、真面目に音楽をやるため、そして同世代に触れるために、18歳のとき外の世界へ出ることを決意しました。ジュリアードには、学校の名前につられたのではなく、ジェローム・ローエンサールとロバート・マクドナルド、2人の教師に習うために行きました。 現在86歳のローエンサールは、偉大な人物だと思います。パリにてアルフレッド・コルトー、アメリカにてウィリアム・カペルに学び、文学、哲学の知識をも備えた、私が今まで会った中で最も教養深い人物です。彼の演奏には“詩”が、瞬間的で魔術的なものがあります。一方、五嶋みどりともよく来日しているマクドナルドは、ルドルフ・ゼルキンに師事し、非常にドイツ的です。音楽における建築や構造、理性、文脈について、卒業するまでの2年間、多くを教わりました。自由奔放さや魔術的な要素も必要ですが、同時に規律も必要です」

VIKINGUR OLAFSSON バッハ・カレイドスコープ ユニバーサル/DG(2018)

あなたのバッハの演奏には、各声部に優れて多様な表現、表情、テクスチャーを感じます。

 「ピアノ演奏では、たくさんの表情を作ることができます。演奏の内部にて、あたかも違う惑星にいるかのような距離感を作ることも可能です。バッハのポリフォニーには様々な要素があります。それをうまく表現したいためにモダンピアノで弾きたいのです。また、オーケストラでバッハを聴くのも面白いですね、対話のようですし、様々な言語が聞こえます。それは1つの社会(society)であるとさえ言えるでしょう」

コンサートやCDにおけるバッハのプログラムにおいて、 曲順には一体どのような背景があるのでしょう?

 「全集をやることに興味はなく、選曲によって曲の個性をうまく引き出し、そこにある“詩”を強調したいのです。曲順は、調性の近さによって選ぶだけでなく、様々な要素、次元を考慮しました。短い曲、長い曲、それらの組み合わせ、バッハのオリジナル曲、あるいは多様な編曲の組み合わせなどを考え作りました。それは何ヶ月もかけて行った大変な仕事で、作曲に近いとも言えるでしょう。インベンションやシンフォニアなど、幼少期に弾いた、練習曲として知られる曲も、やり直して見ると、偉大なアートであることを再発見しました。また、編曲にも、ケンプ、ラフマニノフなど様々な世代によって解釈されたバッハが見えてくると思います」

では、あなた自身の編曲《いざ、罪に抗すべし(BWV54)》にはどのような意図があるのでしょうか?

 「キリスト教的であると同時に革命的で、一番好きなカンタータです。低音は変わらないけれど、和音は変化していきます。またオープンコードの中、7thや9thなどの音程がなって魔術的で瞑想的な曲です。いかなる編曲もそうでしょうが、新しい意味を引き出すために私は編曲しました」

ポリフォニックな音楽を演奏するときの繊細さについて伺いたいです。例えば、あなたの演奏では、上の声部を非常に繊細な弱音で持続し、和音が分厚くなることがありません。そして各声部を弾くときスタッカートやレガートの間に、幾通りもの表現があり、はっきりと聴き分けることが可能です。

 「早弾きも好きですよ。ただ一番興味あることは、テクスチャーの透明性で、多様な音量で声部を重ねることにあります。指がそれぞれ違う楽器を弾いているように意識しています。そこを意識するかによって、ピアノは最高の楽器にも最低の楽器にもなり得ると思います。どのような作曲家の作品でも、バッハと同じレベルで細部を弾き分けた後で、ペダルを使います。ペダルは本当に必要な時だけ使用します。ほんの少しの調味料で料理できなくてはいけないのです。ピアノの鍵盤からは、このほんの数センチのわずかな長さの中で、無数と言えるほどの様々な音が出せます(筆者註 ここで実際に鍵盤をゆっくりと弾く素振りを見せる)。それこそがピアノの魔術だと思いますね」

バッハに焦点をあてた今回のアルバムでは演奏だけでなくスタジオ的あるいは音響的な試みもされていると聞きました。

 「昔自分でやっていたレーベルは今休眠中ですが、ハンマーの力学、調律、ペダル、マイク、音響面で多くのことに挑戦し経験しました。今回ドイツ・グラモフォンから出るバッハの録音では、素晴らしいプロデューサーの協力のもと、8本のマイクを使用しました。ポップスのレコードのように、ミキシングを毎曲変えています。録音の様々な方法にも挑戦しました」

ドイツ・グラモフォンでは、フィリップ・グラスの作品集を出されましたが、彼との出会いについて聞かせてください。

 「2013年、国際的な舞台に立ち有名になる以前に、名誉なことに彼が声をかけてくれました。私の古いバッハの録音で、ゴルドベルク変奏曲を聴いてくれていたようです。そしてドイツ・グラモフォンでは、グラスを取り上げられることに驚きましたけれども、一緒に仕事をすることができました。そしてCDは、ちょうど彼が80歳の誕生日の4、5日前にリリースされました。グラスは一つに収斂させることのできない作曲家です。ブーランジェに師事した伝統的な対位法、東洋世界の哲学、スペーシー(空間的)で瞑想的な要素、 また特にリズム的な要素にはジャズやポップ・ミュージックの要素、さらには映画音楽的な要素もあります。グラスの音楽を単純だとは思いませんし、ある人から、君はフィリップ・グラスをとてもうまく弾きすぎているがそれに値しないのでは、と言われましたが、そんな馬鹿げた話もないと思います」

ビョークとも共演していらっしゃいましたね。

 「アーティストは何か単一のものでくくれるわけではない訳で、彼女もいい例だと思います。とても実験的でありながら、実はとても古典的な要素もある。ルネッサンス音楽からシュトックハウゼン、ハウスミュージックまで聴き、DJまでする。素晴らしいアーティストですね」

最後に一言お願いします。

 「日本には素晴らしい聴衆の皆様やホール、そして食文化があり、今から来日できることを楽しみにしております」

 


ヴィキングル・オラフソン (Víkingur Ólafsson)
1984年アイスランド生まれ。2008年ジュリアード音楽院卒業。2012年にはレイキャヴィク・ミッドサマー音楽祭を創設して芸術監督を務める。また、2015年からはスウェーデンのヴィンターフェスト音楽祭の芸術監督に就任した。2016年にドイツ・グラモフォンと専属契約を結びデビュー・アルバムとなるアルバム『フィリップ・グラス:ピアノ・ワークス』(2017年)をリリースし、国際的な脚光を浴びる。庄司紗矢香やビョークらとも共演し、アイスランドに新風を吹き込む若き音楽家。

 


LIVE INFORMATION

ヴィキングル・オラフソン plays バッハ、ベートーヴェン
○10/2(火)18:30開場/19:00開演
会場:紀尾井ホール
○10/4(木)18:30開場/19:00開演
会場:HAKUJU HALL
出演: ヴィキングル・オラフソン(p)
[曲目]
J.S.バッハ
イタリア風アリアと変奏 イ短調 BWV989
2声のインヴェンション 第12番 イ短調 BWV783
3声のインヴェンション(シンフォニア) 第12番 イ長調 BWV798
平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第10番 ホ短調 BWV855;前奏曲
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番 ホ長調 BWV1006; 前奏曲(ラフマニノフ編)
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番 ホ長調 BWV1006; ガヴォット(ラフマニノフ編)
前奏曲 ホ短調 BWV855a (シロティ編)
2声のインヴェンション 第15番 ロ短調 BWV786
3声のインヴェンション(シンフォニア) 第15番 ロ短調 BWV801
前奏曲とフーガ ト長調 BWV902a;前奏曲
今ぞ喜べ、愛するキリストのともがらよ BWV388(ブゾーニ編)
バッハ:協奏曲 ニ短調 BWV974 (原曲 マルチェッロ:オーボエ協奏曲)
いざ、罪に抗すべし BWV54(オラフソン編)
ベートーヴェン
ピアノ・ソナタ第1番 ヘ短調 Op.2-1
ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111
avex.jp/classics/vikingur2018/

ARKクラシックス
コンテンポラリー・ナイト《フィリップ・グラス》

○10/7(日)19:30開場/20:00開演
会場:サントリーホール
avex.jp/classics/arkclassics2018/