©2019「宮本から君へ」製作委員会

恋愛アクション映画

 サラリーマンのラブストーリーが、遠慮も忖度もない意地と闘志をむき出しにして、がしがしと骨身を削る肉弾戦の映画になる。その物語で、この主演二人の俳優からこれほど強烈な身体の言葉が迸り出るのに、驚かされる。蒼井優と池松壮亮はこういう俳優だったか? そう思うのも、たとえば蒼井が「岸辺の旅」で見せたもの凄い笑顔が忘れられないからだ。浅野忠信が幽霊になって彷徨っているのは、こんな顔をする女と関わったからに違いない。池松壮亮も、以前はうつむき加減の顔に虚無を漂わせる俳優といったイメージだったではないか。

真利子哲也,池松壮亮 宮本から君へ KADOKAWA(2020)

 そんな彼らが〈顔の俳優〉から〈身体の俳優〉に変貌を遂げた過程に、この二人が「宮本から君へ」の前に共演した「斬、」という映画がある。そこでは、泣き、叫び、殴り、走る蒼井の圧倒的な身体に誘発されるように、池松の剣士も自らの暴力衝動に身を任せていく様が描かれていた。

 「宮本から君へ」の二人の、爆発的な走りや暴発的な抱擁を見れば、恋愛を全き身体的アクションとして表現するこの映画のスタンスを、誰もが感じ取るだろう。そんな俳優の身体の動きから見事な映画の構造を作り出すのは、二つのアクション場面だ。蒼井を乱暴した一ノ瀬ワタルに池松が向かっていくシークエンス。ラグビー・グラウンドから駐車場までの長い長い距離を走った宮本は、一ノ瀬の一発のパンチでぶちのめされる。が、その長大な走りの水平運動が伏線にあるので、再度宮本が闘いを挑むマンションの非常階段の垂直に切り立った空間が、鮮やかな映画的カタルシスをもたらすことになるのだ。一ノ瀬と闘うためのトレーニングとして池松が倒立して腕立て伏せをやるショットは、このバトル場面の前触れになっている。これは転倒の体勢での逆転劇こそが映画なのだ、というマニフェストにほかならない。

 継時的な時間の流れに過去の時制が乱入する構成は、この映画が、二人の野生人が社会人としての自分たちと闘う劇であること、そしてこの映画の力の源泉に生命の継承があることを、指し示している。